昔、ある英国人が、旧約聖書の出エジプト記2章3節に「瀝青」(アスファルト:石油からの蒸留残留物・古代には壁面のつぎ目に使用した・ギリシャ語で asphalton)ということばを見て、エジプトの地下に石油があることを確信し、掘削するためにエジプト政府の許可を求め、友人に出資を求めました。友人は、彼の無謀を止めようとしたのですが、彼は、「神のことばたる聖書に誤りがあるはずがない。私は聖書を確信している。モーセの母が『瀝青』を用いたからには、この附近に石油があるに違いない。」と言って友人の忠告を拒み、試掘し、石油層を掘り当てて莫大な富を得たという話があります。これは、フィクションではなく、実話なのです。
しかし、あなたは彼よりも更に幸福な人になることができるのです。彼は「瀝青」ということばを聖書中に見い出して、エジプトに石油があることを確信したのですが、聖書には、もっともっと重大な価値のあることばがあることに気がつきませんでした。それは、「永遠のいのち」ということばです。死ぬべき人間にとって、「石油」と「永遠のいのち」とどちらが大切でしょうか。ちなみに、過去に繰り返された戦争の多くが石油を奪い合う争奪戦であり、現在、世界で起こっているいくつかの戦争は石油をめぐる争いであるとも言われています。
イエス・キリストは次のように語られました。全世界の富よりも尊いものは、人のいのちです。そして、そのいのちは、この地上だけのいのちではなく、死後も天国で、神様との親密な交わりの中で永遠に生き続ける「永遠のいのち」こそ、もっとも価値のあるものなです。あなた自身が永遠のいのちを得るために、神様が聖書を全人類への贈り物として与えられたのですから、あなたも、どうか真剣に、この聖書を買い求めて、お読みになって下さい。聖書は、読めば読むほどにすばらしい書物であることが分かります。そして、永遠のいのちをご自分のものとなさってください。これは、イエス・キリストを救い主と信じる者に無代価で与えられるのです。
●「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。」 (マルコ8:36,37)。
聖書の中には、全人類の罪のために身代わりに死んでくださったイエス・キリストを信じる者に与えられる「永遠のいのち」について、多くの記述がありますが、その一部だけを紹介しましょう。どうぞ、ご自分で聖書をお読みになってお確かめになってください。
●「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 」(ヨハネ3:16)。
●「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハネ3:36)。
●「イエスは答えて言われた。『この水を飲む者はだれでも、また渇きます。 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。』 」(ヨハネ4:14)。
●「わたし(キリスト)は彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。 」(ヨハネ10:28)。
●「私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。 」(ヨハネの第一の手紙5:13)。
●「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。 」(ローマ人への手紙6:23)。
●「‥‥『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。 」(テモテへの 第一の手紙1:15,16)。
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