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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

うさぎのダンス・30

2023年03月11日 | Weblog
 ふみこの養女の話は立ち消えになり、その原因は兄の一言で自分達よりも妹が裕福な家に貰われて行くのに我慢できずだ。さもしい心でしかない兄にがっかりもし、ふみこは自分の居場所を見失う。あれからあの小母さんに会うと「家の子になってはくれんてふみちゃん、大事にするし何でもしたいことさせるのに」

 ふみこは、返事に困って俯いてしまう。小母さんには、長い間待っても子が授からず神社で伺うと白羽の矢はふみこと告げたらしい。小母さんは、笑顔の下に哀しみを隠してふみこを見つめる。「あたしは…、小母ちゃん好きじゃけど」ふみこは次のことばが続かない。祖母は、ふみこの持つ力を恐れての反対だが。

 秋の風が身に沁み込み、寒がりのふみこは首を縮める季節に学芸会の出し物が知らされた。二年生は、うさぎのダンスを女子全員が躍ることに決まった。ふみこが不機嫌な思いで帰宅すると、祖母が「心配するな、ちゃんとしてやるから」その手で蚕の残り生糸を紡ぎ、機織り機に腰掛けると布を織る段取りを始めた。

 ふみこは、農繁期でなくてよかったとほっとした。蚕の吐き出した繭は売り物だが、選り分けると屑も出てくる。祖母はそれらを捨てないでおき、操機で挽いて糸にする。真綿は温かく湿気を寄せない為に貴重品で、祖母にかかれば手品のように布に換わる。だが祖母の織った布は足らずになり、衣装は仕上がらない。

 ふみこは泣きそうだったが堪え、祖母が織った布を手にして「ばあちゃん、下だけでええからな」「そうか、そんなら上は肌着を縫い代えてやろうな」それは祖母が嫁入りの時に持参した物に違いない。ふみこはこの時ほど、貧乏が悔しく思えたことはない。だが衣装は、眩い光沢を放つ真新しい絹の布地で出来ていた。
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うさぎのダンス・29

2023年03月10日 | Weblog
 砂時計だ!ふみこはそれが何を意味していたかに気づいた。もう一つのからくり時計を持っていた人が、いたはずなんじゃ。あたしをふみこと呼んでいた…誰?どこに居るんじゃろ。祖母が布団に正座して手招く、ふみこはその前の畳に座わり「ばあちゃん、なんでこれを持っとん?」ふみこは怪訝な顔を祖母に向ける。

 祖母は、ふみこの瞳を真正面に見て「これはなぁ、まさ婆が死ぬ前に大切にしてくれと渡した物よ」まさ婆?誰だったろう…なぜか懐かしい心になれる。「娘のおらに失くさねぇで、決して誰にも見せちゃならんときつうに言うてな」「まさ婆って、ばあちゃんの母さんか?」そうじゃと祖母は頷き、ふみこを見つめた。

 ああ・そうなんだ。ふみこはまざまざと記憶が甦り、まさ婆が突然現れた二人に殊更驚きもせず親身になってくれたのが分った。リョウさん!あの児はリョウと云った。月の世界に送って往き、そこからまさ婆の時に紛れ込んでいたのだ。リョウさんは、どこにおるんかな?ふみこの胸に不安が波立ち止まらなくなった。

 祖母は顔を強張らせ「あの方は月へ帰らんさった」ふみこは、思い出そうとしてはっとした。リョウさん川で溺れなさったけど、死んだんじゃなく月に還えれたんじゃな。ふみこは月を観上げる度に、切なく堪らなくなるのが漸くのことに分かった。祖母は不思議な縁を感じる反面、ふみこが持つ力に戸惑いも隠せずだ。

 ふみこは障子の向こうに立てた戸袋の隙間から漏れ零れる、月光に包まれこんで眠った。秋祭りが始終賑やかに行われ神事を祝うと、取り入れが始まる。お宮の北隣にある小母さんが家にやって来たのはその頃で、ふみこを養女にと言う。ふみこは兄や妹と離れられるのが何よりもうれしく思うものの、祖母との別れは辛い。
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うさぎのダンス・28

