室内の調度品が倒れ、テレビが台から
滑り落ちそうになるほどで心震撼せしむ
地面が大揺れするや否や 人々みな建物
から外へ飛び出す始末。まるでこの世の
終末でも迎えたような様子で暗く悲壮感
満々だったことをよく覚えてる。あとで
地面がめくりあがった痕跡が多数見つかる。
その後、ひと月ほどガソリンスタンドに
毎日のように長蛇の列。食料品の配送がまま
ならずにスパーで品不足が続いた。なので
震災の苦労が少なからずあったというべきで
この日のことをけっして忘れないだろう。
放射性物質のセシウムが飛来しお茶葉や
野菜やミカンなど汚染、出荷自粛が続いた
のも事実。東北地方の人的被災に心からお悔み
申し合掌。
東日本大震災から7年
死者1万5895人、行方不明2539人
3/11(日) ホウドウキョク
東日本大震災から、11日で7年を迎える。震災に
よる死者は1万5895人にのぼり、今なお2539人が
行方不明となっている。
宮城・女川町では、高台に建設中の町役場の敷地
内に、震災により町内で亡くなった、およそ850人
の名前を刻む慰霊碑を建てる予定。
10日は、卒業式を終えたばかりの女川中学校の卒業
生46人が参加し、復興や鎮魂の思いを書いた石版を、
慰霊碑の一部として積み上げた。
また、岩手・山田町では、地元の消防署の新庁舎が
完成した。
およそ6億円の事業費で建設され、災害に強い消防
活動拠点としての役割が期待される。
警察庁によると、3月9日の時点で、震災による死者
は1万5,895人にのぼり、今なお2,539人が行方不明
となっている。
岩手、宮城、福島の各県で発見され収容された遺体の
うち、これまで99.6%の身元が確認されたが、3月6日
時点で、いまだ62人の身元がわかっていない。
震災7年、祈りの灯
横浜
3/11(日) カナロコ
キャンドルをともし、東日本大震災の犠牲者や
被災者に思いを寄せた「追悼の夕べ」=横浜市中区
東日本大震災の犠牲者を悼む「追悼の夕べ」が10日、
横浜市中区の大通り公園で開かれた。11日で発生7年。
参加者はキャンドルの柔らかな光に包まれながら祈りを
ささげ、風化させないと誓った。
日が落ちた夕刻、キャンドルが次々とともされ、参加者
全員で黙とう。犠牲者の冥福を祈り、被災者の穏やかな
暮らしを願った。県内にも多くの被災者が避難しており、
思いを語った。
東京電力福島第1原発事故で慣れ親しんだ土地を追われ、
相模原市緑区の実家で避難生活を送る鹿目久美さん(50)
は「震災の風化が進んでいるが、各地で苦労を重ねている
皆の思いを共有し、助け合っていく世の中になれば」と願
いを込めた。
18年越し開通祝う
秦野-大井の篠窪バイパス
3/11(日) カナロコ
篠窪バイパスの約18年越しの開通を前に行われた
渡り初め=篠窪大橋
1999年度から整備を進めてきた秦野市と大井町
を結ぶ県道708号「篠窪バイパス」が10日、開通
した。約18年越しの開通を前に橋の「渡り初め」な
どが行われ、地域住民らが念願の実現を祝った。
新設された「篠窪大橋」(長さ約180メートル)の
渡り初めには、同市や同町、県の関係者、地域住民ら
計約200人が参加。「末永く残るように」との願い
を込めて3世代の夫婦が橋を渡ったほか、地元愛好家
らのクラシックカー12台が走行した。
開通式で同町の間宮恒行町長は「多くの人が利用し、
大井町と秦野市の道路ネットワークの強化につながれば」
とあいさつ。同市の高橋昌和市長は「地域交通の流通
の向上や観光振興に寄与することを期待する」と述べた。
県県西土木事務所によると、バイパスの開通区間は市町
境付近の約900メートル。県は99年度に整備事業に
着手し、2004年度に工事を開始、総事業費約30億
円を投じた。用地取得や橋の工事が難航し、約18年越
しの開通となった。
県道708号は同市内の国道246号と同町内の県道を
結ぶ幹線道路。開通区間では幅員が広げられ、歩道も整
備された。
朝市1万5千人で賑わう
秦野の2商連が初開催
タウンニュース
多くの人出で活気があふれた会場
