安倍晋三のお門違いな拉致問題、田中均元外務審議官批判 自身の無能を知れ

2013-06-14 09:31:53 | Weblog



 安倍晋三が自身のフェイスブックで拉致問題について田中均元外務審議官を批判していることをマスコミ報道で知ったので、安倍晋三のフェースブックにアクセスしてみた。次のように発言している。6月12日午後5時頃の投稿らしい。 

 安倍晋三 毎日新聞のコラムで元外務省の田中均氏が、安倍政権の外交政策について語っています。

このインタビューを読んで、私は11年前の官房副長官室での出来事を思い出しました。

拉致被害者5人を北朝鮮の要求通り返すのかどうか。

彼は被害者の皆さんの「日本に残って子供たちを待つ」との考えを覆してでも北朝鮮の要求通り北朝鮮に送り返すべきだと強く主張しました。

私は職を賭してでも「日本に残すべきだ」と判断し、小泉総理の了解をとり5人の被害者は日本に留まりました。

... 予想通りその判断は毎日新聞や一部マスコミからも批判的に報道されました。

しかし、その後 田中均局長を通し伝えられた北朝鮮の主張の多くがデタラメであった事が拉致被害者の証言等を通じ明らかになりました。

あの時田中均局長の判断が通っていたら5人の被害者や子供たちはいまだに北朝鮮に閉じ込められていた事でしょう。

外交官として決定的判断ミスと言えるでしょう。それ以前の問題かもしれません。

そもそも彼は交渉記録を一部残していません。彼に外交を語る資格はありません。 

 要するに田中均が毎日新聞のコラムで話した安倍政権の外交政策が面白くないから意趣返しをした。

 意趣返しと表現したのは安倍晋三が田中均の発言に、いつもの遣り方で直接的に満足に答えていないからだ。

 安倍晋三が言っている毎日新聞の記事から、安倍政権の右傾化と飯島訪朝について批判している箇所を参考引用し、安倍晋三の田中批判が意趣返しでしかないことを証明する。未読の方で全文を読みたい場合はリンクを付けておいたから、アクセスして頂きたい。

 《守主義と歴史認識:/1 右傾化、日本攻撃の口実に 田中均氏に聞く》毎日jp/2013年06月12日)

 記者「諸外国で日本の右傾化に懸念が強まっていると聞きます」

 田中均「外国での国際会議などで、日本が極端な右傾化をしているという声が聞こえる。一方、安倍政権ができ、アベノミクス効果などで日本も政治の停滞を抜け出すのではないかという期待の声もある。しかし、安倍晋三首相の侵略の定義や河野談話、村山談話をそのまま承継するわけではないという発言や、麻生太郎副総理らの靖国参拝、日本維新の会の橋下徹共同代表の従軍慰安婦についての発言などで、いわゆる右傾化が進んでいると思われ出している」

 記者「安倍首相は批判が出るとブレーキはかけますね」

 田中均「侵略の定義とか、村山談話、河野談話、憲法96条の改正などで現実的な道をとろうとしていると思う。しかし、あまりそれを繰り返すと、根っこはそういう思いを持っている人だということが定着してしまう。参院選までは抑えるけど、それ以降はまた出てくるのではないかとの印象を生んでいる。それが日本の国益のためにいいかと」

 記者「飯島勲内閣官房参与が訪朝しました。米韓への事前の説明が不十分だったと指摘されています」

 田中均「私が北朝鮮と交渉した時もそうだが、日本の課題があるから、すべてを他の国に相談してやっていくということではない。拉致問題は極めて重要で、日本が自ら交渉し解決していかなければならない。だが、核、ミサイルの問題は日本だけでは解決できず、関係国との関係を損なわないようにうまくやっていかなければならない。小泉純一郎元首相が常に言っていたように、拉致と核、ミサイルを包括的に解決するのが日本の政策なのだと思う。飯島さんの訪朝がスタンドプレーだとは言わないが、そう見られてはいけない」(以上)

 田中均は最初に「いわゆる右傾化が進んでいると思われ出している」と外国の見方を伝えているが、外国の見方に何ら批判も否定も加えていないのだから、外国の見方を使った彼自身の安倍政権に対する右傾化批判であろう。

