9月3日 (土) 平成17年1月1日より 2,446日目 歩 歩いた歩数 その距離 m
本日 歩 7,370 5,159m
総計 34,018,470歩 23,812、929m
地中海シシリー島からイタリヤ半島ナポリを経てローマに向かう。後46,611m
オモダカ
Kさんの夫人の葬儀は前橋斎場で10時半から執り行われた。葬儀中、Kさんは車椅子で瞑目して居た。どちらかと云えば居眠り状態に見えた。喪主が眠ったままの中、美男の和尚さんが現れた。老僧は?と待ったが葬儀は直ぐ始まった。美声の歌声が場内に響いた。そして荘重な歌声は止むごとなく何時までも続いた。読経は無いのだ。読経の無い葬儀は初めてだが、これが今回の告別式だったのだ。
さらに驚いたことは、位牌に夫人の名前が書いてあったことだ。私は常々「奥さん」と呼んでいたので、今日初めて「八重子」さんであることを知った。位牌には戒名(法名)が書かれて居るものだが、Kさんは「そんなもの必要ない」と強引に主張したのだろうと想像して改めてKさんを見直した。
読経が始まると焼香の客が現れるものだが、もっとも、お経ではなくて荘重な歌で始まったからか、一人の焼香者も現れなかった。司会から弔辞の方が居りましたどうぞと促されたが、これも無く、弔電の披露で終わった。終盤、喪主の焼香は車椅子に乗ったままであって、親族が続き、知人友人の焼香で、退席となった。私も焼香をして退席した。二男のお嫁さんから「残っていて」と声を掛けられたので、控室を探して待機していた。
何時まで待っても知らない人ばかりなので、心配になったが誰も来ない。玄関の受付に行って見たが、誰も居ない。事務所の方に聞くと、「いま、奥さんの顔を見たいと葬儀場へ入って行った人が居た」と云うので扉を開けた。
葬儀場では【初七日】の葬儀が始まっていた。読経の声がしていて私の番になったので立ってゆくと、Kさんが大声で「母ちゃんの顔を見て行ってくんな!」と声を掛けられた。焼香した足で、棺の蓋を開けて仏の顔を覗くと司会からたしなめられた。当然の話だ。
式が終わった後、棺が中央に供えられて、蓋が開けられた。参会者に花が渡され、一人ひとり死後の別れの挨拶をした。この時になってKさんは大声で、「女房の為に、こんなに大勢の人でこんなに立派な葬式をやって貰ってホントにありがとう。二男の夫婦のお蔭だ。嬉しい!有難う ありがとう!」と云った。Kさんの心の底から出た本音と感じた。
棺は皆に見とられ、最後の別れの読経で扉の中に消えたが、Kさんはこんな場面には立ち会ったことがないのか、感動の面持ちだった。お骨になるまでの間、控室で昼食となったが、殆どの人が車で来たと飲酒を拒んだので、Kさんと私だけで酒を酌み交わした。Kさんは立派な斎場で賑やかな葬儀が営まれた事が大変嬉しかった様子ではしゃいできた。
お骨拾いになって、二人一組になってお骨を骨壺に収めていると、Kさんは「俺の女房のお骨だ。そんなに汚がることは無い。」と云って一人でどんどん拾って入れ始めた。全員あっけにとられて見守っていたが、これがKさんの真の姿だ。本性が現れたんだと思った。妻との最後の別れになって、【そんな手ぬるい、汚ったなおっかながってぐずぐずやっていちゃ、気に食わねエ。俺の女房の骨だ。俺がみんな入れて何が悪い。」酒の勢いもあって独り占め。
すべてが終わってタクシーを申し込んでいるとKさんの車が来て乗せられた。Kさんの家の前には大きな甕が据え付けられていて流石だと思った。玄関を入ると至る所、骨董品で埋め尽くされている。「これは1千万円だそうだ」と指さした客が居た。「泊まっていけ!南洲の本物の掛軸をみせてやる」と執拗に引き留められたが、好意を謝して辞去した。【朋あり、遠方より来る】をホントに喜んで呉れたようだ。