聖書から人生を考えよう

私のプログへようこそ!!
お互いに、たった一度だけの人生です。
聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★貧しくなられたキリスト

2006-10-11 | 「キリストの偉大なる生涯」



 ●「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。 」(Ⅱコリント8:9)。

  キリストは富んでおられたお方でしたが、貧しくなってくださいました。キリストは天地万物をお造りになられた力ある創造者でしたが、被造物の姿をとってくださいました。永遠の昔から御父(父なる神)と共に親しく交わっておられたお方でしたが、貧しい乙女マリヤの胎に聖霊によって宿られ、人の姿をとって、しかも赤子としてこの世に誕生せられたのです。神の御子であられるならば、人々は宮殿のような所にご誕生になられる場所を用意するべきであったのに、ユダヤの寒村であったベツレヘムの薄汚い馬小屋で誕生せられ、飼葉桶に寝かせられました。少年時代は、イエスの父ヨセフが大工であったので、キリストは大工の子として忠実に働き、両親に仕えられました。キリストは何と貧しくなってくださったことでしょうか。

 どうしてそのようなことができたのか、本当に不思議なことですが、永遠の神の御子は時間を創造され、時間を支配しておられるお方なのに、人類の歴史の中に介入され、時間の中に入って来られました。そして、33年間という長い時間の中で生活なさいました。万物を今も保持しておられるお方なのに、この地上で33年間も旅人のようにして生活なさいました。何千億とう無数の星一つ一つを造られ、また、その星の軌道を正確に定められ、天体を造られたお方であるのに、その無数の星の中のたった一つの小さな星の一つである「地球」に、誕生せられたのです。そして、キリストは地球の引力を造られたお方ですが、引力が支配する地球上で生活なさいました。これは何と驚くべきことでしょう。これは何と不思議で、神秘的なことでしょうか。キリストは何と貧しくなってくださったことでしょうか。

 キリストはこの地上に、ご自分の住まいとして庭付きの立派な邸宅をお持ちになられたのではありませんでした。貧しい質素な家に住まわれたのです。ある時は、旅の途中に宿る場所もなく、野宿をされたことでしょう。ある時は、嵐の湖の小船の中で、船のともの方で、枕をして休んでおられました。人々の病いや煩いを癒されたり、お話をなさったりして、お疲れだったのでしょう。また、ある時は長旅でお疲れになられ、古井戸の側で腰を降ろして休んでおられました。そこにちょうど、水を汲みに来た婦人に、「わたしに水を飲ませてください。」と言われたのです。万物を造られたお方ですから、当然、海や川や湖や井戸の水をお造りになられたはずです。そのお方が、「わたしに水を飲ませてください。」と所望されたのです。キリストは何と貧しくなってくださったことでしょうか。

 キリストが神の御子であるならば、人に仕えられる生涯を送って当然ではないでしょうか。人間は、誰でも偉くなって人に仕えられるような生涯を送りたいと願うのではないでしょうあか。しかし、聖書は「人の子(キリスト)が来たのは、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためである。」(マタイ20:28)とありますように、キリストの生涯は人々に仕えるためのご生涯でありました。寝食を忘れるがごとくにして、イエス様は人々のために働かれました。ある時は、人々のために祈り、徹夜で祈り明かされました。イエス様ご自身がご自身について、「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子(キリスト)には枕する所もありません。」(マタイ9:58)と仰せになられました。そのような貧しく多忙な日々を送られたのです。

 キリストがこの世を去られる臨終の時には、静かな家の暖かい布団の上で、静かに息を引き取ったのでしょうか。いいえ。決してそうではありません。キリストは、エルサレム郊外のゴルゴダ(「どくろ」と言われている場所)という丘の上で、十字架に貼り付けにされ、群集の嘲笑と罵倒と、渇きと激痛と、血を吐くような悶え苦しみの中で、息を引き取ったのです。キリストは死刑になるような重罪を犯したのでしょうか。いいえ。そうではありません。キリストの生涯の最後の3年半(公生涯)の間、キリストは病気や煩いで苦しんでいる人々の病を癒し、忌み嫌われていたらい病人を癒し、自分の罪に悩み苦しむ者に救いの手を差し伸べ、「良き訪れ」を述べ伝え、人々を愛することの他は何もしなかったのです。しかし、彼の最期は十字架上での処刑だったのです。

 「キリストが貧しくなられた」というのは、単に物質的に貧しくなられたことを意味していません。もちろん、そのような意味も含まれています。なぜなら、キリストは「私たちの弱さに同情できない方ではありません。」(ヘブル4:15)とありますように、貧しい人々を理解するためであります。しかし、ここで、「キリストが貧しくなられた」と言っているのは、それ以上の深い意味があります。創造者なる神の御子が被造物の姿をとられ、人に仕える僕となってへりくだられ、謙遜の限りを尽くされ、全く罪のない御方が罪人の一人のようにして、処刑場に引いて行かれ、罪人である私たちの身代わりに十字架で死んでくださったことであります。この尊い救い主イエス・キリストを信じる者には、永遠の滅びから救われるだけではなく、「神の子」という身分が与えられるのです。「富む者」というのは、物質的に豊になることを意味しません。罪が赦され、永遠のいのちを与えたられ、神の子とされ、永遠に主とともに天国に住むことのできる特権なのであります。

●「人の子(キリスト)が来たのは、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためである。」(マタイ20:28)。
 
●「すべてのものは、この方(キリスト)によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。・・・・・・・・・・この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネの福音書1:3~12)。

●「そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その(十字架の)死によって、悪魔という、死の力を持つ者(サタン)を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。」(ヘブル人への手紙2:14,15)。


●「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である。』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」(ピリピ人への手紙2:6~11)。

 しかし、イエス・キリストは、この地上での33年間は貧しいご生涯でしたが、十字架の死後、三日目に復活され、その後40日間弟子たちとともにされ、やがて天に上げられ、今は輝かしい栄光のうちにあって、すべての名にまさる名を与えられておられるのであります。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためであると聖書は語っています。天にあるすべての富は、イエス・キリストのものであります。そして、キリストを信じる者たちはその霊的な富に与ることができるのであります。これは、なんとすばらしい恵みではありませんか?あなたも、キリストを信じて救われたいとは思われませんか?

◆(E-mail): goo1639@mail.goo.ne.jp 管理人:「北国のこひつじ」 

★☆●☆★●★☆●☆★●★☆●☆★●★☆

★少年時代のイエス様

2006-07-31 | 「キリストの偉大なる生涯」

      

●「イエスが一行の中にいるいるものと思って、一日の道のりを行った。それから、親族や知人の中を捜し回ったが、見つからなかったので、イエスを捜しながら、エルサレムまで引き返した。そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真中に座って、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。」(ルカの福音書2:44~46)。 
  
 イエス様の少年時代はどのような生活をされていたのでしょうか。そのようことを想像したことはありませんか?ルカの福音書2章には、当時12歳になっておられた少年時代のイエス様を知ることができる数少ない記事の一部分であります(ユダヤ人の男子は12歳になると「律法の子」になるのです)。ここに記されている出来事の背景にはユダヤの過越祭のことがあります。ユダヤの三大祭りの一つであるこの祭りでは、ユダヤ人がほとんどみなイスラエルの都エルサレムに上って来て、神殿にお参りをするという慣習があったのです。ユダヤの人にとって、大事な出来事を記念するお祭りですから、一家そろって、いや親戚縁者みな一団となってエルサレムに上ってそこで数日を過ごすのです。 

 祭りが終わっての帰り道も当然、団体で旅をしたわけであります。ところが、祭りが終わってみな帰路についたのに、少年イエス様だけは何故かエルサレムにとどまっておられました。でも、イエス様の両親はそのことに気づいていなかったのです。一日分の道のりを行ったところまで来て、両親はようやくイエス様が一行の中にいないことに気づいたのです。一日経ってから気づくなんて暢気すぎないだろうか、遅そすぎないだろうかというような疑問を持たれる方も多いと思います。でも、よほど大人数の、顔見知りばかりの団体ですから、「どこか親戚の人たちの中か、同年代の子供たちに混じってお話をしながら歩いているのでしょう・・・」と考えて確認しなかったとしても責められるようなことではありません。