 安倍晋三の戦前日本肯定・占領時代の戦後日本否定の思想の持主だということは既に定着している。国体護持(=戦前型天皇制維持)を戦後の日本の指導者達も欲求していたのだから、占領時代がなければ日本は民主化を果たすことができなかったはずだが、そのような戦前から戦後に至る経緯を無視しているからこそ、日本の戦争の侵略性の否定や「河野談話、村山談話をそのまま承継するわけではない」といった発言、「事実上占領軍が作った憲法だった」と制作主体の面からの日本国憲法否定の発言等を安倍晋三は口にすることができる。

 安倍政権は飯島訪朝の目的を拉致・核・ミサイル問題等の包括的解決だと言っているが、北朝鮮側からしたら、核・ミサイル問題の交渉相手国はアメリカであって、日本を交渉相手とはしていないのだから、包括的解決を目的としていたはタテマエに過ぎない。日本が北朝鮮相手にできることは拉致問題と、それが解決した場合の戦争賠償と経済援助の話し合いのみである。

 議題に載せたとしても満足な議論に発展することはないと分かっている包括的解決を口にしてタテマエを前面に押し出すこと自体が、既に真の目的である拉致問題の行く末を物語っていた。

 秘密外交はその秘密が維持されてこそ、外交の目的に近づくことができる。その秘密が飯島が北朝鮮の地についた途端に暴露されたのだから、その時点で失敗が運命づけられたことになる。

 失敗を包括的解決というタテマエで取り繕うとした。

 当然、成算は日本側のみの思惑で終わったことになる。日本側が思い描いた成算は北朝鮮側は成算としていなかった。このことを見通すことができずに米韓に報告することもせずに秘密外交に及んだ。要するに軽挙妄動と批判されても仕方のない秘密外交であった。

 田中均の飯島訪朝は「スタンドプレーだとは言わないが、そう見られてはいけない」と言って、見られていることを前提とした、あるいは見られかねないことを前提としたスタンドプレー紛いだという批判は軽過ぎる。

 対して安倍晋三はフェイスブックで、田中均の安倍政権右傾化批判、飯島訪朝スタンドプレー紛い批判にそうでないことを知らしめる反論で以て応えるべきを、まともに応えずに11年前の出来事を持ち出して正当とは言えない批判で外交失格者に貶めようとしている。

 これを意趣返しと言わずに何と言ったらいいのだろうか。

 安倍晋三は北朝鮮と約束して、いわば国家と国家の約束で実現させた拉致被害者の一時帰国を自身の判断で永久帰国に変えたことを誇っているが、国と国との約束を破ってまでもして一時帰国を永久帰国に変えるなら、なぜ最初から日本に戻す原状回復を求めなかったのだろうか。

 日本から北朝鮮に不法に拉致・誘拐されたのである。それが明らかとなり、被害者が北朝鮮に存在していることが判明した以上、原状回復が犯罪捜査上の常識であって(拉致解明と解決は日本国家による犯罪捜査・事件解明に当たる)、拉致から10年20年経っている関係から、被害者の在り様――その人生と生活を日本で10年20年とそのまま生活していたならこうであったろうという状況に可能な限り戻す原状回復があって初めて、被害者が味わった精神的苦痛、精神的外傷体験を回復できる契機とすることができるはずである。

 だが、小泉と安倍晋三はなぜか一時帰国を選択した。日本に永久に帰すという選択肢がなかったはずはないから、原状回復を押し通すだけの外交力がなく、北朝鮮が求めるままに一時帰国を選択したということなのだろうか。

 1回目となる小泉・金正日日朝首脳会談を2002年9月17日平壌で開催、約1か月後の2002年10月15日に5人の拉致被害者が一時帰国を果たすが、国と国との約束を違えて一時を永久に変え、永久帰国としたために北朝鮮の「約束違反」という反発を買って、家族の帰国は親の帰国から1年半後の2004年5月22日の小泉首相の2度目の訪朝を待たなければならなかったし、小泉と共に帰国を果たすことができた。

 安倍晋三は田中均が一時帰国を果たした5人の拉致被害者を「北朝鮮の要求通り北朝鮮に送り返すべきだと強く主張し」、もしその「判断が通っていたら5人の被害者や子供たちはいまだに北朝鮮に閉じ込められていた事でしょう」と批判しているが、5人の被害者とその子どもたちは既に存在していることを北朝鮮が証明し、その情報を日本側が把握し、誰の目にも明らかとなった客観化した事実となっているのである。

