石原慎太郎日本維新の会共同代表が6月18日の共同通信のインタビューで、相棒であるはずの橋下徹同共同代表の党支持率低迷を招いた従軍慰安婦発言を「大迷惑だ」と批判、参院選の結果次第では橋下徹の進退判断もあり得るとの認識を示した。
橋下徹の反応。6月19日夜の記者会見。
橋下徹「僕自身は今回の発言を間違っているとは思っていないので、東京都議会議員選挙でだめでも、参議院選挙で審判を受けたいという気持ちがあるが、党のメンバーから辞めろと言われれば共同代表に居られない」(NHK NEWS WEB)
石原慎太郎の「大迷惑だ」発言に対する橋下徹の「発言を間違っているとは思っていない」の意思表明によって、周囲は両者の信頼関係に亀裂が入ったと受け止めた。
だが、両者は6月20に電話会談。参議院選挙に向けて党が結束すべきだという認識で一致、6月22日の都議選の応援で揃い踏みし、関係修復を印象づけた。
ところが、石原慎太郎は6月26日の日本維新の会の代議士会で6月20日の党結束確認の儀式から1週間も経たないうちに維新の会の大阪陣営を批判、関係修復を怪しくした。
党の結束を確認したものの、6月23日投開票の都議選の結果、日本維新の会が34人の候補を擁立したものの、選挙前の3議席まで下回って2議席しか獲得できなかった大惨敗の原因を橋下徹の慰安婦発言と見て、腹に据えかねたのかもしれない。
言葉の遣い方自体が、そう思わせる。《石原氏「大阪は寝ぼけたこと言ってる」》(NHK NEWS WEB/2013年6月26日 18時12分)
記事は、憲法の基本理念として当然のことだが、橋下徹は「憲法は国家権力の乱用を防ぐことが基本だ」という憲法観を持ち、憲法改正の方向性を地方分権推進等の一部改正に置いているとしている。このことも石原慎太郎の全面改正の改憲観と比較して抑えていた不満が都議選惨敗の憤懣に誘導されて噴き出たのかもしれない。
石原慎太郎「私があえてこの年で国会に出てきたのも、できれば憲法を丸ごと変えて、この国を立て直す必要があると思ったからだ。大阪の本家は憲法について寝ぼけたことを言っているが、こんなものは話にならない」――
「寝ぼけたことを言っている」という物言い自体に籠っている嫌味・悪意、あるいは非難の程度が橋下徹の慰安婦発言に腹を据えかねていた証明となる。
3月30日(2013年)発表の《日本維新の会 綱領》は憲法改正について次のように述べている。
〈日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる。 〉――
日本維新の会では石原慎太郎と橋下徹という二大意思が党の主張をリードしている。上記憲法改正観が石原慎太郎、橋下徹いずれの意思を反映させた主張なのか、あるいは両者の統一的主張なのか、松井日本維新の会幹事長が明らかにしている。
《押しつけ「問題でない」 改憲表現、維新の松井幹事長》(MSN産経/2013.4.3 18:34)
日本維新の会が綱領を発表した3月30日から3日後の4月3日の大阪府庁での記者会見。
松井幹事長「変えるか変えないかが大事。押しつけられたか押しつけられてないかは大した問題じゃない。石原慎太郎共同代表の強い思いで(綱領が)ああいう表現になった。
時代の流れと共に変えるシステムにするという部分は、石原代表と全く一致している」――
「押しつけられたか押しつけられてないかは大した問題じゃない」と言っているが、日本国憲法を否定している石原慎太郎の観点からすると、大した問題となる。
逆に民主憲法だと肯定している立場からすると、内容を重要視していることになり、押し付け云々の制定上の形式は無意味化する。
いずれにしても松井幹事長は石原慎太郎の強い思いを入れた憲法に関わる綱領は「時代の流れと共に変えるシステムにする」という考えに添った改憲観であって、その点、「石原代表と全く一致している」からと、二人三脚で推進していくことを表明したことになる。
橋下徹も同じ4月3日に民放番組に出演して憲法に関わる綱領について発言している。
《維新の会:橋下氏、石原氏と憲法観でずれ》(毎日jp/2013年04月03日 20時11分)
橋下徹「修飾語だ。(選挙の際には)惑わされなくてもいい。一番重要なのは、(石原氏の持論の『憲法破棄』でなく)『改正』としたところだ」
「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法」としている大仰な表現は「修飾語」に過ぎないと言っている。
そうであったとしても、「改正」の方向性が問題として残る。松井幹事長が表明したように二人三脚で進めることができる方向性を橋下徹自身も担っているかどうかである。
それが今回の石原発言で明らかとなった。石原慎太郎と橋下徹の憲法改正の方向性は決定的な違いがあり、その違いが「大阪の本家は憲法について寝ぼけたことを言っているが、こんなものは話にならない」という発言となって現れることとなった。
石原慎太郎の強い思いが入っているという日本維新の会の綱領からその日本国憲法観を見てみる。
綱領は、〈日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる。 〉と謳っている。