 さて、わが子がいないと気づいたとき、両親は多分気が動転して心を取り乱していたに違いありません。親戚や知人の中を探し回ったけれども、見つかりませんでした。それで、当然のことですが、必死になって探しながら三日もかかってエルサレムまで引き返したのであります。そして、エルサレムに着いて、ようやくイエス様を見つけることができました。ところが、なんとそこには、置き去りにされて困り果てている少年の姿ではなく、神殿の中で教師や学者たちの真中にすわって、話を聞いたり質問したりしている賢く知恵に溢れた12歳の少年イエス様の姿があったのであります。大人の学者たちを相手に堂々と問答しているイエス様の姿を見て、とても両親は驚いたに違いありません。
 
 イエス様のご両親は、ほっとすると同時に「どうしてこんなことに!」との思いが湧き起こったとしてもそれは自然の感情ではなかったかと思います。思わず母マリヤは、「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」(ルカ2:48)と言いました。それに対してイエス様は何とお答えになられたでしょうか。イエス様は、両親に対して、「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」と、毅然として言われました。それはイエス様を捜すという行為が的外れなことなんですよと言わんばかりであったのです。両親はこのイエス様のおことばにとても驚いただけではなく、そのおことばの意味がよく理解できませんでした。
 
 このとき母マリアが言った「父上も」というのはこの世の父、すなわちヨセフを指していますが、少年イエスが「自分の父」と呼んだのは「御父なる神」の御父のことであります。このことは、母マリヤにとってもすごくショックだったと想像します。いやがうえにもマリアは天使の言葉や、神殿で出会ったシメオン老人の預言を思い出さずにはいられなかったことでしょう。わが子とはいえ、イエス様は普通の子供とは違う使命を背負っていることを考えざるを得なかったことでしょう。この時のイエス様のお答えは、ご自分が神の御子であり、どのような使命を持っておられたかをはっきりご存じであったことを示しています。日本語の新改訳では、「わたしの父の家(神殿)」となっているが、英語の新欽定訳によれば、「わたしの父の仕事(my Father's business?)」となっています。

 イエス様は、12歳の時にすでに、ご自身がどのような生涯を歩み、御父から授けられた尊いご使命がいかなるものであるかをご存じだったことを知ることが出来るのであります。この時にイエス様の心中を察することが出来ず、また彼が語られたお言葉の意味がはっきりと理解できなかったのです。いずれにしても、両親とイエス様はエルサレムで再会し、無事ナザレに帰ることが出来たのです。そして、母マリアはイエス様が言われたお言葉をみな、心に留めておいたのであります。読者のみなさんも、少年イエスが背負った運命が何のためのもので、その意味は何なのか、はっきりわかる時が来るまで、このお言葉を心に留めながら、引き続き聖書に親しみ、是非読み続けていただきたいのです。

●「しかし両親には、イエスの話されたことばの意味がわからなかった。それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。 」(ルカの福音書2:50~52)。

 さて、「イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。」 というこのみ言葉は、イエス様が真に人であられ、両親のヨセフとマリヤに仕えられ、普通の人間として成長して行かれたことを示しております(当然、罪を犯すこと以外においてですが・・・)。①知的面における発達→「ますます知恵が進み」。②身体的な面における発達→「背丈も大きくなり」。③霊的面での発達→「神に愛された」。④社会面における発達→「人に愛された」。このように、主イエス様はすべての面において完璧に成長して行かれたことを知ることができるのであります。ここに、少年時代のイエス様の成長の記録と偉大さを見ることができます。
 
 そして、天地万物の創造主なる御方であるにもかかわらず、主は身分の卑しいユダヤ人の家庭に生まれ、大工の息子としてナザレで過ごされたのです。そして、その貧しい家庭において御父にも両親にも従順な子どもとして成長されたのであります。この時から30歳(公生涯の初め)に至るまでの18年間の歳月のことについては、聖書は何故か沈黙し、何も語っていません。これらの年月は、主イエス・キリストの公生涯のための準備期間として必要なものであったのでしょう。イエス・キリストの公生涯における試練と迫害、そして十字架の死に至るまでのことを熟考しますと、やはりこの期間は訓練のために必要なものであったのだと考えることができます。
 
 また、イエス様の両親はわが子が道に迷ったと思って、あちこち捜しながら、エルサレムに引き返したのでありますが、神の御子が「道」(人生の道においても)に迷うことは決してありません。かえって、イエス様の両親も含めて、私たち人間が神から離れて道に迷っているのです。そのような迷っている者たちを捜し出して神の御許に導いてくださるためにキリストはこの世に救い主として来てくださり、十字架にかかって身代わりに死んでくださったのです。イエス様ご自身こそ、「私が道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14:6)と言われた御方であります。「人の子は、失われた人を捜して救うために来たからです。」(ルカ19:10)と書かれてある通りなのです。
 
●「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である。』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。 」(ピリピ人への手紙2:6~11)。 

◆〓◆〓◆〓◆〓◆〓◆〓◆〓◆〓◆〓◆

★キリストの偉大な力

2006-05-30 | 「キリストの偉大なる生涯」



  新約聖書の初めには、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書がありますが、福音書はイエス様の生涯のことがそれぞぞれ四つの観点から記されています。さて、四番目の「ヨハネの福音書」の記事の中には、イエス様が行われた七つの奇蹟(しるし)が記されてあります。他の三つの福音書には、イエス様が行われた奇蹟がたくさん記されてありますが、ヨハネの福音書には多くの奇蹟の中から、七つだけが選ばれて記されているのです。聖書の中の数字にはそれぞれ意味があり、「七」は完全数であります。因みに、「六」は「七」に一つ足りない不完全なもの、すなわち「人間」を示している数字です。それでは、ヨハネの福音書の七つの奇蹟から、イエス・キリストの偉大な力の一端を見てみましょう。

【1】水をぶどう酒に変える奇蹟。⇒「質」の問題。
 ガリラヤのカナで婚礼があった時の話です。そこに、イエス様とその弟子たちも招かれました。婚礼の途中でぶどう酒がなくなってしまったのですが、その時、母マリヤがイエス様に向かって「ぶどう酒がありません」と告げたのであります。私たちの人生においても、その途中でいろいろなものがなくなり、困惑することがあります。そのとき、まず、イエス様に告げることは幸いです。イエス様は、手伝いの者たちに六つの水がめに水を満たすように命じ、イエス様の言われた通りにして、宴会の世話役の所に持って行くと、その水がぶどう酒に変わっていたのです。これは、本当に不思議な出来事でした。そして、この福音書の記者は「イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。 」(ヨハネの福音書2:11)と記しています。「しるし」というのは、イエスが神の御子であり、世の救い主であることのしるしという意味です。

【2】王室の役人の息子の病気が癒される奇蹟。⇒「距離」の問題。
 この第二のしるしも、カナで行われた奇蹟です。イエス様は再びガリラヤのカナに行かれたのですが、このカナから約30km位離れた所にあるカペナウムの町に、病気になった息子を持った王室の役人が住んでいたのです。この役人は、死にかけている息子のために、イエス様の所へ行って、下って来て息子が死なないうちに癒してくださるようにと願ったのであります。しかし、イエス様はカペナウムへは下って行かないで、彼に「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」(ヨハネ4:50)と告げました。その役人はイエス様が言われたことばを信じて帰って行きました。そして、彼は帰途の途中で、彼のしもべから、息子が直ったことを聞いたのです。そして、家族全部がイエス様を信じたのです。王室の役人はイエス様がカペナウムに下って来られるように願いましたが、イエス様にとっては、30kmの「距離」は何の妨げにも問題にもなりませんでした。

【3】38年間病気で寝ていた人の癒しの奇蹟。⇒「時間」の問題。 
 ユダヤ人の祭りがあった時のことです。イエス様は、エルサレムに上られました。エルサレムには、羊の門の近くにベテスダという池があって、五つの回廊がついていたのですが、その中に大勢の病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者が伏せっていました。この池には、主の使いが時々降りて来て水を動かすのですが、水が動かされたあとで、最初に入った病人だけが癒されたというのです。そして、「そこに、38年もの間、病気にかかっている人がいた」(ヨハネ5:5)のですが、彼を水に入れてくれる人は誰もありませんでした。イエス様は彼をご覧になり、深く同情され、「よくなりたいか」(ヨハネ5:6)と言われ、その男に、「床を取り上げて歩きなさい。」(ヨハネ5:8)と言われました。すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出したのです。38年という時間はイエス様にとってその病いを癒すのに何の妨げにもなりませんでした。