2023年03月09日 | Weblog
 夏休みも最後の日、ふみこは宿題に大わらわだ。真面目にしようにも、朝早くからすることが多過ぎる上に暑さに落着かない。ラジオ体操を早朝にすれば、机に向かう兄に感心していたが気づくのに遅かった。「兄ちゃん、23足す8って何なん」「アホ自分で考えや、手と足を使ったら分ろうが」手の指は10本足も同じ数。

 ふみこは仕方なく、紙に書いて計算し適当に□を埋めていく。算数は苦手で頭まで痛くなるが、国語は知らない物語が載っていると惹き込まれてしまう。ふみこの通う小学校には、図書室すらなかった。祖母は昔の尋常高等小学校に一年しか通えなかったそうだが、お伽噺の面白さにふみこは風呂焚きする傍で耳を傾ける。

 かぐや姫の噺になると、妙に心がざわついてしまうが何故だろう?何だか月に往ったような気もする。今晩は満月で中秋の名月という夜、涼やかな銀色の光りが満ちて降り注いでいるように観え「ばあちゃん、月には兎がおるんかな」「おるともさ、見てみぃあそこで踊っとるがな」ふみこの耳に、澄んだ鈴の音がし始めた。

 兎は…白兎と玉兎で、あの道を連れて行ってくれたんではなかったかな。あれぇ?誰か一緒にいたんじゃわ、眉毛のきりっとした顔に、引き結んだ口とやさしい笑い声がしてなかっただろうか。ふみこの名まえを呼ぶ声が、遠い時へと螺旋階段を下りて行くのだった。誰なのかが声も顔も覚えているのに、思い出せないのだ。

 ふみこは身体を思わず震わせ、何だか気持ちが高まって夜空に吸込まれていくようだ。「お月さんに、宮殿があるかな」祖母は険しい顔つきになり、ふみこを家に引き入れ「夜露を浴び過ぎたらいけん、魂まで持っていかれるんぞ」ふみこは布団に潜ろうとして、祖母の箪笥の上に置いてある物を見つけ記憶の渦に捉われた。
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蜜蜂の飛ぶ日に

2023年03月08日 | Weblog
 先日、生協の総代会への参加を何気に申し込んでいて抜け落ちていた。今日は出席してとの要望に出掛けたが、これが間違いだった。えへへ…謂わず長もで、迷う。漸くのことに辿り着いたが、それだけで疲労困憊に。出不精の痩せ我慢とはこのことと、反省頻りです。近道をしようとしてはいけないとも気づく。

 気温は21℃との温かさにも逆上せそうなのに、初場所に向かう為でもあった。時間は余裕を充分での出発をしたのだが、今後は行かないと独りごちる。緊張感は半端なく、事故にだけは遭遇したくないので安全運転を心がけてだ。途中で、エンゼルナンバーの続出に気を引き締めて行ったのも好かったと感謝する。

 遅れての参加だったが、一応見做して貰えたので交通費が出るようだ。やっぱねぇ、慣れた場所と至近距離が好いわよと曇り空を見上げた。珈琲は挽いて淹れたのを持参と、枇杷葉茶も携帯してなのでお昼は凌げた。昼食は抜かしても問題なく、朝ごはんをきちんと戴くのでハーゲンダッツのアイスを口に一息した。

 で・順調にいけば連載の続きになるのだが、思考回路がショートして止めた。誰も待ちはしないと思うが、身体の異変は精神的な影響を多大に受けると知る。こういう時に事故が起きたらとの不安が募ると、正常な運転が怪しくなるではと諫める。次回の免許更新はしないと決めているので、それまでは慎重を心に。

 目的地を往復しながらだと、沿道の景色は梅が咲き終わり桜の蕾が風に揺れている。コロナ騒ぎが緩んで、またぞろ花見に講じるようだ。世間は冷え込んでの生活なのに、税金を使っての役目を果たさぬ輩もいるのに絶句。可笑しな世の中になり、災害は勃発してでロケットは不発の有様。勿体ないなぁ、その大金が。
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うさぎのダンス・27

