百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

中国から贈られた書⑬

2008-10-26 17:56:32 | Weblog

  10月26日  (日)  ②
                            平成17年1月1日より 1,395日目
                                         歩いた歩数       その距離 
                            本日        12,863歩          9,004m
                            総計   19,480,752歩  13,645,531m
   北京より西安・蘭州・西寧・敦煌・哈蜜・吐魯番・ウルムチ・コルラを経て庫車(クチャ)に向かう、後88,620m

                  
  

 高主先生恵存とあって河北袁建民の署名がある。これは初めて中国の研修視察団を連れて我が家にやって来た河北省外国専家局の袁建民局長が手土産に持ってきたものだが、袁さんの直筆だ。

 袁局長は1990年私が初めてJ.S.V(ジャパンシルバーボランティアズ)として訪中して以来、10年以上お世話になった方だ。北京から承徳に向かう車は警報付きの公安の車だったし、承徳の滞在は清の皇帝の弟溥傑氏が居た〔静宜山荘」だったり、お小遣いとして500元(当時一般官吏の月給は100元)を呉れたり夢のような接待を受けた。

  以来、十数年の訪中の間、袁局長から副局長の陸麗麗さんに引き継がれたが、当時未解放区であった農村部も隈なく案内され、通訳の梁さんから「貴方は河北省の省長に立候補すれば当選しますヨ!」と言われた。それは省長よりも多くの農村を回ったからだと。

 80歳を越えたいま、j・s・vの指名もなく、中国からの招待も来なくなったが、70年代の、中国での活躍は夢のような思い出だ。    


飯山城に狼煙あがる

2008-10-25 18:32:44 | Weblog

  10月25日  (土)  ②
                            平成17年1月1日より 1,394日目
                                         歩いた歩数       その距離 
                            本日        14,537歩         10,176m 
                            総計   19,466,215歩  13,636,526m
   北京より西安・蘭州・西寧・敦煌・哈蜜・吐魯番・ウルムチ・コルラを経て庫車(クチャ)に向かう、後97,624m 

  昨夜親戚のTさんから電話が来た。明日新潟・長野の各地か狼煙が上がる。それをキャッチして知らせる役割を請け負ったが、明日は勤務があるので代わって欲しいということなので、好奇心の旺盛な私の事、早速引き受けた。

            

  私は9時、パパを誘って城山へ出掛けた。本丸には既に「いいやま会」の有志がドラム缶を重ねた容器に枯葉や燃えやすい木の枝などを集めて入れ、その上に杉の青葉を詰め込んでいた。私は会長のIさんに昨夜の経緯を話し、了解を取り、仲間に加えてもらった。

  昔、中国では、藁などに狼の糞を混ぜて焼くと煙が垂直に上がるといって用いられたところから、狼煙という。「のろし」である以上、煙が四方八方に流されて、印や合図としての機能を果たさなければ意味がないわけですから、「のろし」にとって煙が真っ直ぐに上るというのは重要なことだといえるでしょう。反面、煙を直上させることは、気象状況等に左右される問題でも あり、難しいものであるに違いありません。

 実際に中国で「のろし」の目的で燃す藁に狼の糞が混ぜられていたかどうか、また狼の糞を混ぜた「のろし」の煙が真っ直ぐ上がったのかどうかは、残念ながら確かめようがありません。しかし、なぜ「狼の糞」なのかを推測するのはそう難しくはないでしょう。今ほどではないにしても、「狼の糞」は手に入れるのが大変困難なものだったのではないでしょうか。入手困難なものを混ぜれば得難い効果が得られる。このような発想で生まれたのが狼煙という言葉だと考えられます。

 雑談をしていると、次の狼煙をあげる筈の「小菅」の山の方から煙が湧き上がった。携帯で確認するとフライングしてしまったという。折角の企画の中で、飯山城が10時、飯山の狼煙を確認して10時5分小菅、小菅の狼煙を確認して10時10分北条城と決められているものを何のための火遊びゾ!新潟県の人たちが真剣に取り組んでいるものを、長野県人がただ単に遊び心で受けるとは腹も立ったががっかりした。

 飯山城址では9時55分、池川会長が狼煙をあげることの意義、中越大震災、中越沖地震の被災地に向け150本の狼煙をリレーに協力し、復興と友好に寄与することと挨拶、58分着火、10時ジャスト狼煙は立ち上った。大成功!