【4】五千人の飢えた群集にパンを与えた奇蹟。⇒「量」の問題。
 イエス様はガリラヤ湖の近くの山に登られたのですが、主が病人たちになさっていた奇蹟を見た多くの群集がイエス様につき従っていました。そして、時間も経って群集は空腹になり、飢えていました。その時に、大麦のパン五つと小さい魚二匹を持っていた一人の少年がそれをイエス様に差し出しました。そして、イエス様はその少年の弁当であったかもしれないたった五つのパンと魚二匹を受け取って、それをイエス様の手の中でどんどん増やして、男だけでも五千人いた群集は、次々と配られたパンと魚を十分食べて満腹したのです。そして「大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので12のかごがいっぱいになった」(ヨハネ6:13)のであります。私たちの人生においても、「量」が少ないことを問題にすることがよくありますが、イエス様はそのような問題は簡単に解決することが出来るのであります。

【5】湖の水の上を歩かれた奇蹟。⇒「自然界」の問題。
 日も暮れ始めて、イエス様の弟子たちはガリラヤ湖を舟で対岸に向かって渡っていました。すでに暗くなっていましたが、湖は吹きまくる強風に荒れており、舟は木の葉のように揺れていました。「こうして、舟が4、5キロメートルほどこぎ出した頃、彼らはイエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て」(ヨハネ6:19)弟子たちは非常に驚いたのであります。しかし、イエス様は平然として彼らに言われました。「わたしだ。恐れることはない。」と。決してあり得ないような事実を目の当たりに見て、弟子たちは、ただ驚愕する以外にありませんでした。現代にそのようなことを目にすればやはり誰でも驚き恐れるのは当然であります。しかし、イエス・キリストは万物を創造された神の御子であり、今もその偉大な力で万物を保持しておられる方ですから、このように自然界を支配して水の上を歩くことは、畳屋が畳の上を歩くよりも簡単なことであります。

【6】生まれつきの盲人開眼の奇蹟。⇒「先天的不幸」の問題。
 ある日、イエス様は道の途中で、生まれつきの盲人をご覧になられました。弟子たちは彼について質問して言いました。「彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」。それに対してイエス様は次のように答えられました。「この人が罪を犯したのでもなく、その両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。」(ヨハネ9:3)。そして、イエス様は間もなく地面につばきをして、そのつばきで泥を作られ、その泥を盲人の目に塗って、「シロアムの池で洗いなさい。」と言われました。「そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって帰って行った。」(ヨハネ9:7)。これは、何と驚くべきみわざでしょうか。生まれつき障害を持っている人や先天的不幸を持っている人にとっても、これは大きな慰めであります。聖書は私たち人間は生まれつきの霊的盲人(罪人)であると教えています。私たち罪人に対するキリストの福音を暗示している出来事であります。

【7】死人ラザロがよみがえる奇蹟。⇒最も大切な「命と死」の問題。
 これは、最後の第七番目の奇蹟(しるし)です。ベタニヤに住んでいたマルタとマリヤの兄弟ラザロが重病になり死にかけていたのですが、姉妹たちは、イエス様の所へ使いを送って「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」(ヨハネ11:3)と言わせて助けを求めたのです。しかし、イエス様は「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためためです。」(ヨハネ11:4)と言われ、何故かラザロの所に急行することなく、意図的にわざと時を遅らせ、何と死後四日も経って、もう墓に葬られ、死体が腐って臭くなってから現場に到着したのです。そして、「ラザロよ。出て来なさい。」(ヨハネ11:43)と大声で叫ばれると、何とラザロが生き返って墓から出て来たのであります。死にかけている病人を癒すよりも、死後四日も経て、腐敗臭漂う死人を生き返らせる方がはるかに主イエス様の偉大な力が現されたことは明らかです。ラザロの死と復活は、イエス・キリストの死と復活の真理を証しする決定的な「しるし」でもあったのです。

 これらの七つの力ある奇蹟は、イエスが神の御子であり、真の救い主であることを明らかに示す「しるし」であります。そして、イエス・キリストは、人生のあらゆる問題に真の解決を与えることの出来る力ある御方であることをも示しています。そして、ご自身がこれらの力を持たれた御方であることを示されて後、やがて人類の罪のために十字架に架かられ、また、三日目に復活されたのであります。

●「この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行なわれた。しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。 」(ヨハネの福音書20:30,31)。

●「イエスが行なわれたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。 」(ヨハネの福音書21:25)。

 
 ■□☆★☆□■☆★☆□■☆★☆□■ 
 

★宿屋には部屋はなかった・・・

2005-12-27 | 「キリストの偉大なる生涯」
 
         

●「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」(ルカの福音書2:1~7)。

  ここに、救い主が誕生された時のことが書かれています。イエス・キリストがお生まれになった当時のユダヤ人たちが首を長くしてその誕生を待っていたかというと必ずしもそうではなかったようです(一部の人を除いて)。反対に、当時の世の中の人たちは自分自身のことに忙し過ぎて、キリストがお生まれになるための部屋すら提供しようとはしませんでした。そのためにキリストは家畜小屋でお生まれになられたのであります。それだけでなく、もし神が御使いたちを送って羊飼いに知らせなかったならば、また、星を送って東方の博士たちを導かなかったとしたら、だれひとりキリストの誕生に気づかなかったかもしれないのです。

 そして、今の時代の人たちも全く同じであるということが言えます。世の中の人たちはみな多忙を極めていて、キリストが誕生された意味や目的について、関心を払う人はほんの僅かしかいないのです。だれもかれもみな、自分の生活のことで心がいっぱいで、イエス・キリストが私たちのための救い主として来てくださったのに全く無関心であります。仕事のために忙しい人、生活を楽しむために忙しい人、生活向上のため、子供の教育のため、慈善や社会奉仕のために忙しい人、何かの研究に忙しい人、また、お金を貯めるために忙しい人もいます。そして、誰も自分たちの心の中にキリストを迎えるための部屋を作ろうとしないのです。

 もちろん、多忙なことは必ずしも悪いことではありませんが、イエス・キリストに対して全く無関心になるほどにこの世の生活に没頭してしまっていることが問題なのであります。そして、宿屋以外の場所にもキリストを迎える場所がなかったのであります。王の宮殿にもキリストを迎える場所はありませんでした。ローマ皇帝にとって、ナザレから来た卑しい大工(ヨセフ)と彼の連れ合いであるお腹の大きなマリヤのために部屋を提供することは全く馬鹿げたことであったことでしょう。また、ユダヤの王ヘロデもキリストのために部屋の用意をするどころか、東方の博士たちにキリストの降誕を知らされると、幼子(イエス)を殺す陰謀をさえ現実に企んだのであります。また、この世の賢者たちや学者たちのうちにもイエス様を迎える部屋を用意する人はだれもありませんでした。

 しかし、権力者や地位のある人、知恵のあるや高貴な人はキリストが来られた時冷淡であったかもしれないが、私たちのような庶民は違うのではないかと思われる方もおられると思います。私たちは時々、庶民は裕福な人たちより情け深く、慈悲の心があると考えるかもしれません。ところが、実際は必ずしもそうではないのです。実際、上に記したみことばにあるように、「宿屋には彼らのいる場所がなかった・・・・」(7)のであります。キリストの時代の「宿屋」というのは、金持ちや高貴な人たちの宿泊する場所ではなかったのです。裕福な人たちは友人宅に迎えられます。宿屋は、他に行き場のない庶民のための宿泊施設であったのです。そして、イエス様のための場所がなかったのは、まさにその場所だったのです。

 多分、当時、宿屋は住民登録のためにそれぞれ自分の町に向かっていた旅人たちでごった返していたと思われます。そして、部屋は一つ残らずふさがっていました。そして、だれ一人として身ごもっていたマリヤとその夫ヨセフのために部屋を譲る人はありませんでした。長旅で疲れきっていた二人が泊まる部屋はなかったのです。------こうして、キリストは締め出されて、「家畜小屋」で生まれる運命となったのであります。彼らはみな庶民でありましたが、やはりみな自己中心であり、自分の生活のことしか考えない者たちであったのです。そして、救い主の誕生に無関心であったのです。そして、彼らも自分の心の中にキリストを迎え入れる部屋はありませんでした。

 そして、今日も同様に私たちのたましいのあらゆる部屋は、世の中のあらゆる様々な関心事でぎゅうぎゅう詰めになっているのではないでしょうか。持ち物、快楽、仕事、事業、お金、人々の賞賛や歓心を得ることなどであります。どうでしょうか。あなたは、キリストを汚い家畜小屋に追いやってしまっていないでしょうか。家畜小屋にお生まれになられ、飼葉桶に寝かせられた赤ん坊は、全人類の救い主として来られたお方であり、彼は、王の王、主の主であり、ほかならぬ栄光の神であり、全宇宙を創造された御方なのであります。家畜小屋はイエス様が誕生されるのに最もふさわしくないと思われる場所であります。しかし、神はそれをよしとされたのであります。世界中で最も偉大な御方であるイエス・キリストはこのようにご自身を低くされ、へりくだって来られたのであります。

●「この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」(ヨハネの福音書1:10、11)。

●「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。 」(ヨハネの黙示録3:20)。

●「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。 」(ヨハネの福音書1:12、13)。


 イエス・キリストが来られた目的は、私たち罪人をその罪と罪のさばきから救ってくださるためであります。この御方は、「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが人の子(キリスト)には枕するところがありません。」(ルカの福音書9:58)と言われたほど貧しくなられました。そして、非常に多忙な日々を送られ、病人や罪に苦しみ悩む者に救いの手を差し伸べられ、ご自身の愛を余すところなく示され、最後にすべての人の罪を背負って十字架で死なれたのであります。今日、あなたは、このようなすばらしい救い主を信じ、心の真中に迎え入れるなら幸いであります。

 


★イエス・キリストのご謙遜

2005-11-15 | 「キリストの偉大なる生涯」
     


 何かの本で読んだことのあるうろ覚えの記憶ですが、こんな話があります。一本の大木が倒れて、深い谷の上に自然の丸木橋を作っていました。その丸木橋の上を根元の方からA さんが、また梢の方からB さんが同時に渡って来ました。当然、A さんとB さんは橋の中央で出会うわけですが、丸木橋の上で体を入れ替えることができないのです。そして、AさんもB さんも、互いに自分の誇りにかけても、後へ引き返すことはしないのです。そして、ついにA さんは、腰の鋸で丸木橋の真ん中をゴリゴリと切り始めました。そして、B さんは真ん中から切り離された木の梢といっしょに、「あっ~!負けた~!」と叫びながら、谷底にまっさかさまに落ちて行くのです。
  
 ところが、A さんは根がついているために半分になっても落ちないで残っている片方の丸太の上で鋸を構えて、「ざまあ~見ろ~!」と言わんばかりに立っているのです。しかし、Bさんの強情は、自分を谷底へ突き落とし、一方のA さんの高慢は、B さんを谷底に突き落としていい気分になっているのですが、A さんの最初の目的であった谷をこちらからあちらに渡るということを不可能にしてしまったのです。人間は、みな自己中心で高慢なものであり、人間の「高慢」によって生み出されるものは何もなく、それは破壊的であり、空しい悲惨な結果しか残らないということを教えられますね。

ちなみに、アンデス山中の山羊(やぎ)は、非常に険しい狭い岩棚で山羊どうしが出会った時には、すれ違うには狭過ぎてどうしようもないので、どちらも引き返さなくて済むようにどちらか一方の山羊がその場に膝をついて座り込んでしまうそうです。すると、残った方の山羊はこの座っている山羊の上を乗り越えて前に行くという話を聞いたことがあります。座って相手に自分を踏みつけさせて行かせることは、屈辱のように思えます。しかし、この危険な岩場では、いつも、道を譲って跪いて下にいる山羊の方が安全であるということです。アンデス山中の山羊は、人間より賢く、知恵があるようにも思えるのですがみなさんはどう思われますか。人間の世界では、いつも我を通そうとして争い、常に危険にさらされているというのが現実ではないでしょうか。

ところで、キリストのご謙遜は、とても通常の人間には考えられないようなものでありました。「謙遜とは、橋のようなものである。」とある方が言いましたが、橋が人をこちら側からあち側に移すように、キリストは私たち罪人を死からいのちへ、永遠の滅びから天国へと移す橋となってくださったのであります。キリストは永遠の昔から存在されておられた神の御子であられますが、約2.000年前に、人の姿をとってこの地球上に誕生されました。神の御子がユダヤの田舎のベツレヘムの馬小屋で誕生せられ、飼葉桶に寝かせられました。そして、貧しい大工の子として成長され、30歳になられてから3年半の公生涯を送られ、数々の愛のみわざを行われ、最後に地球上のすべての人類の罪のために十字架上で身代わりに死なれたのです。

●「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。」(ピリピ人への手紙2:6~9)。

●「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」(マタイの福音書20:28)。

●「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」(ヨハネの福音書14:6)

このヨハネの福音書14章のみことばは、イエス様が13章の最後の晩餐の食事の際に、跪いて弟子たちの一人一人の足をお洗いになられた後に語られました。当時、ユダヤでは客人の足を洗うのは、奴隷のする仕事であったのです。しかし、イエス様は神の御子であられ、世界を創造されたほどの偉大な御方でありながら、この私たち罪人を救うためにこの地球に誕生され、西走東奔されて人々に仕える日々を送られ、罪無き33年のご生涯の果てに十字架上に磔にされ、ご自身のみ体を鮮血で染められて、6時間の惨い激痛と渇きに耐えられて死なれたのです。これほどまでにへりくだって、真の愛をもって人類の罪の贖いのみわざを成してくださった御方を無視して救いを拒む方となられませんように。イエス・キリストのご謙遜は、私たち罪人を天国へと導く橋(道)となるためであったのです。
  
 (昨年11月に、どれだけ続くだろうかと不安を抱きながらこのブログを始めたのですが、あれから今日でちょうど丸一周年となりました。拙い文章で読みにくいところも多くあったと思いますが、これまでご訪問くださった方々に心からのお礼を申し上げます。)  
 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△ 

★「イエスは涙を流された」

2005-09-27 | 「キリストの偉大なる生涯」

 

●「イエスは涙を流された。」(ヨハネの福音書11:35)。

 
  聖書は旧約新約の全聖書合わせて、31.000節ありますが、この「イエスは涙を流された。」という一節は、聖書の中では最も短い一節として知られています。英語では、「Jesus wept 」で、僅かに二語だけです。新約聖書の原語であるギリシア語では僅かに三つの単語しかありません。「エダクリュセン・ホ・イエスース」です。私はこの短い一節の意味を深く解説しようなどとは毛頭考えていません。私のよな凡人には、神の御子であられるイエス様がラザロの墓で流された涙の深い意味を十分には理解できませんし、それに説明を加えるなどということ自体、何か恐れ多いことのように感じるのであります。しかし、この短い一節は、ラザロだけでなく、神様の全人類に対する深い憐れみに満ちたみ思いが凝縮されているような箇所ではないだろうかと、最近ふと考えることがあります。(因みに、日本語の新改訳聖書では、自分が調べた限りでは、一番短い一節はルカ20:30です。)
 
人間は、いろいろな時に涙を流すものであります。悲しみ嘆く涙、同情して流す涙、後悔した時の涙、嬉しい時に流す歓喜の涙、その他言葉では到底説明のできない涙もあります。雄大な大自然の美しい景色を眺めていて、その背後にある創造者の神秘的な力に圧倒されて、何かわけもなく涙が頬に流れているという経験をされた方もおられると思います。私が若い頃のことですが、無人島の松前小島の灯台で働いていた頃、まだ夜明け前の早朝に起床して、東の水平線から海面を真っ赤に染めて静かに昇って来る太陽を眺めていて、なぜか涙が目からあふれ出て来たのを40年過ぎた今でも記憶しています。そして人が涙を流す時には必ず何かの感情が伴なうものであります。涙は、ある意味で心の中の真実を表すものであるように思います。もちろん、俳優は演技力によって、涙を自由に流すことができるようですが、これは例外的なことです。

 15年ほど前になると思いますが、父が78歳の時、胃癌で亡くなりました。父が息を引き取ったのを悟ったそのとき、母は突然病室のベッドに伏していた父の亡き骸にしがみ付くようにようにして泣き伏していたのを思い出します。自分たちが子供のころから、病弱で随分苦労の多かった母でしたが、それでも、貧しい開拓農家で父と共に懸命に開墾のために鍬を振るい、農作業に汗を流して働き続けたのです。子供たち5人を育てるために極貧のどん底にあって、その苦労は、並大抵のものではなかったと思います。

そして、どんなに苦しい時にも母が声を出して泣いていた姿を見たことはありません。時々、悲しいかな、貧しさゆえに夫婦喧嘩をしている母の目に涙があったのを見たことがありますが、それは多くの場合、子供を守るためであり、常に子供の味方であり、母の優しさから来るものであったように思うのであります。その母がこの9月1日に肺炎のために病院で、静かに息を引き取りました。私は兄から電話で訃報を聞いても涙が出ませんでしたが、なぜか今頃になって、時々、自分が子供の頃の母の愛を思い出しては感慨に耽り、涙することがあるのです。悲しみだけではない、ことばに表せない複雑な涙です。

 日本ではなぜか、泣いたり涙を流したりすることは、女々しいことで男のすることではないと昔から言われて来ました。男は「顔で笑って、腹で泣け」などと言われて来たのであります。私もそのように言われて育ったせいかどうか分かりませんが、大人になってから声を出して泣いたという経験がないように思います。確かに最近は、女々しいと思われても仕方がないような若い男性も多くなって来たように思うこともあります。しかし、世界の文学を紐解いてみても、男が泣いたり、涙を流すということは決して珍しいことではないのであります。聖書の中の章や節は近代になって聖書の印刷業者によってつけられたものですが、なぜこの三語だけを一節としたのでしょうか。その印刷業者もまた、「イエスは涙を流された。」というこの聖句に感銘を受けたのではないだろうかと推測される方もおられます。

 イエス様が涙を流されたのは、死んだラザロの墓の前で、姉妹のマリアが泣き、一緒に来ていたユダヤ人たちも泣いているのをご覧になった時です。死という冷厳な事実の前に、人は無力であり、人間の愛は引き裂かれ、泣く以外にどうすることもできないのであります。この事実をご覧になって、イエス様は「霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて」(33節)涙を流されたのであります。イエス様が「涙を流された」のは、人間的には同情の心から出たものと思われますが、受肉されたイエス様の真の人間性を示すものであると思われます。主イエス様は「私たちの弱さに同情できない方ではありません。」(ヘブル4:15)と書かれています。しかし、イエス様の深い同情と苦悩の涙には、それ以上に、ラザロを死の支配から解放し、神のご栄光を現すための真の力が秘められていたものと思われます。そして、「霊の憤りを覚え」、イエス様の霊に激しく燃え上がった憤りは、「人類の最後の敵である死」(Ⅰコリント15:26)に対する挑戦の意味が秘められているのではないでしょうか。
 
 ヨハネの福音書11章の初めに、「そのようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられた所になお二日とどまられた。」(ヨハネ11:6)とありますが、初めてこの箇所は読む者には戸惑いを感じさせるのではないかと思います。愛する者の病気の知らせを聞いて駆けつけない者はいないはずであります。しかし、主イエス様は、ラザロの病気の知らせを聞いても、なお二日間同じ場所にとどまり、ラザロが確実に死へと向かうのをわざと待たれたのであります。一体、それは何のためだったのか。死にかけている病人を癒すよりも、死んで墓に葬られて四日も経て、腐敗を始めて臭くなっているような人を生き返らせた方が、さらに神の偉大な力と栄光を現すことができるのは間違いのないことであります。この二日間の意図的な遅延は、「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子が、それによって栄光を受けるためです。」(ヨハネ11:4)とのイエス様のおことばが実現するために必要なことであったのです。

 この11章では、イエス様がベタニア村のマルタ、マリア、ラザロの兄弟を愛されたことを、人間の情愛を指す動詞(フィレオー)を何度か用いています。イエスは温かい心の生身の人間として、彼らを愛されたことを示しているのでしょう。その愛が死によって引き裂かれ打ち砕かれる事実に、同情と共感の涙を流されたのです。このイエス様の涙は、主が私たちの悲しみを御自分の悲しみとしてくださっていることを示しています。聖書には「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」(ローマ12:15)とありますが、イエス様も泣く者と共に泣かれたのであります。神の愛(アガペー)は、人間の情愛(フィレオー)を否定するものではないのです。マルタやマリヤが、やがてラザロがよみがえることを知って喜ぶことを主イエス様は十分知っていたはずなのに、「涙を流された」のです。悲しんだり、涙を流すことと信仰は決して矛盾しないことを教えているのではないでしょうか。悲しい時には悲しみ、泣きたい時には泣いてもよいのです。

 イエスはラザロを生き返らせるために墓に来たのですから、イエス様の流された涙は単にラザロの死を悼んでの涙ではないように思います。確かに同情の涙でもありますが、罪のために死を免れない人類の不信仰と不幸に対する深い憐れみの思いが含まれていた涙ではないであろうかと思うのです。しかし、イエスは涙を流された後、憤りを覚えながら、じっと墓を見据え、大声で「ラザロよ。出て来なさい。」と、力強く死者に命じたのであります。すると、死後4日もたって遺体も腐敗し始めていたラザロが生き返って、手と足を長い布で巻かれたまま墓から出てきました。彼の顔は布切れで包まれていたので、イエス様は、「ほどいてやって、帰らせなさい。」と言ったのです。これは、何と驚くべきことでしょうか。そして、これらの事実を目の当たりに見ていた多くのユダヤ人が、イエスを信じたのです。ラザロの墓の前で、「涙を流された」イエス様と、死人に向かって「ラザロよ。出て来なさい。」と命じられたイエス様とは決して矛盾することなく、完全な人間であられ、また完全な神であられたイエス・キリストを十分に現しており、また調和を保っているのです。

 新約聖書には、イエスが他に二度ほど涙を流され、また泣かれた事実が記録されてあります。一つは、イエス様が最後にエルサレムに入城されるとき、その都のために泣かれたのです(ルカの福音書19:41)。エルサレムが、彼らの不信仰のために紀元70年にローマ軍によって滅ぼされるのを予知してのことであろうと思われます。もう一つは、十字架を目前にして、ゲッセマネの園での祈りの時のことと思われますが、「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。 」(ヘブル人への手紙5:7)と、記されています。この時、イエス様は血のしたたりのような汗を流して祈られました。キリストは、全宇宙を造られた創造者であり、今も万物をご自身の力で保持しておられる偉大な御方であります。このような御方が人の姿を取られ、この世に下って来られて、人々のために汗を流され、涙を流され、最後には罪人である私たちのために十字架で尊い血を流されたのであります。私はこのようなイエス・キリストの愛に対して大きな感動を覚えずにはおられないのです。あなたは、どのように思われるでしょうか。 

◆◆-◆◆-★-◆◆-★-◆◆◆-★-◆◆-★ 
 

★キリストの自己紹介

2005-08-23 | 「キリストの偉大なる生涯」
     

   私たちは、いろいろな機会に「自己紹介をしてください。」と言われることがありますが、そのような場合、私たちは自分の名前、住んでいる所、出身地や生い立ち、年齢、職業や仕事の内容、自分の家族のこと、趣味のことなど、その場面や状況に応じて紹介する内容も異なって来ると思います。しかし、私たちはこれらの「自己紹介」の内容をよく吟味してみますと、正しい意味において本当の「自己紹介」とは言えないのではないかということに気づくのです。私たちは、「自分は何者であるか。」というその根源までをさかのぼって語ることが出来るでしょうか。「自分はどこから来て、何のために生きて、どこに向かっているのか。」を明確に語ることができるでしょうか。私たちは、時々自分のことは自分が一番知っていると思いやすい者ですが、事実は何も知らないのに等しいということに気づかされるのです。

 しかし、イエス・キリストの「自己紹介」は、私たちとは全く異なっています。イエス・キリストは、ご自身について確信を持ってはっきりと断言して語ることが出来ました。新約聖書のヨハネの福音書の中で、イエス・キリストはご自身について七回、「わたしは‥‥‥です。」と語られた箇所があります。これは、ヨハネの福音書独特の言い回しであります。イエス・キリストの「自己紹介」がどのようなものであったかについて、この福音書の中に書かれてある七つの箇所を、見てみますと、大変興味深く、彼がどれほど偉大な比類なき御方であるかがお分かりになると思います。そして、この御方を信頼して歩む人生の幸いを知らされるのです。

【1】いのちのパン。
●「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。 」(ヨハネの福音書6:35)。

 キリストは、この時「わたしがあなたがたにパンを与えます。」と言われたのではありません。「わたしがいのちのパンです。」と語られたのです。このことばを語られたのは、キリストが成人男子だけで五千人の飢えた群集に、奇蹟によってパンを十分に分け与えられたあとに語られました。このことによって、キリストがいかに偉大な御方であるかが示されました。ここで、イエス・キリストは、肉体的には物質的なパンが必要であるけれども、さらに必要な霊的な「いのちのパン」について語られたのです。このような力あることばを語ることが出来るのはイエス・キリスト以外に決していません。

【2】世の光。
●「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネの福音書8:12)。

 イエス・キリストは、ご自身について力強く「わたしは、世の光です。」と宣言されました。このようなことばは、決していかなる人間も語ることのできないことばであることは明らかです。私たちは、自分の心の中を正直に見る時に、光に照らされると困るような汚れた醜く暗い心を持った自分を発見するはずです。そのような人間がどうして「わたしは、世の光です。」などと語ることができるでしょうか。また、この世の中のどんな輝かしい光も、一時的なものであり、やがて消えて行く光に過ぎません。真夏の夜に打ち上げられる美しい花火でさえ、私たちにしばしの間、暑さを忘れさせ涼感を誘うものですが、夜空に一瞬に消えて行くものです。キリストこそ、永遠に輝き続けて永遠のいのちに至る不滅の光なのです。このまことの光であるキリストを信じて従う者は、決して闇の中を歩むことなく、いのちの光を持つのです。

【3】門。
●「わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。」(ヨハネの福音書10:9)。

 ここでも、イエス・キリストは、この福音書独特の言い方で「わたしは門です。」と言われました。パレスチナでは、羊の囲いは石などを積み上げた高い塀で囲った所で、夜になると羊飼いは羊をみなこの囲いに入れ、野獣などから守ります。この囲いには「門」があって、そこには門番が門の戸の開け閉めをします。そして、羊はこの中に入っている限り安全なのです。イエス・キリストは、ご自分を門に譬えて、この「門」以外に、そこから入って救われる道は決してないことをはっきりと宣言されたのであります。私たちは、キリストという門をただ外側から眺めているだけではなく、そこから入って救われなければなりません。そこでは、私たちの魂に安らぎと憩いが与えられ、また豊かな霊の牧草(聖書のみことば)によって養われるのです。

【4】良い牧者。
●「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネの福音書10:11)。

 今度は、イエス・キリストは「わたしは、良い牧者です。」と言われました。人間の場合は、通常は、「私は良い○○です。」などと言いませんね。たとえば、「私は良い教師です。」とか、「私は良い医者です。」などと言ったのを聞いたことがありません。そんなことを平気で言う人がいたら、余程の変人と見なされることは間違いないでしょう。このようなことばは、イエス・キリストだけにしか言えないことばであります。良い羊飼いは、あらゆる危険と災いから羊を守り、保護します。羊が命を得、それを豊に持つために牧草地へ導き、いこいの水のほとりに案内します。そして、本当の良い羊飼いは羊のために自分の命を捨てるほどに、自分の羊を愛するのです。キリストは、弱く迷いやすい羊である私たちのために十字架で身代わりに命を捨てて、永遠の滅びから私たちを救ってくださいました。

【5】よみがえり。いのち。
●「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネの福音書11:25)。

 今までは、「いのちのパン」、「世の光」、「門」、「良い牧者」などと、すべて比喩で語られたのですが、この「わたしは、よみがえりです。いのちです。」はそのものズバリで語られました。イエス・キリストは、間違いなく「よみがえり」であり、「いのち」そのものであります。どのような道徳家も宗教家も、キリストのように「わたしは、よみがえりです。いのちです。」と語ることは決してできません。イエス・キリストはすべてのいのちの根源なる御方であり、生きとし生けるものすべてのすべて、彼によって造られ、いのちを与えられ、生かされ、そして、今のこの瞬間にも、キリストによって私たちのいのちは支えられているのであります。ここに記されているラザロは、キリストを信じる者が永遠のいのちを与えられる「しるし」として、本当によみがえらされたのです。

【6】道。真理。いのち。
●「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。 」(ヨハネの福音書14:6)。

 イエス・キリストは、ここで、ご自身が「道」であり、「真理」であり、「いのち」であることを語られました。しかし、特に強調されているのは、ご自身が「道」であるということでます。なぜなら、その後に「わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはできませんん。」と続いているからです。どのような道であっても、道はすべてどこかへ行くためのものです。キリストが言われたこの道はどこに通じている道でしょうか。父のみもと、すなわち神に帰る道、天国に行く道であります。日本人は何事でも、曖昧に玉虫色で物事を解決しようとします。ですから、多くの人々は、救いに至る信仰についても「分け登る 麓の道は多けれど 同じ高嶺の 月を見るかな」の歌を引き合いに出して、どの道から登っても結局同じ高嶺の月を見るように、真理は一つであってもそこに到達するには、いろいろな道(宗教)があるのだと、いい加減ななことを言うのです。

【7】まことのぶどうの木。
●「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。」(ヨハネの福音書15:1)。

 イエス・キリストは、ご自身を紹介する最後の七つ目のことばとして、「わたしはまことのぶどうの木である。」と語られました。この福音書で「まこと」ということばが使われる時は、ひな型に対する本体、未完成に対する完成、あるいは約束に対する成就という意味で使われています。ですから、ここでも「ぶどうの木」という比喩が示している実体(本体)はイエス・キリストご自身であることを示しています。ところで、「ぶどうの木」はぶどうの実を実らせるためにあります。そして、たくさんの熟した実が成ると一番喜ぶのは農夫です。イエス・キリストは、ご自身のことを「わたしはまことのぶどうの木である」と言われ、父なる神様は農夫であると言われたのです。私たち人間を「ぶどうの木の枝」であると言われました。これは、非常に分かりやすい譬えです。枝がぶどうの木につながっていなければ決してぶどうを実らせることはないのです。それと同様に私たち人間は、キリストを信じて救われ、永遠のいのちを受け、キリストにつながっているならば神様のために豊に実を結ぶ幸福な人生を歩むことが出来るのです。



★傷ついた葦のような人間

2005-03-22 | 「キリストの偉大なる生涯」

           

 パスカルは、「人間は、自然の中でもっとも弱い葦である。 しかし、それは考える葦である。」と言う有名な言葉を「パンセ」に残しています。人間というのは、肉体的にも精神的にも確かに弱く、また、非常に傷つきやすい存在であります。今日は、この中の「考える葦」の部分ではなく、「弱い葦」である人間について考えて見たいと思います。「人間の心の中にはいかなる困難も乗り越えて生き抜こうとする逞しさと、針の先ほどの些細なことが原因で絶望的になってしまう脆(もろ)さが同居している存在である。」と語った人がいますが、まさにこれは名言ではないでしょうか。 

 確かに、私たち一人一人はどんなに強そうに見えても、「葦」のように弱く、傷つきやすい者たちではないでしょうか。猫に引っかかれて手足に傷つけられたとしても、そんなことで何日も悩んだりする人はまずいないでしょう‥‥。しかし、人間は、他人の中傷や陰口などのことばには簡単に傷つき、そして一度傷つくと、夜床に入っても、なかなか寝付かれなかったり、何日も癒されないことがあります。ただ、癒されないだけでなく、ちょっとした他人の不注意なことばに、深く傷つき、自殺した若者の話も聞いたことがあります。また、人は困難や試練に遭遇して、傷んだ葦のように弱くなり、萎縮してしまうこともあるのです。若い人だけでなく、年を重ねても、このような人間の性質はあまり変化がないようですね‥‥。

 ●「争うこともなく、叫ぶこともせず、大路でその声を聞く者もない。 彼(キリスト)はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない、公義を勝利に導くまでは。 異邦人は彼の名に望みをかける。」 (マタイの福音書12:19,20)。 

 この新約聖書のみことばは、旧約のイザヤ書にあることばで、メシヤの特色を預言してイザヤが記したものですが、「争うこともなく、叫ぶこともせず、大路でその声を聞く者もない。」というのは、非常に柔和で温和な謙遜なメシヤの姿を描いているのです。また、「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない。」ということばも、キリストがいかに優しく、思いやりの深いお方であるかをよく表しています。

 また、上記のみことばは、この福音書の記者であるマタイが記しているように、イエス様が片手の萎えた人の手を癒された後に、イザヤ書42章のことみことばの成就としてこれを引用しているのであります。それは、イエス様が片手のなえた人を癒された愛のみわざを通して、イエス様がそのように優しく、謙遜なお方であることを示すためなのです。

