私の八月十五日(1)〜(6)
(6) は「戦後七十三年目の証言」
今朝(8/15)
NHK TV (7:20 頃)で
「私の八月十五日」という番組が
放送されていた
今人舎という児童書専門出版社が
2015年4月に 第1巻
「私の八月十五日〜昭和二十年の絵手紙」
を出版している(ネットで調べる)
その後 出版を重ね
おそらく最後の証言になるだろう
第6巻「戦後七十三年目の証言」を
今回刊行されたようだ
(今年は戦後75周年を迎えた)
(6)巻に登場する主な方々(敬称略)
林家木久扇 コシノヒロコ
小山明子 黒田征太郎
柳澤桂子 大島渚 赤松良子
無着成恭 サーロー・セツコ
「私の八月十五日」第6巻は
肉声データ付きで
本人の声が聞こえるようにしてある
この私は
終戦の6年後に生まれたので
もちろん戦争の記憶は
一欠片(かけら)もないが
しかし
私の心身のどこかに
両親や祖父母の身体(DNA)を通して
戦争の記憶が
しっかりと刻まれているかもしれない
ただ 終戦から
6年後のことだったので
まだ戦後の匂いが残っていて
特に 衣食住やおとなの言動に
戦争の匂いを感じることがあった
とりわけ 私は
食糧事情の悪さが影響して
一時期栄養失調(不良)で
死にかかったそうだ
実際 長兄は そのために
胃腸を悪くして
幼児期に亡くなっている
着る物も食べる物も乏しくて
粗末な服を着て
いつも腹を空かせて
ひもじい思いをしていた
終戦時の父は 18歳の年
確か大牟田市の化学工場で
爆弾造りなどの現場長を
していたらしい
本当は 特攻兵を志願し
面接まで受けたらしいが
両親の反対(慰留)で
頓挫したとのことだ
(ちなみに義父は特攻兵として
海軍飛行隊とかに所属して
特攻間近だったらしい)
また終戦時の母は 15歳
長崎原爆のキノコ雲を見たすぐ後に
終戦を迎え そのあくる年に
父と結婚することになる
終戦後の生活厳しい中に
人生の進路も翻弄されたようだ
女学校への受験勉強を
密かにしていたのが親にバレて
進学を禁止され 泣く泣く
幼いお嫁さんになったようだ
その結果
この僕も生まれた訳だから
何もかもは否定できないが
でも やはり誰でも
普通の平均的な人生は
送りたいものだと思う
ps 2020.8.15
NHK TV am 7:20 頃 放送
戦争は無差別に
国民や国土を無残な悲惨な目に
遭わせてしまう
とりわけ優しい人や真面目な人ほど
目上の人や周囲の人の言うことを
よく聞いて進んで行動して
命や人生を無駄にすることさえ
厭わない(敢えて我慢する)傾向に
あるのではないかと推測する
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