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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

災害は起こり得るもの・大潮

2024年03月11日 | Weblog

 13年前には、勤務先での業務中であり利用者さんへの対応中。テレビ画面の異様さに、ソファーに座っていた方が津波と叫ぶ声に正視した。立って居るのに堪えられずなのも、身体が浮いて海を漂う感覚にへたり込んだ。息ができなく、振るえが起きて眼前は一瞬暗闇。

 子どもの頃の恐怖が甦り、吐き気を催し業務を続けられなくなった。誰かが援けを呼ぶ声、異様な瞳に見据えられ動けない。思い出せない・記憶を封じている前世に遡る気力は乏しく、一点を視るばかり。これは夢なのだろうか?それとも現実か境あやふや、為す術なく。

 枇杷葉の援けをかり、無農薬栽培に徹しての清貧の暮らしには災害前より後日を気にする。日々の暮らしの中に、何時どんな時に災害が起きても、知恵と工夫とがあればとも思うからだ。時間を巻き戻すことも、刻を止めることさえ人智には不可能と誰もが承知なのも事実。

 水は資源・命の素であり、植物初めあらゆる物が必要とする物質。公害・香害・光害等、自然を蔑ろにする行いを続ければ還ってくるのは必然的なこととも。地産地消や自給自足も、時代が移ればやり方も違う筈。着実にするには、根気と持続は大切な心構えと知る昨今。

 山や川・海を汚さないで、宙の星が何処に居ても眺められる環境を壊さずは各々の心にできること。できないではなく、その気・やろうとしなからだと思う。活動は目立たず自費の範囲もある為、時間と労力を惜しむ。諦めない・挫けない・継続させる意思の強さと努力を堪え。

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如月・朔・大潮

2024年03月10日 | Weblog

 今朝も気温低く、手先の感覚怪しきストーブで暖をとる。煮炊きが出来る物なのも有難く、枇杷葉茶を入れ換え煎じる。その間には、珈琲を挽いて淹れ洗濯しつつ新聞に目を通す。朔日には塩換えなのもあり、段取り良く行い済ませPCの前に座れば一安心である。

 団地の総会も、副会長に大いに助けられての役だったが事故も無く終え肩の荷が下りた。路上駐車や草刈り参加等、議題に上がるものの個人の認識の違いに負う。業者に頼めば時間と人数もあり、容易くはない。高齢化している実情も有、難しいことも増えていく。

 如月は仲春となるが、意外に気温も上がらず雪花の舞う日も多い。農作業に種を蒔くのも、霜除けは必須であり日中の温度も怠れない。遅霜が降りなくなるのは、5月連休辺りで油断すると苗は育たない。旧暦で云えば卯月朔日、衣類に入れている綿を抜く季節為り。

 四季感に乏しく、様々なことに早く・速くと急かせる時世も違和感ありとも。庭を徘徊時、木通の新芽が芽吹いてきているを見つけた。クリスマスローズは昨年から開花しているのもあり、花数も増え咲き競う。自然発芽なのもうれしく、零れ種が育ち今に至る歓びとなる。

 椿も蕾が綻びて、エリノアと乙女椿愉しみに待つ。エリノアという品種なく、この名を付けたのは講談社新人賞受賞しながら夭折した作者への想い。受賞後の原稿もあったというが、見られることは皆無。それにしても、あの時代に心が躍りのめり込んでいた懐かしさ想う。

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早春の異変・地震多発・大潮

2024年03月09日 | Weblog

 東日本大震災が近くなると、否が負うにも原発の危うさを思えなく胸が締め付けられる。事実であり現実と、悲嘆さに暮れる想いとは裏腹に再稼働許可は如何なるか。狂っているとしか他にはなく、事故が起きない保証も安全な確約さえ見当たらぬのに何故突走る。

 今朝の気温の低さ、3℃にエアコン作動となるが設定温度は20℃。先程からの稼働状態だが、今月の請求書に懸念が過ぎる。夕方には、団地総会がある為食事は帰宅後に用意の段取り。雑炊かお粥にするかは胃腸の具合にも依る為、身体温まり消化良き物戴く。

 明日は、如月となり恒例の作業を行う。新暦とごちゃまぜの勘違いは及ばず、朔日と1日とは異なるものです。月の満ち欠けの関係と、潮の満干潮は古来から重視されおり災害は否めない。ブロ友さんの中には、海の様子を掲載されてで分かり易く訓えられること多し。