2023年03月07日 | Weblog
 ふみこと幼馴染とは、家を二軒離した距離にあり裕福なのでお八つがある。見せびらかされても一度としてもらったことはなく、遊びに行っても庭で待ち玄関さえ入るのを遠慮な家だ。その幼馴染が「アイスな、冷たくておいしいんよ」と自慢げに言う。ふみこは夏の暑い日に「ばあちゃん、アイスって知っとるんか?」

 祖母は少し考えていたが、おもむろに座敷に上がり箪笥の引き出しを開けて十円札を取り出した。ついでに弁当缶を持たされ、下の店まで三人分を買いに行けと言う。「なんじゃ兄やんの分もか?走って帰らにゃいけんが」ふみこが口を尖らせると、祖母は「ふみこは速う走るでな」すっかり煽てられふみこは駆けた。

 アイスを一なめしたふみこは満足で、世の中にこんな冷たくておいしい物があり幼馴染はいつも口にしていると羨ましかった。服も綺麗で可愛らしい恰好をして、ふみこのように泥がついていることもない。遊ぶのもお人形相手で、ふみこの買ってはもらえない高価な物だ。お雛様さえ、ふみこのは見当たらず叔母のだ。

 夏の休みは長く四十数日で、途中で何回かの登校をするが遊ぶのには事欠かないふみこだ。蝉を捕まえるのも素手で、網は直ぐに破れて役に立たなくしてしまう。樹の上で鳴いているのには、するするとよじ登り息を殺しておいて捕る。虫篭には動けない程の蝉がいて、母親は呆れ果て佃煮にするんか!と怒られる始末。

 夏休みの間中、川にも行き鮠を捕るのに夢中になる。魚篭に追い込んでいく為、男の子顔負けの素早さなのも気に入らぬようだ。井戸水は冷たく、祖母が吊るしている瓜や西瓜は格別だ。陽射しは容赦なく照りつけ、川の水を柄杓で梳くっては手桶に汲み畑まで運ぶ。畑に生り熟れている野菜を、直に齧る味は格別也。

 暦 如月・望・大潮 当地の気温は19℃となる。
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うさぎのダンス・26

2023年03月06日 | Weblog
 ふみこの家は、お宮から見れば西側の山裾を切り開いた所に建つ。お宮は北東の場所に、石段を百八積み重ねた上に社がある。祖母は狐火を静かに見ながら「こりゃ玉藻の前さんが、啼いとりんさるな」「誰なん?玉藻の前って…」「ずうっと昔のことじゃ、都を騒がしたいうてな那須野の殺生石に封じこまれたんじゃわ」

 ふぅ~ん。でも何でお宮に狐火の飛ぶのかが、ふみこには分らない。祖母は、まるでその時代にいたように話す。ふみこの呆けた異様な瞳を見た祖母は「もう寝ようぞ。ええかふみこ、今夜のことは誰にも言うちゃならんぞ」祖母に腕を掴まれ、ふみこは振り返りながら家に入り布団に潜るが目は冴えて眠るどころではない。

 祖母は、翌朝何も無かったように草刈りを終えて牛の世話をしていた。ふみこの髪を結うのも、竈の湯を撫でつけ括り学校に送り出した。学校では授業中眠く、先生の声が低いため居眠りがついた。下校時間に幼馴染を探すと、廊下にいた。今日は一緒には帰らないと頭を振るのは、昨日のことが原因で姉を待つらしい。

 ふみこは、一人の方が気ままにできるので平気だ。帰り道は、田の畔を飛び跳ねるのが楽しいのだ。畔には野の花が咲いているし、蛙や蛇も小さな虫も見つけてはあいさつする。そろそろ田植えが始まるので、川からの水の出入り口を直したりと立ち働く姿が多い。「ふみちゃん、道を通らずには危ないから気をつけや」

 ふみこはこくりと頷くが、飛んだり跳ね下りたりとじっとしていない。制服はたちまちにして泥だらけ、母親の小言が聞こえる。ふみこはランドセルにスカートを突っ込むと、下着になり道草を続けていた。その様を兄に見られたようで、夕飯の時に母親の雷が落ち正座を強いられた。痺れがきれて足がじんじんしてこけた。

 二十四節気 啓蟄 地中で冬眠した虫類が、陽気で地上に這い出す頃の意で、啓蟄という。毎年、三月六日頃である。暦・八せん終り・大潮。
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庭に出て・大潮・如月

