聖書から人生を考えよう

私のプログへようこそ!!
お互いに、たった一度だけの人生です。
聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★最後に・・・・・一言。

2007-10-11 | 「その他」

 
          
北国は、紅葉が色づきはじめ、日毎に秋が深まりつつあり、朝晩は冷え込む季節になりました。みな様はお元気でお過ごしでしょうか。実は、私事ですが、いろいろな事情により、本日をもって、このブログの記事の更新を中止することに致しました。今までご愛読くださった方々に心からの感謝の気持ちをお伝えしたく思います。今まで、多くの皆様から聖書に関する質問のメールや温かい励ましのメールをいただきましたことも、心から感謝いたしております。その他、善意によって記事の間違い、誤字脱字などのご指摘をくださった方々にも心からお礼を申し上げます。

私の個人的な願いは、一人でも多くの方々が万物を創造された真の神様のご存在をお知りになり、生ける神のみことばである聖書に触れ、人間本来のあるべき姿に立ち帰られることです。「聖書」は神の霊感によって記された間違いのない神の真理のことばです。聖書が勧めておりますように、ご自分の(神に対する)罪をお認めになられ、愛なる神が救い主としてお遣わしになられた御子イエス・キリストを信じて永遠の滅びから救われて、永遠のいのちをご自分のものとなさってくださいますように心からお勧めいたします。

今の世界は、まさにかつてのノアの洪水前夜の様相を呈しております。「地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。」(創世記6:11)と、創世記に記録されてあるように、今日も巷では不道徳と犯罪がはびこり、その悲劇的な惨状は目を覆うばかりで、家庭は崩壊し、社会は腐敗堕落し、日毎に悪が増大しつつあります。確かに、聖書が警告しているように神の裁きの日が迫っていることは確実であると思われます。しかし、聖書は、神が完全に正義の御方ですが、また同時に完全な愛のご性質をお持ちのお方であることを語っております。ですから、神の前に罪を犯して滅びに向かっている私たちのために、救いの道を備えてくださいました。それが、イエス・キリストの十字架と復活による福音なのです。神は、あなたが救われるのを待ち望んでおられるのです。

●「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人(となられた御方)としてのキリスト・イエスです。」(テモテへの第一の手紙2:4、5)。

●「あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。‥‥‥夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。 」(ローマ人への手紙13:11~14)。

●「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え、身を慎みなさい。」(1ペテロの手紙4:7)。

●「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。‥‥」(2テモテ3:1)。

●「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。‥‥神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。なぜなら、神は、お立てになったひとりの人(主イエス・キリスト)により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」(使徒の働き17:28~31)。

●「この方(キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには私たちが救われる名としては、どのような名も、人間には与えられていないからです。」(使徒の働き:4:12)。

●「神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 」(ヨハネの福音書3:16)。


みなさん。どうか、聖書に記されているこれらのみことばをご自分に当てはめて深くお考えになってください。これらは、みなさん一人一人の人生と無関係なことばではありません。天地万物をお造りになられた真の神様が、みなさんお一人お一人に、個人的に語っておられるみことばなのです。決して無視できない神のことばなのです。人生は70年か80年の短い地上の生涯だけで終わってしまうのではありません。肉体の死は、死後に永遠に続く世界の入り口に過ぎません。死後には永遠に続く二つの世界があることは、聖書が繰り返し語っている事実なのです。

死後には、もう二度と救われるチャンスはありません。ある意味においては、この地上の生涯は、死後の永遠の世界をどこで過ごすかを決定するために備えるため与えられている準備期間でもあるのです。永遠のいのちか、永遠の滅びか。永遠の天国か永遠の地獄(火の池)か。永遠の祝福か、永遠の苦しみか。それを決定するのはあなた自身の決断にかかっていると言っても過言ではありません。これは、非常に厳粛なことです。どうか、賢明な人生の選択をなさってください。これは、私の心からの偽らざる切実な願いなのです。

●「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。 」(マタイの福音書7:13,14)。
 



最新の画像もっと見る