 我が家の枇杷葉茶を飲用されての方・花芽も含む、肌のトラブル解消ありて。寒中の作業時は、指先動かずになりゆくが症状の改善を知らせては朗報。心を籠めて茶葉を作り乾燥させ、発送に至る。無農薬と季節限定以外なら、市販商品か或いは他を探されませ。

 枇杷葉に援けられての暮らしをし、健康の維持に携われ継続ならとの想いは強く動じない。信じることは、疑わぬことと通じ小さな想いから視えてくるものと覚える。品物は金銭があれば求められるも、心は買えはしない。他人の想いを汲む所作は、かけがえなく徳と至る。

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季節は如月へと

2024年03月08日 | Weblog

 旧暦の睦月も過ぎようと、如月に移行しているものの気温は低く寒さを堪える。例年なら、日増しに暖かさが増し草取りなのだが今年は変化も激しい。今朝は、午前中に生協の総会出席と早起きした。昨夜は雨神来訪と、枇杷葉に雫溜まり滴りつ薄日が射している。

 体調維持には、粗食が良いと心掛けてはいる為変化はない。温かな物を戴き、身体への負担を減らし三食考えて作る。生協の注文だと、余分な品を買うことも無く計画購入になる有難さ。燃料費の高昇もあり、収入が決まっていると全体の出費を抑えてでないと無理。

 近場の青空市にも、序のことが多く旬の野菜を求める。葱や白菜・大根等、調理方法にも工夫し庭の蓬も天婦羅と愉しむ。そろそろ木通の新芽が出るのも、つわ蕗を茹でて散らし寿しにと心も弾む。身近な物に命の宿りを感じつ、季節の多用途を想えることに感謝す。

 自然からの贈り物を、どのように受け取るかは各々異なる。自らを律していけば、心豊かに暮らせるとも訓えられる有難さ。他人の真似ではなくして、あれこれと知恵と工夫を思えば愉しみは増える。気づけることへの何とうれしさ、大きな歓びに繋がると疑わぬこととも。

 追記 生協の総代会にて、光害と香害の話しをしながら基本に却って活動をと苦言。建前は良くても、実際の取り組みは及ばない現実と胸のしこり取れず。帰宅してPCを前にメールを見ていたら、鳥山明死去とある。あられちゃん・がっちゃん作者、68歳と記される。

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身体を維持することにも

2024年03月07日 | Weblog

 自然治癒力を身体に秘めるが、医者に罹れば注射と薬の処方をされ通うことになる仕組み。薬害の云々説明なく、処方を守るも体質に合わないこと度々ある。受診の際には個人情報の開示、肝心な状態云々ではなくデータに頼る有様。患者を看ずして何が分るの?

 体の部位は、年齢と共に細胞も壊れ支障も出て来るは年月故。どんな薬も然したる効果なく、個人の気力や体力に大きく拘わるとも思える。それらを一時的に止めたり、緩くさせる働きなのが枇杷葉。但し、各々の症状や環境に左右されるし一概に絶対と云うことなく。

 枇杷葉茶の茶葉を作る時期や、煎じる方法に水質問題が大きく絡んでくるのだ。カルキ臭のある水を浄化装置で改善したりも、メーカーの如何もある。天然のも成分や好みから、影響は著しく異なる。自分で納得して行い、異変を感じたらやり方を再度考えること留め。

 人間の身体は、何で出来ているのだろう。様々な役割の臓器や骨に肉・脂肪等、それらを覆う皮膚と知っているが血液を忘れてはならぬ。これが体内中を駆け巡るから、心臓も動く。細胞が劣化して、誕生するに欠かせない役割なのは明らかな生命維持と覚える為り。

 枇杷葉茶飲用して、二十年近くなり気づくこと多くありて。膝の痛みや足の疲れ帯状疱疹等、異変の現われには年齢否定できず血流が悪くなった証拠。視力の低下や、頭の働きには血管が塞がったり破れたりが起きる。毛細血管に対処するには、マクロの自然掃除機。

 価値観の違いも大きいものの、夏の身体は冬にその反対を行う自然の仕組み。それらが判って気づいてからは、食材も旬の季節を戴く。冬に夏の野菜や、暖房の利いた部屋での冷たい物は摂取しないとした。仕事を辞めて6年、不調を訴えることも無く医者には罹らず。