 主イエス様は、人がいたんだ葦のようになり、また、くすぶる灯心のようになっている現実をご覧になって、深く同情されるお方なのです。そして、いたわりと優しい心をもって近づき、接してくださるのです。これは決して、葦を折らず、灯心を消さないという消極的なことではなく、積極的に「傷ついた葦」を立たせ、「くすぶる灯心」をもう一度明るく輝かせてくださるという意味であります。イエス様ご自身が、人間的に見るならば、いたんだ葦のようになられ、またくすぶる灯心のようになられたので、葦のように弱い私たちを理解し、また、同情することの出来る方なのですね‥‥。

 さて、この「いたんだ葦」と「くすぶる灯心」について少し考えて見たいのですが、「葦」は湿地や沼地帯に生えています。葦はそよ風にも大きく揺れ動く弱い植物ですが、それが、傷ついて痛んでいるのです。ですから、「いたんだ葦」がどれほで、弱い存在であるかが分かると思います。また、「灯心」は、器に油を入れて、その芯を燃やして部屋を明るくするものですが、この「くすぶる灯心」は、油が切れ、芯が消耗し、もはや赤い残り火も見えなくなって、今、まさに消えかかってくすぶっている状態です。部屋のドアが開いてわずかの風が入って来るだけでも消えてしまうような灯心です。

 また、この「葦」と「灯心」には一つの共通点があります。それは、葦は「水」がなければ枯れてしまいます。葦の一切は水に依存しています。また、「灯心」は油がなければ灯火をともすことができません。しかも、くすぶっている灯心です。どちらも、自分自身では、自分を支えることも、自分にいのちを与えることもできません。この両者は、初めから他に依存しており、私たち弱い人間の状態をよく示しているのではないでしょうか。同様に、人間はそのすべてを神に依存しており、神なしにはただの数分も生きることができないのです。(あなたは、自分の意志で、心臓を動かしたり、呼吸したりしていませんね・・・。人はみな神に生かされている存在なのです。)

 イエス様は、あるとき、エルサレムのベテスダの池のほとりで、38年もの間、病に臥せっていた病人に対して、深く同情され「よくなりたいか。」と声をかけられ、そして、彼を癒されたのです。また、ヨハネの福音書8章には、姦淫の現場で捕らえられ、イエス様のところに連れて来られましたが、この女性は、まさに「いたんだ葦」「くすぶる灯心」でありました。しかし、イエス様は、彼女に対しても優しく語りかけられ、彼女をもう一度、ご自身の愛によって立たしめてくださったのであります。「真の愛は人を生かすもの」であることをこの記事は示しております。

 また、ルカの福音書19章には、取税人ザアカイとイエス様の出会いの場面が記されてあります。ザアカイの心の傷は何でしょうか。孤独と空しさです。表面上は幸福そうに見えたかもしれません。しかし、彼の心には、何ものによっても埋められない空洞があったのです。彼も、やはり、いたんだ葦でありました。しかし、イエス様は孤独なザアカイの心をご存じであり、彼に優しく語りかけられ、その孤独な心はイエス様によって埋められたのであります。そして、彼は、自分の罪を悔い改め、真の神様に立ち返りました。

 ペテロの生涯においても、また、失敗し落胆し、意気消沈して「くすぶる灯心」のように弱い状態になることがありました。しかし、イエス様は、ペテロの信仰の回復のために、やはり、全力を尽くしてくださいました。主は傷つき、弱っている者を必ず立たせてくださいます。私たちは、だれでも自らの弱さを認め、キリストの保護と助けと慰めが必要なのです。

●「主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、『きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う。』と言われた主のことばを思い出した。彼は、外に出て、激しく泣いた。」(ルカの福音書22:61,62)。

●「私たちの大祭司(キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」(ヘブル人への手紙4:15)。


  □■□■□■□ □■□■□■□  

★キリストの完全な生涯

2005-02-18 | 「キリストの偉大なる生涯」
   
  

   私たちは、あまりよく知らない道を車で走っている時、どしゃ降りの雨の日とか、雪が降りしきる日などによく道を間違える時がありますが、その場合、間違った地点まで、Uターンして、そこから別の道へ入るわけです。私自身かなりの方向音痴で、度々そのような失敗をする者であります。私たち人間は、例外なく、地上に生まれた人間なら、だれにも間違うことがあるのであります。  

 私たちは、人生においても、間違ったり、間違った決定をしたりすると、私たちは迷い始めた場所まで、人生の道を引き返し、やり直すことができたならと、どんなに、しばしば願うことでしょうか。これは、一般的な経験であり、人間にとって当然のことではないでしょうか。

 しかし、イエス・キリストの生涯は特別であります。彼は決して一つの間違いもしませんでした。もし、あなたが、キリストのご生涯について、聖書を注意深くお読みになられるなら、そのことについて確信を持つことができます。主イエス・キリストは、決して、「多分、そうでしょう。」とか、「おそらく、‥‥でしょう。」とか、「わたしは、そう思います。」などというようなことばは、決して用いられませんでした。彼の語る言葉は、常に明瞭であり、権威と確信に満ちており、曖昧模糊としたものは何もなかったのであります。
 
 最も、偉大な哲学者たちは、「考える人たち」でした。彼らは人生の諸々の問題に直面して、悩み、それらの問題に頭脳を働かせ、そして、その末に結論を出したのです。しかし、私たちは、イエス・キリストが誰かに詰問されて答えに窮したり、彼が難問を前にして考え込んだりしている姿を、聖書の中に決して見ることができません。ある意味で、彼は「考える人」ではなかったというのは真実です。これは、決して思考することがなかったという意味ではありませんので、その点は誤解なさらないでください。

 イエス・キリストは、すべての時代のすべての人とものに対する答えを、正確に、明瞭に絶対的確信をもって、知っておられました。彼は、当然、「人生とは何か」とかについて考え込むこともなかったわけです。彼は、「人生の目的」を知っておられました。キリストは、この地上に存在している理由が分からないからと困惑してそれを解き明かそうとして、何日も考え込むなどということも決してなかったのであります。

 イエス・キリストは、何故この世にいるか、どのようにしてご自身が死なれるかも知っておられました。彼は墓(死)の向こうに何があるかも知っておられ、それを解明する必要はありませんでした。彼は、ご自身がいつ死の時が訪れるか、また死なれる時には十字架で死なれること、そして、死後、三日目に復活されることもすべてご存じでありました。

 イエス・キリストは、あるとき、宗教指導者たちに向かって、「あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです。」(ヨハネの福音書8:24)と言われ、また、ご自身については、「あなたがたのうち、だれがわたしに罪があると責める(ことのできる)者がいますか。」(ヨハネ8:46)と言われました。彼らは、主イエスに向かって、嘲笑し、非難しましたが、だれもイエス・キリストの権威ある堂々としたことばに言い返すことはできませんでした。そして、そののち、だれも、主イエスのうちに、その行動や語られたうちの一つの言葉にさえも、いかなる罪も見出した者はいないのです。そして、今日に至るまで、「キリストに罪あり」として、その証拠を示した人は一人もいないのであります。

 そして、イエス・キリストの生涯のうちのもう一つの驚くべきことは、彼が一度も「言い訳け」をなさったということがないという事実です。これは、彼が礼儀に欠けていたからではありません。彼には無作法や礼儀に反するようなことは一つもなく、完全な紳士であられました。キリストには、その語った言葉や働きについて、言い訳をするようなことは何一つなかったのであります。
 
 イエス・キリストは、死の前日の夕方、注目すべき祈りをなさいました。。「あなた(父なる神)がわたしに行なわせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。」(ヨハネの福音書17:4)。主イエスは神の前に確信をもって、このように祈ることができたのです。キリストは御父のみこころを完全に成し遂げられたのであります。

 キリストのご生涯ほど、完全無欠(無比)な生涯は他に全くないということは、疑う余地は微塵もありません。ですから、失敗したり、間違ったことを取り消すためにご生涯のある地点まで、逆戻りしようとする必要もそう願うことも決してありませんでした。キリストが、「わたしはわざを成し遂げました。」とおっしゃった時、過去を振り返ったばかりでなく、翌日ご自身の身の上に何が起こるかもご存じであられました。その次の日、主イエスが十字架につけられたとき、六時間の苦しみの後、午後三時頃、すべてのみわざを終えて彼は大声で「完了した。」と叫ばれたのであります。

●「この方のなさったことは、みなすばらしい。‥‥」(マルコの福音書7:7:37)。

●「あの人(キリスト)のように話した人は、いまだかつてありません。」
(ヨハネの福音書7:46)。

●「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。 」(ペテロ第一の手紙2:22~24)。

●「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。 また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。 」(ヘブル人への手紙7:25,26)。
   




 

★悲しき勘違い

2005-01-25 | 「キリストの偉大なる生涯」



  ある読み物に書いてあった感動的な話です。スイスのある村に「バリー」という名の主人に愛されていた賢い犬がいました。バリーは、世界によく知られたセントバーナード犬でした。この犬は、スイスのアルプスの雪の中から、それまでに合計して41人もの遭難者を救い出したことのあるすばらしい犬でした。吹雪になると、いつでも、バリーは恐ろしい死から人々を救うために、すぐにでも吹雪の中へ、飛び出そうとします。そして、生来の敏感な嗅覚によって、雪崩などで深い雪の中に埋められた遭難者を、すぐに見つけ出すことができました。

さて、このセントバーナード犬バリーに悲しい事件が起こりました。それは、バリーが42人目の遭難者を救い出そうとした時のことです。バリーは、雪に埋もれ死にかけている男の人を掘り出してから、訓練されたとおり、自分のからだをその男の上に伸ばして暖め、死にかけている男の人の命を回復しようとしたのです。しばらくして、犬の体温で暖められた男が、ぼんやりと目を覚ますと、自分の体の上に犬がいるではありませんか。

男はそれを見て、自分を殺そうとしている狼だと思い、とっさにナイフで、バリーの脇腹を刺してしまったのです。バリーは鳴き声もたてずに、飼い主の所へ這うようにして帰って行きました。その犬の歩いたあとには、雪の上に赤い血が点々と残っていました。飼い主の所まで、やっとたどり着いたときには、とうとう玄関の前で息が絶えて死んでしまったのです。吹雪の中を、バリーは人を救うために行ったのに逆に殺されてしまったのです。なんと、悲しい出来事でしょうか。

どうして、その男の人はそのような残酷なことをしてしまったのでしょうか?それは、バリーの目的を勘違いしてしまったからなのです。バリーは彼を救おうとして、彼の体の上に乗って暖めていたのに、彼はバリーが自分を殺そうとしていると思ってしまったのです。もし、あなたでしたら、どうなさるでしょうか。命を失うような危険な場所にいたとして、あなたを救いに来た人を刺すでしょうか。しかし、事実は大勢の人々が、その男の人がしたようなことを歴史の中でしたのです。

約2,000年前に天から下って来られた神の御子イエス・キリストは、貧しい馬小屋で赤子として誕生され、大工の子として両親に仕えられ、成長されました。30歳になられてから3年半の公生涯は、生まれつきの盲人の目を開かれたり、人々から忌み嫌われていたらい病人を癒されたり、手足の萎えた人や中風の人や、その他多くの可愛そうな病人や障害者の人に優しく接してくださり、友達のいない孤独な人、貧しい人々、社会から疎外されている人々、人から見下げられていたような罪深い人々にも救いの手を差し伸べてくださいました。また、死人が葬られた墓の傍らで同情の涙を流されたこともありました。そして、イエス・キリストは、死人をさえ蘇らせるという力あるわざもなされたのです。

イエス・キリストは、この地上の生涯において、人を愛する以外に何もなさいませんでした。しかし、この罪の全くない愛に満ちた御方が、33歳の時に十字架に貼り付けにされて、残酷な姿で殺されたのです。もちろん、その十字架の背後には、神様の驚くべき偉大なご計画があって許されたことでありました。それは、私たち罪人の身代わりに神様の刑罰を受けて下さったことを意味しています。人間の側から見ると、キリストに対するユダヤ人指導者の妬み、弟子の一人であるイスカリオテ・ユダの裏切り、人々の憎しみ、ローマ総督ピラトの保身的な意図と政治的な判断など、諸々の理由が混在していますが、神の側から見ると、キリストが十字架に付けれて死なれることは、みこころであり、人類を罪とそのさばきから救うための唯一の救いの道であったのです。

そして、2,000年過ぎた今日においても、イエス・キリストがこの世に来られた目的を正しく理解していない多くの方がおられることは誠に悲しいことです。キリストに対する様々な誤解、勘違いがあるのです。あなたは、キリストを単なるキリスト教の教祖とか、道徳家と勘違いなさっておられませんか。聖書のみことばから、どうか正しく理解なさってください。あなたを救うために来られて、十字架にかかってご自身のいのちを捨てるほどの愛を示してくださったイエス・キリストを信じて永遠のいのちを得てくださいますようにお勧めいたします。

●「あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。 そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男(バラバ)を赦免するように要求し、 いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。」(使徒3:13~15)。

●「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。」(Ⅰヨハネ3:16)。

●「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。 」(Ⅰヨハネ4:9)。

●「キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。」(Ⅰペテロ3:18)。 
 

●**○o*●o*。●*。*●*○o* ●○o*●

★キリストの生涯

2005-01-17 | 「キリストの偉大なる生涯」

  今から約2,000年前、自然法則に逆らって、一人の貧しい処女から生まれた方がおられます。彼は、小さなユダヤという国の田舎の貧しい馬小屋で誕生し、飼葉桶に寝かせられました。彼の父親は大工で、彼は生涯の間、貧しく質素な生活をしました。彼は、外国に旅行したこともなく、自分の国の国境を越えたのは、一回だけでした。幼い時に、両親と共に亡命したことがあったのです。この方には、お金や財力も政治的な影響力もありませんでした。また、彼には特別な学歴があったわけでもありませんでしたが、少年時代には何人かの偉い学者たちをその知恵によって驚かせたことがありました。
 
彼は、30歳を過ぎてから、公にご自身を現され、自然法則に逆らって、嵐を静めたり、海の上を歩いたり、その他数々の奇蹟を行って人々を驚かせました。彼は薬を使うこともなく、無料で大勢の病人の病いを癒されました。彼は病院を持っていませんでしたが、内科、外科、婦人科、眼科、耳鼻科、皮膚科、小児科、心療内科‥‥などに属するあらゆる病いと患いを癒されたのです。そして、多くの悩み苦しめる者に深い同情を示され、愛と恵みに満ちた心をもって接しられ、また優しく救いの手を差し述べられました。彼は、約2,000年の間に、世界中の医者が癒したよりもたくさんの寂しい心を癒し、苦しんでいる人の心に慰めを与えました。

彼は、一冊の本も書きませんでしたが、彼について書かれた本は数え切れないくらいあります。彼が創設した学校は一つもありませんが、不思議なことに彼にはたくさんの生徒がいます。その数は、世界中の学校の生徒の数に勝るとも劣りません。もちろん彼は、志願兵を募ることもなく、武器で人を撃つこともしませんでしたが、彼ほど多数の志願兵を持つ将軍はいつの時代にもいません。彼の唯一の武器は「愛」という武器だったのです。そして、彼を信じて従う者たちは、一発の銃声もとどろかすこともなく、大勢の敵対者たちを無条件降伏させたのです。それは、ただ「愛」という武器によってです。

昔あった多くの国々の偉大な政治家の名前は泡沫のごとく消えて行きました。また、幾世代の多くの科学者や哲学者の名前も次第に忘れ去られて行きます。しかし、この方の名前は人々から忘れられるどころか、益々地の果てまで知れわたるばかりなのです。

この「彼」とは、一体どなたなのでしょうか?実は、この方こそ、主イエス・キリストなのです。人々は、イエスを十字架につけましたが、死後三日後に死人の中からよみがえって墓から出て来られました。当時のローマ帝国は彼を無き者にしようとあらゆる手を尽くしたのですが、彼はまことの神の力によってよみがえらされ、その時から2,000年過ぎた今日も、「すべての人々の救い主」として、世界中で宣べ伝えられているのです。

彼は世間からは、田舎のただの大工の息子と思われていましたが、実は、全知全能の神の御子であり、人間の罪とその結果の死の恐怖に慄いている者たちを解放し、すべての問題を解決する比類なき方として宣べ伝えられているのです。どなたもイエス・キリストというお方について知れば知るほど惹きつけられますが、このお方のことは、すべて「聖書」という書物に書き記されています。是非、聖書をお求めになられて、神が示しておられるすばらしい愛と救いをご自分のものとなさってください。それによって、あなたの人生は益々豊にせられます。

●「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。 」(テモテへの第一の手紙2:4~6)。

●「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。」(テモテへの第一の手紙1:15)。

●「この方(イエス・キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」(使徒の働き4:12)。


●「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハネの福音書3:36)。     
O○O*oO○Oo oO○O*oO○O