秦野、二宮、大磯、中井にものもうす~問題点検証します!

わが町の問題点をあきらかにし、住みよい町つくり。

光陰矢、東日本大震災8年追悼

2019-03-12 01:05:13 | 日記
犠牲者に哀悼、復興誓う
=「未来諦めぬ」「思い出を心に」-
東日本大震災8年追悼式
3/11(月) 時事通信



東日本大震災8周年追悼式で、お言葉を述べられる
秋篠宮さま=11日午後、東京都千代田区の国立劇場

東日本大震災から8年を迎えた11日、政府主催の追悼式が
東京都千代田区の国立劇場で営まれた。

秋篠宮ご夫妻、安倍晋三首相ら三権の長、遺族代表ら
約940人が参列。地震発生時刻の午後2時46分に全員で
黙とうし、犠牲者に哀悼の意をささげるとともに、被災
地の早期復興を誓い合った。

首相は式辞で「被災地の復興は着実に前進している」と
述べ、放射能漏れ事故を起こした東京電力福島第1原発
周辺の帰還困難区域でも、避難指示解除への取り組みが
進んでいると強調した。一方、いまだ1万4000人の避難
者がいるとして「生活再建のステージに応じた切れ目の
ない支援を行い、復興を加速していく」と表明。震災の
教訓を生かし、3年間集中で国土強靱(きょうじん)化を
進める決意も示した。




秋篠宮さまはお言葉で「今なお困難を背負いながらも、
復興に向けて日々努力を続けている人々に思いを寄せ、
一日も早く安らかな日々が戻ることを皆で祈念する」と
述べられた。

遺族代表として、岩手県陸前高田市出身の高橋勇樹さん
(41)、宮城県女川町出身の今野昌明さん(52)、福島
県浪江町出身の叶谷守久さん(79)もそれぞれ言葉を述
べた。

母親を亡くした高橋さんは「あの日を決して忘れない。
そして未来を決して諦めない。復興に向かって歩んで
いく私たちを、いつものようにそばで見守っていてく
ださい」と語った。

今野さんは、津波にのみ込まれた母親がいまだ見つか
らず「悔しさと無力さ、絶望の悲しみとつらさで、心の
中に大きな穴があいたままです」と述べ、復興に向けた
決意も強調。妻を失った叶谷さんは「最愛の妻の笑顔と、
共に過ごした思い出を心に刻み、妻の分まで精いっぱい
生きていこうと思っています」と誓った。

被災者代表の福島県楢葉町出身の高原カネ子さん(70)は
「全国の皆さまからの励ましやご支援によって、復興へ
の一歩を踏み出すことができた。福島に思いを寄せてく
ださる方々に、心より感謝申し上げます」と述べた。

警察庁によると、8日現在の死者は1万5897人、行方不明
者は2533人に上る。 

夕闇照らす鎮魂の光 3・11
かながわ追悼の夕べ
3/11(月) カナロコ



東日本大震災の犠牲者を悼む「かながわ追悼の夕べ」が
10日夜、横浜市中区の象の鼻パークで開かれた。市民
らは「3・11 追悼」などの文字が浮かび上がるキャ
ンドルがともる中、鎮魂の祈りをささげた。

震災や東京電力福島第1原発事故の影響で県内に避難し
ている被災者らを含む約300人が参加した。約800
本のLED(発光ダイオード)キャンドルに明かりをと
もし、全員で黙とう。犠牲者の冥福を祈るとともに、被
災者の穏やかな暮らしを願った。

福島県南相馬市小高区から横浜市泉区に避難している
唯野久子さんは「8年がたち、多くの人が原発事故を
忘れ、無関心に逆戻りしている。避難者は救済される
ことなく、今もさまよい続けている」と訴えた。




支援者や避難者らでつくる実行委員会が主催し、今年で
6回目。

被災地を7年撮影 写真家・江成常夫さん
3/11(月) tvkニュース



震災は、決して忘れられない、忘れてはいけない出来事
ですが、この記憶を後世に残そうとする人物がいます。
被災地を撮影し続けてきた一人の写真家を取材しました。

去年3月、福島県南相馬市で撮影された1枚の写真。 静か
な海はあの日、一瞬にして表情を変えました。 相模原市
中央区に住む写真家・江成常夫さん。 きょう、福島・
宮城・岩手3県の被災地を7年に渡り撮影した写真集を発表
しました。 タイトルは「AftertheTSUNAMI」津波のあと。







もともと新聞社のカメラマンとして東京オリンピックや
日航機墜落事故など、様々な歴史の現場に立ち会ってき
た江成さん。 12年で会社を辞め、昭和の戦争をテーマに
フリーランスとして活動してきました。 戦争と震災、
江成さんは時間をかけて撮影する意味を強調します。
撮影を続けて7年、被災地を巡った鎮魂の記憶。 1枚1枚、
確かにそこにあった生活が浮かび上がります。

クジラに呑み込まれた男性、
口の中から逃げ出して助かる
3/11(月) ハフポスト日本版



シェイフさんがクジラに呑み込まれる瞬間

南アフリカ共和国・ポートエリザベスに住むライナー・
シェイフさんは、ダイビングオペレーター歴15年のベテ
ランだ。

シェイフさんがクジラの口に入る瞬間

しかし、こんな経験は生まれて初めてだったと話す。シェ
イフさんだけでなく、ほとんどの人が経験したことがない
だろう。彼はクジラに呑み込まれ――そして無事に生還し
たのだ。

シェイフさんは2月、イワシの群れを撮影するために仲間
とともにシュノーケリングをしていた。




イワシの大群を捉えるサメの姿を撮影しようとした次の
瞬間、突然目の前が真っ暗になったという。

「体に圧力を感じました。クジラに呑み込まれたんだと
すぐにわかりました」と、シェイフさんは動物ニュース
サイト「バークロフト・アニマル」に答えた。

呑み込まれた後のことを、シェイフさんはテレグラフ紙
にこう語る。

「恐怖感を感じる余裕はありませんでした」

「直感で、息を止めました。クジラがインド洋深くに潜
って私を吐き出すかもしれないと思ったので」

アメリカ海洋大気庁によると、ニタリクジラは5~15分、
深さ約300メートルまで潜ることができる。

しかし幸運にも、シェイフさんが恐れていた事態は起き
なかった。クジラがすぐに口を開けたので、シェイフさ
んは外に出ることができた。

シェイフさんが「あっという間だった」と話す出来事の
一部始終を、すぐ近くのボートに乗っていた同僚のフォト
グラファーが撮影していた。





ニタリクジラは通常、イワシなどの群れで行動する小魚
を食べる。シェイフさんは、今回の出来事は事故であり
「私は巻き添えを食らっただけで、クジラも同じように
驚いたでしょう」と説明する。

「クジラとの特別なつながりを体験できた」と話すシェ
イフさんだが、二度目はなくてもいいと思っているようだ。

「誰も知らない、鯨の内部事情に詳しくなったと思います」

「とても興味深い経験でした。ただ、もう一度体験したい
とは思いません」

こんな経験はしたくない

自分だったら気絶して

内臓までいってたと思う

いまごろは消化されて

うんちになっていただろう

くじらのうんこが

この世の最期とは

あまりになさけないな

私もダイバーだが、

これはもう恐怖でしかなかっただろう。




ピノキオみたい

クジラもショックだったみたい

この瞬間が撮影されていたというのも凄い

シンドバッドの冒険のようで

プロのダイバーやな

飲み込まれたって気づくのもすごいし、

冷静な判断が、すごい!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする