著名なジャーナリストの辛坊治郎と全盲のセーラーの岩本光弘氏がヨットで太平洋横断に挑戦した。その挑戦は遭難、海上自衛隊の無事救助で終わった。
各マスメディアの報道から一連の経緯を見てみる。
6月8日、両名は大阪市の北港(ヨットハーバーがあるそうだ。)を出港し、日本出発地点の福島県いわき市へ向かい、6月16日に福島県いわき市の小名浜港を約8160キロ離れた米サンディエゴに向けて無事出港した。
親潮と黒潮がぶつかる福島県沖は太平洋横断の出発地点に適しているのだそうだ。
出港式には所属テレビ局の女子アナ、男子アナ、ファン、その他100名程集まったそうだから、かなり盛大で華やかで賑やかな出港式だったのだろう。
初め良ければ、終わりヨシである。意気揚々と太平洋に向けて風を全身に受けた出発だったに違いない。
6月16日の小名浜港出港から5日目の6月21日朝、宮城県沖約1200キロ時点で下から突き上げるような音が3回したあと、岩本光弘氏はそのとき、クジラか何かがぶっつかったかなと思ったとあとで説明しているが、浸水が始まったため、ポンプで排水を試みたが、排水が追いつかず、救命ボートに移って、ヨットを捨てた。
大阪市にある太平洋横断を企画した「プロジェクトD2製作委員会」の事務所に辛坊治郎から連絡が入って、事務所が海の緊急通報118番。海上保安庁航空機が宮城県沖合1200キロの太平洋上で救命ボートに乗った2人の無事を確認。海上自衛隊の救難機「US2」が出動したが、波が高くて着水できず、2度目の出動で着水、2人を無事救助することができた。
救助後、二人は記者会見を開いている。《【辛坊さん遭難会見詳報】声を詰まらせ感謝繰り返す》(MSN産経/2013.6.22 12:53)
部分抜粋。
辛坊治郎「海上自衛隊の第1便の水上艇が来てくれるという連絡をもらったが、私の基本的な知識では3メートルを超えると、水上艇は着水できないというのがあった。窓を開けてみたら確実に3メートルを超えていたので、これはもしかして無理かもしれないと思った。
夕方になってもう少し波が穏やかになると予測し、その後、もう一度救助に来てくれたと思うが、結果的に波は相変わらず高かった。普通のパイロットだったら降りないと思う、あの海には。
救助してくれた方々は『こんな海でレスキュー活動したことがない。訓練でもしたことがない』とおっしゃった。本当にたった2人の命を救うため、11人の海自の皆さんが犠牲になるかもしれないというのに着陸(水)してくれた。
僕は本当にね、ああ、この素晴らしい国に生まれた。これ程までにうれしかったことはない」――
命が助かるか助からないかという危機一髪の瀬戸際に立たされて救助されて助かったと実感することができた嬉しさ・歓びからだろう、海上自衛隊の救命行為に感謝し、「ああ、この素晴らしい国に生まれた」と自分の幸福を祝福した。
辛坊治郎は経験豊かなジャーナリストである。当然、広い視野を備えている。広い視野とは世の中を公平に見て、公平に判断できる能力のことなのは断るまでもない。
自分の命が助かったことのみの自己利害で以って国家の仕組みに最大限の評価を与えて、「ああ、この素晴らしい国に生まれた」と自身の幸福を祝福してしまうのは人間の自然な人情であろう。当然、誰からも非難を受ける事柄ではない。
だが、他者の目の届かないごく個人的な場所なら許されもするが、記者会見という公の場で自己利害のみに立ったとき、その代償として公の才能としてある経験豊かなジャーナリストとしての世の中を公平に見る視野を損なうことになる。
子どもを診察して身体にアザや打撲痕があるのを見つけた医師が児童虐待を疑って市や児童相談所に通報しても、対応がお座なり、その場限りで、救える命も救えずに死なせてしまうといった事例は決してなくなったとは言えない。
イジメを目撃した生徒が教師に通報しても、教師は満足に対応することができず、救える命を救うことができないままにイジメられた生徒がイジメを苦に自殺しても、イジメが原因ではないと責任回避に走り、責任回避のための情報隠蔽や情報操作に汲々とする事例は跡を絶たない。
今回の東日本大震災でも、大人たちが緊急避難の指示を満足に出すことができずに多くの子どもの命を救えずに死なせてしまった例もある。
あるいは原発事故からの避難や津波避難の心労で関連死していく被災者も跡を絶たない。生活が成り立たなくなって前途を悲観し、失望して自ら命を絶つ者もいる。
彼ら亡くなった者たちの遺族の自己利害から見たとき、「ああ、この素晴らしい国に生まれた」と亡くなった者たちを幸福だったと見做して祝福することができるだろうか。
かく左様に人間は自己の利害を異にする。異なる自己利害に応じて、国に対する評価、国の制度に対する評価も異なり、自己が置かれた立場に対する評価・幸福感も異なってくる。
辛坊治郎の「ああ、この素晴らしい国に生まれた」の評価は辛坊治郎という経験豊かなジャーナリスト個人が海難事故から一命を取り留めた際の助かったことの自己利害がジャーナリストとしての世の中を公平に見る視野を失わせことからの、それが極めて自然な人情の発露であったとしても、自己利害と対応した個人としての思い入れに過ぎない。
多分、自己利害としてある一命を取り留めたことの直接的な幸福感が薄れていくに連れて、他者の利害にも思いを馳せる、世の中を公平に見る視野を取り戻していくはずだ。何て言ったって経験豊かなジャーナリストだから。