愛鳥ねぇ・・・。舌切り雀でもないが、鶏を飼っておられる方には、如何せん感謝である。様々な被害をものともせず、生活のためにされていることで、消費者は買っている。昔は、鶏の肉はご馳走で、余程の客か、お祭り・正月でないと口に出来なかった。贅沢になったものである。人間への尊い犠牲を思う。
新聞紙上での言葉使いに、疑問を感じることがある。上げるは、差し上げるの意で、何処にでも使用できないと考えるが、昨今の事情では滅多矢鱈と書かれている。正しい日本語であってもらいたい。特にメデェアは、標準語でいいのではと思う。郵便局に行ったら、国会中継をしていた。記憶にございません。
脳の問題があるとかで、これははっきり認知症ではないか。嘘ばっかり吐いて、閻魔さまに舌を抜かれるよ。無論、こういう方は、地獄往きとなる筈だが、袖の下を噛ますから、地獄の門も金次第であろう。不公平であるのだ。仏の顔も三度とも言われるが、そこは通行証でどうにでもなる。きっと良心はない。
先日、横田悦子さんの夢を視た。ご主人と仲睦まじく、何を話されているのか、ころころと笑っておられた。わたくしの訪いを待っていてくれるのか?約束が中々果たせないので、痺れをきらしたものか。夕方、電話を入れたら謎が解けた。今年の枇杷を持って行こうと決めた。ご主人には内緒にしておこう。
すばるの喉が気になって、通草酒を口に流し込む。少しは良くなったのか?喉のゴロゴロが未だ気にかかる。でも、あけびは痰の絡みに実によく効く。医者嫌いのわたくしにとっては、この上ない自然からの恩恵だ。現実問題では、儲けをすればいいのだが、高価な物には金銭の出し惜しみがある。自分に還る。
今朝は雲が多いながらも、天気である。蒲団を干して、洗濯機を回す。然し、気温は相変わらず低いので、薄手のセーターを着用する。風邪は引きたくないが、如何なることにも対処出来るかは疑問もある。健康でいられること、病を持ち込まないことも大切だろう。自分の為にせっせと枇杷葉茶を飲む日々だ。
リエさんから、父上さまの7回忌の記念品が届く。素敵な書籍ですね。表紙も感じがいいです。瞳みのるさんが見たら、よろこびそうな内容。幼い日に、母親ではなく祖母が歌っていた、数々の童謡。その原風景に一瞬翔けるのは、記憶の残像だろうかとも。祖母も両親も既に亡く、あの頃を語る者とていない。
袋掛けを終え、やれやれの心境で、ふと幹を見たら、新芽が芽吹いていた。剪定をしたら、何処からか発芽する。