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命は繋がりゆく・小潮

2024年03月06日 | Weblog

 庭の徘徊時にクリスマスローズあちこち咲き、室内の出窓や陽射しのあたる場所シクラメン・ベゴニアと静かに眺める。朝、お茶湯を新しくする際注ぐ。とりたたてのことはしなく、冬場は水を控える。シクラメンは何十年も咲いてくれ、その花が種を零し発芽していく愉しみに。

 年金暮らしのこの頃は、苗花木店へ行くのも土であり季節外れを求める。何年も咲くかと思えば、一季限りとなるのも少なくない。自然からの恩恵のみで育てている為、然して成長は及ばずなのだ。毎朝の声掛けの際、心が静かに安らげることは何という有難さだろうとも。

 ブログ更新時の画面に、何やら見かけぬ事項が出てきている。以前には、そういう箇所を触ってしまい意に反する事態になった。便利さと引き換えのあの手この手は、機械オンチには堪え難い。パソコンの知識や資格があろうと、慣れていくことも必要なのを再認識する。

 足湯に行きたいとの連絡があり、午後から来訪となる。雨は止んだが薄日の射す曇りに、身体は違和感を覚える。数字も弥勒の出没多く有りて、エンジェルナンバーも続出に気持ちを新たに。乙羽信子・宇野重吉、愛妻物語を観たり不動明王の存在を知った意味は大。

 偶然ではなく、必然的に現れて視えることには自らの気持ちを問う意味もある。心を鎮め清らかに保つ心根は、自然からの贈り物と心得る。感謝しなければ?否とも思えるのは、与えられても求めずとも。素直で正直なことこそ自らの使命と役割ならぬ行いへと、繋がり亘。

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啓蟄・長潮・睦月

2024年03月05日 | Weblog

 二十四節気 啓蟄 地中で冬眠した虫類が、陽気で地上に這い出す頃の意で、啓蟄と云う。毎年、三月六日頃である。今年は閏年で、一日早くなっておりこれ以後の節気もずれていく。季節は確実に仲春へと向かい、日増しに陽射しも明るくなるのが肌寒さ拭えない。

 昨夜からの雨に、洗濯物をしたものの外には干せない。気温も低くく除湿器を点け室内、洗剤を使わぬので厭な臭いはせずが良い。香料の人工的な物を身体に取り込むと痒さだけではなく、呼吸困難に陥る。煙草は以ての外で、眩暈や心肺停止を引き起こす物体。

 皮膚への影響も少なからず、赤くなったかと思う間に衣類と擦れて爛れる。敏感肌でもあると知り、洗剤ではなくボディソープを使うようになって改善した。生協の桃エキス配合は、夏場の汗疹や肌荒れに良いのと安さに購入。昨今は、価格倍になり買い置きも儘ならず。

 枇杷湯の時には、パックスナチュロンの枇杷エキス配合を使用し洗髪も。身体の痒みもだが、頭髪のフケが消え艶やかになり吃驚。粗塩での洗顔もあり湯上りの状態は、湯が肌を滑り落ちる。同時に湯冷めなく、風邪の症状極めて罹らず健康維持できるのは有難いこと。

 枇杷葉茶で体内の毒素を排出し、枇杷湯に浸るためと思うが苦肉の策からでもある。今までも、枇杷葉に援けられ細胞の活性化に驚く日々を更に務めた。命への慈しみや感謝を想うなら、自然の力を借りつつ無理や無茶をしないとも。生かされて逝く、歓びに通じる為り。

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睦月・下弦・小潮

2024年03月04日 | Weblog

 今朝も晴れてに気温は低く、小豆懐炉をし動いているが指先冷たさに固まる。例年なら徐々に暖かさを増すものだが、温暖化の影響から冬に逆戻りのことや初夏の気温に飛ぶ。その都度、衣類の調整を試みつ身体への急激な違和感対応となる。この時期、氷点下記録。

 今週は、生協の総代会や団地の総会と続く。睦月の終盤に相応しい行事と、参加する予定でいる。総会を済ませれば責任も果たせ、気持ちも落ち着く。名ばかりの会長ではあるものの思う処もあり、複雑極まる。注意1秒怪我一生、要は危険を感じねば云うべからずとも。

 寒い時期には温かい物を口に、暑い時期はその反対と摂取しておけば身体も持ち堪える。野菜も其々に旬がある為、可能な限り旬を考えて求めている。青空市に出向けば、年中並ぶ物でない食材を手にし食卓にあげられる。寒さには弱いが、堪えられる心も養える。

