聖書から人生を考えよう

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お互いに、たった一度だけの人生です。
聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★心の空洞を満たすもの

2006-08-31 | 「人生の幸せと平安」
        


●「神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。『あなたは、どこにいるのか。』」(創世記3:9)。
  
 終戦直後は、日本中が飢餓の時代でした。誰も彼も日本人みんなが、来る日も来る日も空腹を満たすことだけを求めてさ迷い歩いたのです。そして、経済成長の時代には、物質的な豊かさを求めて一生懸命に働きました。物質的に繁栄し、豊かになることが幸福とバラ色の未来を約束するものであると信じたからです。そして今、日本人は物質的に恵まれ、食べたいものを食べ、したいことは何でもできるような飽食の時代を経験しているのです(しかし、今日世界の各地で一日に何万人もの子供たちが飢餓のために死んでいることもまた事実です)。

 しかし、日本人の多くは物質によってお腹を満たすことだけが人生の幸せではない、「心の満たし」こそが必要であることに気づき初めているのです。ある人は、今の時代を「心の時代」と呼んでいます。心の時代に入った日本人は、音楽や絵画などの芸術やスポーツ、旅行などによって満たされた人生を送ろうと思って、いろいろ試しています。そして、お年寄りたちは、自分たちが若かった頃、貧しさのためにできなかったことを楽しもうとしていろいろなことを試し、挑戦していることが分かります。若者たちもまた、常に新しい趣味や娯楽やレジャーを求めてあちこちと歩きまわっているのです。

 しかし、食べ物や着物によって埋めることのできなかった心の空洞は、果たして、芸術やスポーツや旅行などによって埋めることができるのでしょうか。あなたは、心の中に何ものによっても埋めることのできない、ぽっかりと空いた空洞を感じることはないでしょうか。「人生の意味が分からない。死にたい。」と悲痛な叫びを上げている若者が日本中にあふれているのです。若者だけでなく、定年を迎えた高齢者も毎日のように自殺しています。何と、日本の一年間の自殺者は3万人以上にも達しているのです。隠れた自殺志願者は、その10倍もいるのではないかと推測されています。人々の心は非常に病んでおり、いろいろな歪みが生じているのです。

 孤独感や寂しさを紛らわすために、主婦が台所の片隅でお酒を隠れて飲むところから名づけられた「キッチンドリンカー」が増えていると言われています。 最近では核家族化が進んでいるため、母親が1人で育児や家事に追われることも少なくないのです。また、育児に関して相談できる人もなく、マニュアル本しか頼ることが出来ずに、育児ノイローゼになる若い母親も急増しています。それと共に、子育てが終わって目標が無くなったための喪失感、家庭内の事情によるストレスなど、これらのことが原因でお酒で空虚な気持ちを解決しようと飲み始めるパターンで20歳代後半から50歳代の主婦に多いと言われています。この日本は今、一体どこに向かって進んでいるのでしょうか・・・・。

 あの有名なパスカルは、「人の心の中には、神が作った空洞がある。その空洞は創造者である神以外のものよっては埋めることができない。」と言いました。真の神(創造者)との交わりによってしか埋めることのできない私たちの心の空洞を埋めて下さるために、神の御子イエス・キリストは天から人となって下って来てくださいました。そして、神と私たちの交わりの障害となっていた人間の罪を取り除くために、罪人の身代わりとなって、十字架の上で神のさばきを受けてくださったのであります。神が遣わされた救い主であられるご自身の御子イエス・キリストだけが、あなたの心を喜びと平安と希望で満たすことのできる御方なのです。

 神は創世の初めに、人(アダムとエバ)を造られ、「エデン(歓喜)の園」を設け、人が住むために必要なあらゆる環境を整えられ、そこに彼らを住まわせられたのですが、彼らはサタンの誘惑に負けて、神のご命令、すなわち「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:16,17)との禁令を破ってしまったのです。そして、アダムとその妻エバは主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠したのです。そして、冒頭の聖書のみことばは、その時に神が人に語りかけられたことばなのです。

 「あなたは、どこにいるのか。」との神の語りかけは、神が盲目になって人間を見失われたのではありません。人間が神との交わりから脱落したので、愛なる神は人との交わりの回復を切に求められて、人に呼びかけて言われたおことばであります。聖書は、実に、人がもう一度神との交わりを回復するためにあらゆる面から記されているものであって、この長い長い聖書66巻のすべては神の人類に対する偉大な愛の手紙であり、人類救済のために神がどのようなご計画を立てられ、また、それを実現されたかを語っているのです。

 人類の歴史は、アダムの罪以来、神に対する反逆と罪の歴史であると断言しても過言ではありません。しかし、神はその神から離れてさ迷い、神に帰る道を捜し求めている人間を、今日までずっと捜し求め続けておられるのです。今日も、神はあなたの心に、「あなたは、どこにいるのか。」と語り続けておられるのです。そのために、神はご自身のひとり子イエス・キリストを人間の罪の身代わりに十字架につけて罰しなさったのです。この救い主イエス・キリストは、死後三日目によみがえられ、今も生きておられる御方なのです。どうか、神の愛を受け入れ、主イエス・キリストを信じてあなたの心が平安と喜びと希望で満たされたものとなりますように。

●「人の子(キリスト)は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカの福音書19:10)。

●「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることができません。」(ヨハネの福音書14:6)。

●「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」 (ヨハネの福音書7:37,3
8)。

●「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」(ヨハネの福音書6:35)。


 あなたに必要なのは、「私は何をするか?」ではなく、「私はどこにいるのか?」を真剣に考えることではないでしょうか。神から遠く離れた危険なところにおられますか?それとも、救い主イエス・キリストを信じて、神様の近くにおられますか?神様の近くにいることこそ、心の空洞が喜びと平安に満たされた幸いな生活なのです。 旧約聖書の小預言書アモス書の中に次(下記)のような警告のことばがあります。パン(食糧)の飢饉よりも、もっと恐ろしいのは、「心の飢餓」すなわち、「主のことばを聞くことの飢饉」ではないでしょうか。今こそ、心を静めて聖書のみことばに耳を傾ける時ではないでしょうか。どうぞ、神のみことばで心が満たされますように。 

●「見よ。その日が来る。――神である主の御告げ。――その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。」(アモス書8:11)。

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