            

 家に戻った私は早速新潟のプロジェクトチームにFAXをと取り組んだが、デジカメの写真は鮮明で無く、パパの写真を送ることで難航、11時になってしまった。何とか責任は果たしたが、夕方のウォーキングの際、写真とFAXの原文を郵送してやっと肩の荷を下ろした。

 

  

                                


コピー機をマスターしたゾ

2008-10-24 18:51:34 | Weblog

 10月24日  (金) 
                          平成17年1月1日より 1,393日目 
                                        歩いた歩数      その距離
                          本日           15,160歩        10,612m
                          総計   19,451,055歩  13,626,351m
    北京より西安・蘭州・西寧・敦煌・哈蜜・吐魯番・ウルムチ・コルラを経て庫車(クチャ)に向かう、後107,800m

                              

    午前中「神明町名画劇場」のDVDを選定して会員配布用の原稿を作成した。午後、公民館へコピーに出掛けた。

  コピーは順調に進んだが、18枚で用紙切れになったので50枚ほど補充した。ところがコピー機は「用紙つまり」の表示が出てしまい、まったく動かなくなってしまった。取扱店を経由して正式に稼動することも考えたが、今日中に会員に配付しなければならない事を思い出し、用紙が詰まっていそうな場所を覗いて見た。良く見ると、コピーされたままになっていた一枚があったので破らぬよう慎重に取り出した。

 これでコピーできると、スイッチを入れたが、再び〔用紙つまり〕の表示が出てウンともスンとも動かない。スイッチを入れたり切ったり繰り返したが、表示は変わらず、何回繰り返してもびくともしない。

 最後の手段として、マニアル本を開くことにした。これがまた難解で、図が出てA/B/C/D/E/Fでその図毎に①・②・③などと指示している。A図で①②と入れると指示が出たので指示通りに進めると、筒が出てそれはインク交換をする指示と判った。

 ここで再び画面を見ると、「B/Cに紙詰り」とあったので、BとCの図の指示に従ってドリルの右回しをやると、驚いたことに用紙が出てきたではないか!この紙を取り除くと画面にコピーの指示が出てコピーが自動的に始まった。

 冷や汗をかいたが、これでコピーに事故が発生しても対応出来るし、このコピー機に関する限りマニアルの読解できる自信もついた。「矢でも鉄砲でも持って来い!」だ。

 

 


中国から贈られた書⑫

2008-10-23 18:10:59 | Weblog

   10月23日  (木) 
                           平成17年1月1日より 1,392日目
                                         歩いた歩数      その距離
                           本日           14,832歩        10,382m                   
                           総計   19,436,223歩  13,615,739m
   北京より西安・蘭州・西寧・敦煌・哈蜜・吐魯番・ウルムチ・コルラを経て庫車(クチャ)に向かう、後118,412m

  これは私の通訳を一番長く勤めてくれた梁小六君が私を訪ねて遥々やってきた時のお土産の書だ。何が書いてあるのか判らない、本人も判らないようだったが、「これは邯鄲一の書道家の李太平先生の書で、私が日本の高主先生に会いに行くのでと言ったら、先生も貴方を知っていて喜んで書いてくれました。」と言った書だ。

                     
                                                李太平書

  そのとき、一枚の紙切れではと思ったか、李太平先生の権威を証明するために「李太平書法芸術」を置いていった。中国語で書かれているので良くは判らないが、漢字なので少しが理解できた。李先生は1949年生まれの壮年書法家で河北省の生まれ、父親の李茂栄先生から6歳のときから書を学び、中学時代は北京に出て、著名な書法家劉炳森に師事、河北大学では黄綺教授の門下で書道を修め、現在は(1989)中国書法家協会会員・中国日本美術交流協会会員・河北省邯鄲地区書協副主席という。

                  
                                              李太平書法芸術

  経歴は兎も角、書は特異な書法で、ある書家に見てもらったところ、長い線を短く、短い線を長く、等間隔に書くところは広狭をつけ、小さな口を大きく書いたり、常識破れを基準にしている。それが一風の風格を成していて面白い、と。将来を嘱望されている書家だ。
                                              

                 
                                                      


秋の親睦旅行②

2008-10-22 18:30:45 | Weblog

 10月22日  (水) 
                          平成17年1月1日より 1,391日目
                                        歩いた歩数      その距離 
                          本日           11,740歩          8,218m
                          総計   19,424,483歩  13,605,356m
  北京より西安・蘭州・西寧・敦煌・哈蜜・吐魯番・ウルムチ・コルラを経て庫車(クチャ)に向かう、後128,794m

 朝、5時、外はまだ暗いので朝湯に浸かり、6時近くスキー場に散歩に出掛ける。芝生の中に苔を見て、大杉苔・小杉苔・ハイ苔など〔苔玉盆栽作り〕を意識して大量に採ってくる。これを見た会計さんも朝食後私の倍ほども採ってきて、大満悦。

 朝食はバイキングで、指定席には六っつほどの老人クラブ級の団体札が立てられていた。これも私たちと同様にホテルのサービスに魅せられてやってきたグループだろう。  

               
                                              竜王スキー場の人口降雪機 

  帰りのバスに若い女社長が現れて、お茶と湯呑み茶碗をお土産に「来年もどうぞ!」と挨拶。帰途は迂回して中野市一本木のバラ園へ。気乗りしない声もあったが、広いバラ園、沢山のバラ、豪華な花に魅せられて感謝の声に変わる。

 好評の裡に秋の親睦旅行も終末に近づいたので、「27日の映画会・28日のマレットゴルフと焼肉大会・31日の高齢者体育大会・1日の定例会〕への参加をお願いして締めくくる。

               

                        

              
                                         この花 なんというのだろうか?