2023年03月05日 | Weblog
 ここ数日、クリスマスローズの株分けと鉢増しや移動をしている。冬の間は、玄関で花を咲かせていた。風が中るので土の表面がからからになるわ、落下するのに東側に持ち込む。其処にあって咲き始めたのは南に、土を入れ換え水遣りが出来る場所へと移した。一気に庭が華やぎを見せ、陽射しにうれしそうに感じる。

 朝、布団を広げて洗濯物を干しての作業だ。ブログの閲覧もそこそこに庭に出てだが、気温の上昇に温かさより暑さを感じた。意外と手間取ってしまうが、途中止めには出来ないしで陽射しの中で遣り終えた。昼食は昨日の散らし寿しなので、汁と一緒に戴いた。予定があると云えば、無いことはなくの年中無休者です。

 枇杷葉も、次々と花芽の状態が咲いており有難いこと。観葉植物が怪しいのを風呂場に移動させている。枇杷湯の湯気で、復活を頼みにして持ち込んだがどうか?シャコバサボテンが咲いたのであればと多少の期待も。何れにしても、自分で判断の行動だが身体が動くのは有難い。創作の構想も明日からの展開を思考中。

 花粉症の兆しは・今年多いと賑やかだが、瞼の痒みもなく済んでいる。咽喉の調子が変だなと感じれば、花芽のエキスを塗布すれば落ち着く。無論のこと、日常的には化粧水でたっぷりを使うので肌荒れ等一切なし。年金だけの暮らしでは余分な出費は抑えたく、手元にある枇杷葉が大活躍なのは確かだ。体調は絶好調。

 出不精ではなく、痩せ我慢?そうかも知れぬが医者に行く時間も罹る費用も勿体ない。図書館で借りた書籍が読みたいし、其処からの知識を体内に入れ込み消化させてでなければ言葉は紡げないのよ。従って個人的には常套句や、お世辞は真平。自分なりの工夫をしたりが愉しくあればと、今日も鼻歌混じりで過ごそう。

 小説連載への応援を、いつもありがとうございます。拙ブログへの書き込みや、訪問先での感謝もお礼申します。何時まで続くんだろう?
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うさぎのダンス・25

2023年03月04日 | Weblog
 あれは夢だったのか…違う!夢などではない証拠に、ふみこの足裏には土が付いていた。祖母に連れて行かれる時には、裸足のままであるのを気にも留めず歩いていたものだ。不思議な出来事であり、半信半疑の気持ちが沸き上がるのを白龍の姿が諫める。どんなに辺りを見回そうと、あの景色も枇杷の樹もない。

 ふみこは、幼馴染と一緒に学校から帰っていた。坂道を上がるとお宮が見えるが、微かな記憶にふと立ち止まり階段を見上げた。ここで誰かと、瞳の涼やかな愛らしい児に遇った気がしてならない。同級生は、幼馴染ばかりの三十人程だがその中にはいない。「ふみちゃん帰ろ、何しとんよ。狐が出たらどうする」

 ふみこはふふんと鼻先で笑い、幼馴染に背を向け振り返って一声鳴いてみせた。コン!ふみこは指を口端にかけ引っ張っているので、狐に見えたのだ。幼馴染はへたり込むと大声で泣きだした。しまったと思った時には、田に出ている者や近所の大人が集まり大騒動。泣き虫の幼馴染をからかうものではなかった。

 祖母は、そのことを聴いてふみこに揚げを買いに走らせた。豆腐屋の小母さんは、新聞紙に包むと焦げた揚げを「売れんからな、食べや」ふみこはにこっとし「ありがとう、もらってええん」小母さんは、ふみこの分にも新聞紙で巻いてくれた。「ふみちゃん、ええ顔で笑うんだねぇ」途端にふみこの顔は強張る。

 その夜、ふみこは厠に起きた。そこに行くには表戸を開けねばで、下に石の階段もある。寝ぼけ眼の足元は怪しく、大抵祖母が付いて来てくれる。初夏の風の爽やかな夜で、ふみこは用足しを済ませ石段を上がるとお宮がひどく明るいのに気づいた。狐火がお宮を照らして、宙を舞う様をふみこは呆然と見ていた。
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うさぎのダンス・24

