北国は日毎に秋が深まり、初冬を迎える季節となりました。ところで、森の中で木の切り株を見ますと、同心円のように、幾重にも筋が入っていますね。これを年輪というのは、みなさんもご存じと思います。人間も年をとることを、年輪を加えるなどと形容します。これは木の年輪から来ているのです。
ところで、山の木の切り株などの年輪の中心は、真ん中になく、北側にみな片寄っているのです。それは、なぜかと言えば、日光と南風を十分受けて育つ南側は、年輪の目が幅広くなります。それだけ肉付きがよく成長しているわけです。反対に北側は、寒さから身を守るために、厚い皮をつけて戦います。したがって、年輪の目が幅狭く、中心がそちらに片寄るのです。
ところが伐採され、用材として製材されるとき、陽の光を受けて育った南側の部分は板になります。北風を受けて育った部分は柱になるのです。柱は家で最も重荷がかかり大切な部分となります。材木でも、逆境で苦労して鍛えられてこそ、柱として大切に用いられるのです。
人生には浮き沈みがあり、順境も逆境もあります。人は、だれも逆境や試練の道を通ることを望みません。しかし、人生は長い目で見れば、むしろ順境より、逆境の苦しみの時の方が、私たちを益していることが多いのではないでしょうか。
ソロモン王は、その人生の晩年に、聖書の中に次のようなことばを記しました。
●「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。 」(伝道者の書7:14)。
人生の逆境は、その逆境の中で今までの自分の歩みを反省させ、人生を深く考えさせるためのチャンスであり、愛なる神からの贈り物であることをお知りになってください。その事実を知る時に、あなたの人生に対する見方が今までとは全く違ったものとなるのです。
●「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」(詩篇119:71)
●「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることの出来ないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(Ⅰコリント10:13)。
この詩篇119篇の作者と同じように、あなたも「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした」と言い得る日が来ることを信じて、今の試練を乗り越え、逆境を意味のあるものとして生かしてください。
もし、あなたが真摯な心で聖書を開くなら、どのような絶望的な人生を送っている人でも、真の希望を見出すことができます。そして、今、あなたに与えられているの試練は、これからの人生に決して無駄になることはないのです。いや、あなたの人生を永遠の視点からご覧になられる愛なる神様の配剤なのです。