聖書から人生を考えよう

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聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★あなたに必要なのは救いです

2005-04-03 | 「人間の罪の問題」



  これは、アメリカのペンシルバニヤ州でのことですが、伝道集会の後に、一人の見知らぬ男が、キリストの十字架の福音を語った伝道者S氏に次のように話しかけました。「どうもあなたの説教が気に喰わん。あなたは、いつもキリストの十字架の話ばかりしている。私は、キリストの十字架の話なんか大嫌いなんですよ!キリストの死について説くかわりに、手本(模範)としてのイエスを説いた方がずっと、いいと思うんですが・・・・。」

 それで、「では、もし私が手本としてのイエスを説くなら、あなたは喜んで彼に従おうとおっしゃるのですか。」とその伝道者は言いました。その男は答えました。「そうです。そうすれば私はキリストの跡について行きます。」そして、その伝道者は次のように答えました。「ああ、そうですか。分かりました。では、キリストの模範を話しますから聞いてください。『キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見出されませんでした。』とありますが、あなたはその通りに実行できますか?」とS氏は尋ねました。 

 その見知らぬ男は、非常に困惑したような顔付きで、「いいえ、私は罪を犯しますし、ウソも言います。そんなことを実行するのはとても不可能です。」と答えました。それを聞いて、伝道者のS氏は「そうでしょう。だからあなたは、まず第一に、キリストを手本や模範としてでなく、救い主として必要としているのです。」と言ったのです。その男はS氏のことばを、ただ頷いて聞く以外にありませんでした。そして、このことは、この男だけでなく、すべての人に必要なことであることをお知りになっていただきたいのです。

 どんなに立派な教えを説いても、人間にはそれを行う力がないのです。人間が良い教えを全部実行できるなら、救いも救い主(メシヤ:キリスト)も必要ないことになるのであります。聖書を読んで、まず、知らされるべきことは私たちはみな罪人であり、無力な弱い人間であるということなのです。あなたも例外ではありません。

●「愚か者は心の中で、『神はいない。』と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。善を行なう者はいない。 主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。 彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐り果てている。善を行なう者はいない。ひとりもいない。」(詩篇14:1~3)。

●「義人はいない。ひとりもいない。 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」(ローマ人への手紙3:10~12)。

●「 私(使徒パウロ)には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。・・・・・・・・ 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」(ローマ人への手紙7:15~24)


●「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。 」(ローマ人への手紙3:)

●「キリストも一度(私たちの)罪のために死なれました。正しい方が悪い人々(私たち)の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。 」(ペテロの第一の手紙3:18)。

●「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私(パウロ)はその罪人のかしらです。」(テモテへの第一の手紙1:15)。


 溺れている人は溺れている人を救うことはできません。盲人は盲人を手引きすることができません。負債のある人は、負債のある人を助けることができません。罪人は、罪人を救うことはできません。しかし、イエス・キリストはあなたを救うことが出来ます。彼には何一つ罪がなかった完全な方であるからです。そのキリストが、あなたの身代わりに十字架で死んでくださったのです。聖書には、そのことが何度も何度も強調されています。それほど、この問題は大切であるからです。どうぞ、あなたも救われなければならない罪人であることをお知りになられ、キリストの十字架の福音を心から信じることができますようにお勧め致します。

            

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