 例え北朝鮮に帰したとしても、その客観的事実に変りはない。それを最終的に原状回復という形で日本に帰国させることができずに「いまだに北朝鮮に閉じ込められ」た状況に野放しにしておいたなら、、最初から原状回復を実現できなかったことが既に証明していることだが、日本の外交無能力を曝す客観的事実としかならない。

 安倍晋三が「その後 田中均局長を通し伝えられた北朝鮮の主張の多くがデタラメであった事が拉致被害者の証言等を通じ明らかになりました」との批判は田中均の問題ではなく、北朝鮮の人間性の問題だが、言っているとおりに北朝鮮がウソを並べ立てることに平気な国であっても、北朝鮮との一時帰国という国と国との約束を破ったことが北朝鮮の日本に対するウソの並べ立てに正当性を与えたはずだ。

 なぜなら、誰でもが殆どそうであるように自分のウソをウソとしないからで、自分のウソをウソとしないままに相手のウソに自分のウソを対抗武器とすることを正当化させる。

 北朝鮮は当時(それ以後もそうだが)経済的窮地に立っていて、金正日は経済的窮地の打開策として日本の戦争賠償と経済援助を必要としていたからこそ、5人の拉致被害者の生存とその家族の存在を認めたのである。

 そのことを最大のチャンスとして、日本の戦争賠償と経済援助を外交カードに5人の拉致被害者とその家族以外の拉致被害者とその家族の存在確認と帰国に道を開くことができないままに10年の時を過ごし、現在に至っている。

 いわば外交無能力から最大のチャンスを生かし切ることができなかった。一時帰国の約束を破って永久帰国とした安倍晋三の外交オンチな発案が影響していないとは決して言えない。

 安倍晋三はお門違いにも外務官僚を批判する前に自身の外交能力の無能を責めるべきだろう。

 拉致被害者が帰国した年の2002.10.25(金曜日)にアップロードした自作HP「市民ひとりひとり」《第55弾 拉致雑感》に「金正日に一時帰国ではなく原状回復を求めよ」と題した記事を載せ、それを2007年9月22日当ブログ記事――《拉致問題・麻生は福田より小泉・安倍を批判せよ-『ニッポン情報解読』by手代木恕之》の文中に再度紹介した。

 2002年のときの認識と少し違いが出ているが、参考までに下記に

 「金正日に一時帰国ではなく原状回復を求めよ」

 日本人拉致が金正日が言うように「特殊機関の一部が妄動主義・英雄主義に走って行った」もので、自身が何ら関与していなかったということが真正なる事実であるなら、特殊機関のすべての行動に対して最終責任を負うべき立場にある北朝鮮国家の最高責任者である金正日が自らの職務上からも、誠実さという点、あるいは人道的観点からも、まずなすべきことは、生存者5人とその家族に謝罪し、その上で5人を拉致した場所に送り返す速やかな原状回復を行うことであろう。原状回復とは、日本人に戻すということをも意味するのは当然なことで、5人は日本という場所・国で日本人に戻った上で、自らの進退を決するべきである。それが純粋に本人の意志で決定される保証を確保されなければならない必要上、原状回復は5人の家族を伴った状態のものでなければならないだろう。

 謝罪すべき直接的な対象は小泉首相ではなく、拉致された5人と日本の家族であって、それをしないだけではなく、原状回復の〝ゲ〟の字も口に出さないというのは、自らの関与があったからに他ならない。

 日本政府にしても小泉首相自身にしても、勿論外務省も、“原状回復”の要求をほのめかすことすらせず、特に日本政府拉致調査団は5人に帰国の意思を確かめながら、北朝鮮で生まれ育った子どもたちへの配慮を理由に早期帰国には慎重姿勢だったと、そのままを調査結果として伝えるだけでは、子どもの使いの域を出ないお粗末さである。マッカーサー元帥がかつて日本の政治は13歳の子ども程度だと言ったが、それ以来今もって成長していないようである。

 日本の主権を侵害されてまで、国民が暴力的に拉致・誘拐されたのである。5人の希望や都合で実現する形式の帰国ではなく、あくまでも金正日に原状回復を認めさせ、その実施をもって国交正常化交渉開始のあくまでも前進的条件とすべきだろう。つまり、原状回復は国交正常化交渉開始に向けた糸口――第一歩でしかなく、解明に向けた真相の進展に応じて、第二歩・第三歩とし、日本の家族を含めた日本側のすべてが十二分に納得したことをもって最終条件とする国交正常化そのものの交渉に入るべきではないだろうか。〉――

コメント (4)
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