 医者に罹らぬには、自然からの知恵と工夫に由り創意していくとも思える。添加物も防腐剤、化学物質等異物が身体に侵入すれば思わしくない結果。病院に行けば待ち時間膨大の上に、薬合わず。Drの中には、薬の怖さや身体は自然治癒能力と話され心に沁みた。

 仕事を辞め、長年の生活を換えたら体調維持は難無くである。インスタントや賄い物等は少なくなのも、田舎に棲むゆえの暮らしに繋がる。不便さはあって然りと思え、小さな命を感謝して戴ければ気持ちは和らぐ。あれこれの不足なく、与えて貰える歓びとなり逝く者為り。

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耳縁りて視えし聴こえ心に亘る

2024年03月03日 | Weblog

 今朝の気温-1℃に、すばると布団から出でず温もりを貪る。湯たんぽは足元に温かく、空気清み青空が広がる。然し、指先の感覚怪しいのも洗濯さえ怠け心。一連の朝の行いをしていく中に珈琲を挽いて淹れれば気持ち落ち着き、枇杷湯ストーブにてかけたれば煎じて。

 ここ数日、向田邦子作品に田中裕子主演を見つけた。二十四の瞳・DVD、手に入らず観ていない。小豆島に渡り、坪井栄生誕の場所まで行くが観光化されて当時の面影は薄く感じてしまう。初夏の風爽やかに、オリーブの実青く揺れているさまは新鮮と瀬戸内海穏やか。

 昨夜、検索していて見つけたのが、南総里見八犬伝。名刀村雨の謂れ、浜路と犬塚信乃との仲から物語の展開。NHKの人形劇が殊更に懐かしく、久しく途絶えていた原作に想いが逸る。これは日本のSFの原点とも云え、御伽草子ではかぐや姫が当たるをご存じですか。

 エンジェルナンバーが示す数字は、他人は知らず今を必要と現れて来る。これも観られるのは一度限で、繰り返せない為心に留めるもの。偶然に?否必然的に訓え、行く先を示す。事象が現れる頻度にも因るが、迷いではなく心せよと促し誘われるとも覚え感謝祈り於く。

 三日ばかり気温も上がらず、庭の徘徊時梅の香漂うも室内に籠る。台所の出窓に置いたシクラメンや、居間の鉢物・ベゴニア花を咲かせしに心和む有難さ。新聞に目を通し、枇杷葉茶の温もり咽喉を潤し静かな一時。宇宙から与えて貰えることの何と多くあるのだろうかとも。

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ソクラテスの弁明

2024年03月02日 | Weblog

 哲学の知識は非ず及ばずと自覚しているが、言い訳を繰り返し知らぬ存じぬ口先三寸とは。世の中を糺し、庶民の生活を補う事案を決めるとは反対の施策。濡れ手に粟、税金を懐に終えばよいのだろう。今朝の新聞を読みながら、ここまで腐敗している祭りごとに憂う也。

 第五福竜丸を始め、多くの漁船に乗っていた方々が被爆したアメリカの水爆実験。リエさんと夢の島に赴き、変わり果てた物体を眼にして立ち尽くした。甲板に上がれると云うが、彼等の姿視え足が動かなかった。核の廃絶を国連に話せど未だ、原発稼働止めず再稼働。

 戦争をしてはいけない、話し合いで解決との建前ばかり武器は造られ堂々と渡っていく。国のトップに立つ者だけなら、巻き添えは起こらぬ。仕掛ける者が居ても、受けなければ争いにはならない。命を粗末にしてはならないと言いながら、手にする武器は殺傷するのだわ。

 正しいことって何だろう?神の裁きは、一体何を意味するの。地球の嘆きが聴こえるの、視えてくるのです。人間だけが棲む星・惑星ではありません!野の草や木がなかったら人も生きてはいけないのよ。草如きではなく、援け支えての存在を消せば人類も滅亡していくのに。

 他人を愛することは、自らを赦して逝くことに通じると想うわ。長島愛生園へ行きし時に、乱舞する鳳凰をリエさんと観たのは其処に眠る方々の魂を浄化する役目。天空を視やり、清らかな気持ちと光に包まれた光景が甦る。刻既に満ちたと、弥勒の訓えあるのを胸に秘めて。

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