2023年03月03日 | Weblog
 それは明けて行く時には間のある、例えて云えばもう少し眠りたい気もするまどろみの中でふみこは祖母の声を聴いた。「ふみこ、ついておいで」ふみこは醒めない眼を擦り、祖母の後を追う。山を切り開いた裾野には田が幾段にもあって続き、細い路から畔に移り平地に出ると大きな樹が井戸の側に見えてきた。

 ふみこは何の樹だろう?と瞬きもせずに見ていると「これは枇杷じゃ、この樹を使って訪なう者を援けてやれ」「誰をなん?何の為にするんじゃ」祖母は、事細やかに遣り方を話しふみこに云い聴かせた。「あたしにできるんかな?」思えば必ず、と祖母は頷くがふみこには疑いの心が沸き上がって眉間をよせる。

 ふと、何かに視られているような気がした。枇杷の樹に影が見えて、それがするすると地に降り姿を現す。龍だ!それも白い龍が、涼しい彩の瞳を向けてふみこを見つめている。おいで、おまえの使命を果たせるように魅せてやろう。白龍はふみこの心を捉え、鉤裂きの拳で背に乗せ上げ瞬時に宙を翔けだした。

 それはこれからを告げる事象で、ふみこの心に容赦なく侵入し蓄積していく。それらを視ていると、背筋の凍りつく風景も飛び込んで来るのだ。何故?どうしてなの?あたしには何もできない、ふみこは思わずかぶりを振った。おまえの力に気づく者は同胞だが、利用されることも多く災いも転じてを覚悟せよ。

 ふみこは、白龍の背で身じろぎもできない。辺りに景色は何もなく、耳には白龍の訓えだけが聴こえ溜る。静寂な時空に浮かぶのはふみこと白龍の他いず、身体中に何かが溢れていくのも確かなこと。おまえが使命を拒んだり忘れそうな時に、我は姿を魅せるであろう。ふみこは惑乱しそうだが、努めて頷いた。
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変幻自在?気温の激変

2023年03月02日 | Weblog
 今朝は10℃で、寒さの体感度はないものの昨日より冷える。すばるが寒いとお冠で、止む無くストーブ点火となる。電気代もだが、灯油も決して安くはなくどっちを取るかに悩む。枇杷葉茶を煎じるだけなのを目的にして、暖房は我慢しよう。腰痛は冷えから来るので、昨年の師走に漬けているのを手ぬぐいに包んで当てる。

 他者のブログでは、診断書の高額な金額に仰け反るばかり。年齢を重ねていけば、身体の機能は衰えが出るのは正直な処で防止策はない。運動をしようや歩きましょうには閉口する、仕事を辞めてからは時間はたっぷりなのも有難く適度な動きに。洗濯は風呂の残り湯を使い、濯ぎには水遣りと用途も多い。使い切りが前提。

 図書館に返却に行き、姿勢の良さを褒められて足が自分の頭まで上がる実演を。恐らく年齢を誤魔化せても還暦前で通るとの自負も、強ち間違っていない。今冬の寒さに堪えられたのも、枇杷葉茶での血管の掃除が縦横無尽であったからだ。疲れ知らずでもあり、体力や気力の維持に大いに役立つ。エキスの化粧水は最高よ。

 冬場に肌が乾燥してのことにも対応できるが、枇杷湯で入れば一挙両得なの。我が家のは無農薬であり、寒中物なので甘露と美味しい。自律神経にも著しい効果がみられ、心が癒されて落ちくのも確かだと思うのだが他人成りの思考までは感知せず。耳はあっても、聴こうとしないのだからこれは云えぬ。三日坊主は居るの。

 現代農業を月遅れで借りているが、内容的には充分役立つ。書籍も本箱に収まっているだけではと、時折取り出す。必要な事項は心で想えば眼に入るのもうれしく、ネットを観なくても分る。膨大な中から選んだりだと、その時間に体力・気力の消耗が激しい。それよりも本が読みたく、創作の続きを思考するのは愉しいね。
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