いわば石原慎太郎は、日本国憲法は「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶」であり、そのような日本国憲法によって日本国家も日本国民も自立心を失ったと日本国憲法を見ていることになる。
だからこそ、憲法を全面改正して、「国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」としているのだろう。
具体的には戦争放棄と戦力の不保持を謳った憲法9条が日本の国際的地位を「孤立と軽蔑の対象」とし、そのことが国家と国民の非自立性を招いたということを言っているはずだ。
だとすると、占領時代以前、いわば戦前は日本国家も日本国民も自立していたと解釈していることになる。
以上の自立云々を砕けた言葉で言い直すと、占領時代の民主化政策と日本国憲法が日本国家と日本人をヤワにし、国際的な疎外を受けることになった、その割には経済的に大いなる発展を見たことになるが、戦前の日本国家と日本人はヤワとは正反対の質実剛健を体現していたと考えていて、戦前の日本国家を理想の国家像、戦前の日本人を理想の国民像としていることになる。
この考えは安倍晋三にそっくりである。精神性に於いて二人は双子の関係にあると言うことができる。
占領政策が日本国家と日本国民を一変させた。
果たして戦前の日本国家と日本国民は自立していたのだろうか。戦前の日本国家は日本国民を思想・言論・信教・集会等々の活動に関して統制下に置き、その活動を制限していた。
1890年(明治23年)11月9日発効の大日本帝国憲法は条件つきながら言論・出版・集会・結社・信教の自由といった個人の権利を認めていたが、それ以前の1869年(明治2年)の出版物の取締まりを定めた出版条例は検閲を取締まりの一つの方法として言論の自由・出版の自由に制限を加えていて、大日本帝国憲法の条件付きの自由に反した制限は日本帝国憲法の条件付き各自由がタテマエでしかないことを物語っている。
このことは取り締まる法律が名前を変えて公布されていき、内容が厳しくなっていっていることが証明している。出版条例を引き継いで1893年(明治26年)に出版法を公布し、一部を除いて取締まりが厳しくなっているという。
1880(明治23)年制定の集会に各種制限を設けた集会条例を公布しているが、これも大日本帝国憲法発布前の法律だが、集会の制限は言論や信教の制限をも兼ね併せているのだから、出版物の取り締まり等と併せて日本国民の基本的人権を様々な方面から抑圧していったのである。
集会条例を引き継いで1890(明治23)に集会及政社法を制定、この集会及政社法に替わって1901年(明治33年)3月施行の治安警察法によって政治結社・集会の届出義務、現役軍人・警官・僧侶・神官・教員・女子・未成年者の政治結社加入禁止、警官の集会解散権付与等、引き続いて集会(=言論)を制限、そしてさらに制限を強固にする治安維持法の1925年(大正14)公布へと進んでいく。
断るまでもなく、集会や言論の制限、その他信教や出版の制限は国家権力による国民統治装置であって、そのような統治装置は国家権力に都合のいい集会や言論、その他信教や出版を強制する機能を併せ持つ。
1868年(明治元年)の神道と仏教を分離して神道国教化・祭政一致を策し、神道を国民に強制しようとした明治維新政府の神仏分離令などは好例である。
これらの各制限の強制と制限の強制の反作用としての国家権力が用意した活動の強制によって天皇のより絶対化と天皇への絶対的従順を日本国家に対する日本国民の行動様式として刷り込んでいった。
だから、「天皇陛下のために、お国のために命を捧げる」という戦争行動が可能となった。
このように基本的人権を抑圧された国民が国家に対して自立した存在足り得ていたと言えるだろうか。
戦前の日本国家は日本国民の自立を保障せずに支配と統制の檻に閉じ込めていた。
自立しない国民を抱えた国家が果たして自立した国家と言えようか。国民の自立があってこそ、国家は自立し得る。国民が自立せずに国家のみが自立しているということは自己撞着以外の何ものでもない。
国家が自立していないからこそ、国民を信用できずに国民に対して活動に制限を加えることになる。
確かに戦前の日本国民は質実剛健であったばかりか、勇猛果敢でもあった。国家の命令に進んで戦争に参加し、勇んで戦場に赴いて一命を賭して果敢に戦い、玉砕を命じられれば、死をも恐れずに一丸となって死ぬと分かる戦闘に飛び込んでいった。
だが、自立した存在としてそういった行動を取ったわけではなかった。国家にそのように行動するように洗脳され、操作されて取った行動に過ぎない。
だが、石原慎太郎は戦後の日本国家と日本国民をヤワだとしてその歩みを否定し、戦前の日本国家と日本国民をヤワであることとは正反対に質実剛健だったと、自立していたと評価している。
だからこそ、占領軍がつくった占領憲法を「憲法を丸ごと変え」て、「国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」と主張している。石原慎太郎自身が「寝ぼけたことを言っている」と言わざるを得ない。
この「寝ぼけている」としか言いようのない事実誤認の認識についていくことのできる日本国民はどれ程存在するだろうか。ついていくことができるかどうかでそれぞれの自立性(自律性)を推し量ることができる。