日中の気温が上昇し、窓を開けていても寒くない。ここ数日、寒さがぶり返していたので、気の抜けたような暖かさ。じっとしていては眠気を誘うので、分担の業務をこなす。午後から近場へと散策にも行き、近々ドライブにも行く予定。然し、夜間は冷える。
昨日の式典の記事が、新聞に載っている。日本は、島国なので、地震や津波には太刀打ちできない。何度見舞われても乗り越えてきたが、原発の放射線には向う術がない。科学者の殆んどが、その事実を知っており、危険性も事故も認識していたのだ。
庶民の中にも、或いはという想いを抱き、もしかするとの不安もあったのを、安心・安全というお金にすり替えて惑わせた。そうなったら口を噤むしかない。日本人の習性でもある。人間の浴びる放射線の数値が、幾ら位と決まっていても、安全の保障はない。
あの3年前に還ることが可能なら、どんなにいいだろう。だが、其処に還ったとして、原発をどうするのか。人間の一人独りが、明るい未来を想定するのではなく、多少の不便さはあっても、心の豊かな生き方をしたい。文明に慣れても、自然には狎れない。
先日、同僚に菜の花ちらし寿しを作って上げたが、婚約者の男性にお礼の文をもらった。この前は、ちらし寿司ごちそう様でした。とてもおいしく頂きました。また、機会があればよろしくお願いします。サイン。きちんとした字である。芯があり、礼節もよろしい。
帰宅して、枇杷葉の生葉を採る。腰痛には、冷やさないことが肝心だが、痛みの症状を和らげるには、枇杷葉温圧療法が何よりだ。整体に行ったり、外科治療を高じてもおいそれとは治らない。1年を通じて、絶対に冷やさないことを、厳守することが大切だ。
病院に行かねば、治療とは認めないのも可笑しい。介護の仕事をしていれば当然、腰を痛める。研修に参加し、抱えない介護や、器具を使うことも学んだが、うっかり痛めることが間々あるのだ。年中、腹巻を離さない。毎晩蒟蒻を温めて枇杷葉と当てる。
それでも、勤務する以上は、そういったことを理由にはしたくない。本当に痛みがあるなら休む。給料をもらうのだから、平等である筈だ。どんな仕事も、楽をして得る物には、必ず見返りがあろう。自分で納得をした仕事に励みたい。その努力をしたいもの。
晩秋の庭に咲く、ミニバラ。枇杷葉の苗も、涼しくなった風に木丈を伸ばす。鉢植えにしているので、そろそろ地植に。
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