第1回はだの朝市まつりが3月4日に秦野市役所
西庁舎駐車場で開かれた。主催は秦野市商店会連
合会、秦野市西商店会連合会。
主催者発表で1万5千人の来場者があり、お目当て
の品物を目指してテント前には長い行例ができるな
どの賑わいをみせた。
オープニングセレモニーでは市商連の杉山和史会長が
「昨年行ったかながわ朝市サミットが雨だったことも
あり、地元でもう一度朝市をやろうと取り組んできた。
今日は天候にも恵まれ、他市からも多くの店が来てく
れた。朝市を楽しんでほしい」と挨拶。西商連の関野
茂信会長が開始の宣言をした。高橋昌和市長や秦野商
工会議所の佐野友保会頭も来賓で訪れた。
会場には市内外から75店舗が出店し、色とりどりの
テントでは地元野菜や果物、花をはじめ、三崎港の
まぐろ、ジャム、弁当などが陳列され、メンチやラー
メンなどの”B級グルメ”のキッチンカーも登場した。
主催者では「今回好評だったことを受けて、最低年1
回は今後も開催していきたい」と話している。
写真資料展
職員が集めた復興の記録
石巻市で復興事業に従事 永嶌進さん
タウンニュース
石巻市の日和山から中瀬公園を臨む
(2017年2月永嶌さんが撮影)
「震災から7年経ちますが、被災地では復旧・
復興事業が進んでいるものの、今も家族の行方
を捜している方や、応急仮設住宅で生活を続け
ている人が多くおります」。そう話すのは、宮
城県石巻市で計2年半ほど公共事業の復興支援
に当たった永嶌進さん(71)=大磯町。「東日本
大震災から7年『3・11を忘れない』写真資料展―
東日本大震災復興の現場から―」で、現地で撮影
した写真や復興計画をまとめたパネルなどを展示する。
3月11日(日)から30日(金)まで、県立秦野戸川
公園パークセンター1階図書コーナー展示室で。午前
9時から午後4時半。入場無料。問い合わせは同園
【電話】0463・87・9020。
永嶌さんは相模原市出身で、定年退職をするまでの
42年間、神奈川県の県土整備部で勤務し、その後、
県道路公社、県公園協会に勤めた。戸川公園の園長
職に就いていた2011年3月、東日本大震災が発生。
「長年土木行政等に関わってきた経験を被災地の復興
支援に役立てたい」という思いが募っていったという。
土木行政の経験を復興支援に活かして
被災した自治体では膨大な復興まちづくり事業が計画
され、専門的な知識や経験、ノウハウを持った人材の
確保が課題となった。そこで復興庁では全国の自治体
の職員や、公務員OB、民間企業経験者等を対象に、
被災自治体での任期付職員を募集し、派遣してきた。
永嶌さんは園長職を退任後、復興庁の職員採用に応募。
2014年4月から復興支援専門員として宮城県石巻市
へ派遣され、公共下水道管理業務に従事した。翌年3月
に神奈川へ戻るも、2015年10月に再び石巻市へ。同
市の任期付職員として2017年3月まで防災集団移転
宅地造成促進事業業務を担当した。
開発許可申請の手続きや地元説明会の準備、設計・施工
業者と意見を交わし決済を取るなどの調整に追われる日々
は「とてもやりがいがあった」と振り返る。同じように
全国各地から集まり共に事業に取り組んだ職員仲間や、
懇意になった現地の人々との交流も深まり「第2の故郷
のように思っている」という。
今回の展示では、石巻市や周辺の女川町など7市町の復
興現場を撮影した写真や、現地で手に入れた資料、さらに、
復興計画などを永嶌さんが独自にまとめたパネル60枚など
を展示する予定だ。
永嶌さんは「復興によって被災した町がどのように変わ
っていくのか、その記録を残すことで震災を知らない世
代にも伝えていきたい。人命を守ることの一助になれば
と思います」と話している。
復興計画をまとめたパネル
東日本大震災から7年
「3.11を忘れない」写真資料展
2018年3月11日〜2018年3月31日
9:00開始 〜 16:30終了
神奈川県秦野市堀山下1513
費用:無料
問い合わせ先:秦野戸川公園パークセンター
TEL:0463-87-9020