聖書から人生を考えよう

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★「塩狩峠」であった出来事

2005-04-28 | 「キリストの愛」

  (実際に厳寒の「塩狩峠」を喘ぎつつ上っている当時のSLの情景です。)
 
   私事で大変恐縮ですが、私が小学低学年(2年生?)の頃、私たち家族は両親と共に上川郡和寒町の菊野から、同じ和寒町の塩狩(峠)に引っ越して来ました。そこで、開拓農家の貧しい生活を強いられたわけですが、最初の頃は、土壁を塗った掘立小屋のような所で生活したので、真冬には風雪が土壁の隙間から入って来るようなこともありました。氷点下30度を下るシバれる(凍るような寒さ)日もありましたが、朝目覚めた時には、吐いた息が布団の襟に凍りついて、ガバガバになっていたことも度々ありました。塩狩は田舎でしたので小学校も、中学校もなく、当時は汽車(SL)で和寒の小学校、中学校まで通学したのです。高校時代もやはり、士別高校までSLで通学したのです。私にとって、その頃の一番懐かしい思い出となって脳裏に焼きついて残っているのは、実は「塩狩峠」を黒煙をあげて驀進するSLの情景です。  
 
 この旭川→稚内間を結ぶ鉄道・宗谷本線の塩狩峠は、旭川から北へ約30キロの地点にあり、かなり険しい急な勾配がある峠で、塩狩峠を汽車が上る時には、先頭の蒸気機関車一台で列車を引っ張ることができないので、ふもとの駅から列車の後端にもさらに一台の機関車を繋いで、深い山林の中をいく曲がりもしてあえぎあえぎ上るのです。ところで、子供の頃、昔(明治時代)一人のクリスチャンの鉄道員がいて、その峠で殉職したという話を聞いたのを漠然と記憶していました。のちに、クリスチャン作家の三浦綾子さんが「塩狩峠」という小説を書いていますが、その中に書かれている一部のことは、小説ではなく、本当にあった感動的な実話であり、大人になってからその小説を読んで、子供の頃うろ覚えで聞いた話を思い出して、改めて感動したのを覚えております。

 明治時代の終わり頃ですが、旭川に長野政雄という鉄道職員(庶務主任)がいました。彼はクリスチャンでしたが、大変信仰厚く、性格は極めて温容で人徳のある立派な人物であったと伝えられています。彼はその生活も実に質素で、洋服などもみすぼらしい服装であったと言われています。また、非常に粗食で、弁当のお采なども、大豆の煮たものを一週間でも十日でも食べていたほど質素であったそうです。というと、甚だ吝嗇(りんしょく)のように思われるかもしれませんが、そうではなく、国元の母に生活費を送り、神様に多くの献金をしていたと聞きました。そして、伝道にも熱心で、略伝を引用すれば、「其の立ちて道を説くや猛烈熱誠、面色蒼白なるに朱を注ぎ、五尺の痩身より天来の響きを伝へぬ。然るに壇をくだれば、あい然たる温容うたた敬慕に耐えざらしむ。」とあります。氏の人柄と信仰を垣間見ることのできる一文です。

 そして、長野政雄氏は、稀に見る立派な人格の持ち主であったのか、他の勤務地で問題のある怠惰な者、粗暴な者、酒乱な者など、どうにもならないような余され者が彼の所に回されて来ると、たちまち変えられ真面目に働くようになったと伝えられています。次のようなエピソードがあります。彼が札幌に勤務していた頃、職場にAという酒乱の同僚がいました。彼は同僚や上司からは無論のこと、親兄弟からも、甚だしく忌み嫌われていました。益々、やけになって酒を飲み、遂には発狂するに至ったとうことです。当然職を退かざるを得ないことになりました。Aの親兄弟は彼を見捨てました。ところが一人長野政雄氏は、親兄弟までに捨てられたAを勤務の傍ら真心をこめて看護し、彼に尽くしてやまなかったというのです。しかも、全治するまで、彼を看護し続け、上司に何度も懇願し、復職するまでに至ったのであります。まさに、愛の権化のような人格を持った人物であったのです。

 さて、このような長野政雄氏ですが、明治42年2月28日夜、鉄道職員として、その信仰を職務実行の上に現し、人命救助のために殉職の死を遂げたのです。その日の夜は、なぜか最後尾に機関車がついていなかったため、急坂を登りつめた列車の最後尾の連結器が外れ、客車が後退をはじめたのです。そのとき、偶然、乗り合わせていた鉄道職員の長野政雄氏がとっさの判断で、自らの体をブレーキ代わりにしようとして線路に身を投じて、自分の体で客車を止めたのです。そして彼は殉職し、乗客は救われたのです。何か、思わず身震いするような感動を覚えないでしょうか。「愛の大きさは、その人の払った犠牲の大きさによって量られる。」と言われますが、他人のために自分のいのちを捨てるほど、大きな犠牲はありません。

 彼は乗客を救うために身代わりになって死んだのです。この長野政雄氏の殉職の死は、後々まで多くの人に感銘を与え、語り継がれました。長野政雄氏が塩狩峠において犠牲の死を遂げたことは、鉄道関係者、キリスト信者などはもちろんのこと、一般町民も氏の最後に心打たれ、感動してやまなかったと伝えられております。彼の殉職直後、旭川、札幌に信仰の一大のろしが上がり、多くの人が信仰に入ったと伝えられています。三浦綾子さんの小説は、もちろん大部分がフィクションですが、長野政雄氏が、多くの乗客を救わんがために、自らの命を投げ出して、殉職したことは紛れもない事実なのです。

 ところで、これは非常に感動的な話ですが、今から約二千年前に、世界の歴史上、このようなこととは比較にならないほど、大きな出来事があったことをご存じでしょうか? それは、天地万物を創造された神の御子イエス・キリストが、神に背を向けて歩んでいる全人類の救い主として、この世にお生まれになられ、33年半の罪のない完全に聖よいご生涯を送られたのですが、最後に私たち罪人の罪のために十字架に掛けられて、私たちの身代わりに神の刑罰を受けて死んでくださったという事実です。これは、作り話ではなく、単なる宗教や道徳の話でもなく、人類の歴史上に現実にあったことなのです。

 アダムがエデンの園で神に背いて、園を追放された時から今日まで、人類は急な坂を転げるようにどんどん滅亡に向かっているのですが、キリストは、身代わりに十字架に架かって人類を永遠の滅びから救ってくださるために死んで、しかも三日目によみがえられた御方でなのす。これほど、感動すべき出来事は、この人類の歴史上他にありません。そして、この出来事は、あなたの将来の人生と無関係ではないのです。あなたが、この事実に対してどのような態度を取るかによって、あなたの死後の永遠が決定されるほど、重大なことなのです。どうか、この事実を真剣に受け止めていただきたいのです。

●「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネの福音書15:13)。

●「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のため には、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 」(ローマ人への 手紙5:6~8)。

●「キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。 どうか、この神に栄光がとこしえにあ りますように。アーメン。」(ガラテヤ人への手紙1:4、5)。

●「人知を越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」(エペソ人への手紙3:19)。


          
 


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