東京都武蔵村山市議 すどう ひろし(須藤博)のページ

真実の政治・住民本位の政治が私の信条です。

先輩議員の死去を悼む(武蔵村山市・羽尾義雄さん)

2018-07-10 08:40:30 | 地方議会
これまで、多くの先輩市議の皆さんにご指導を頂いたり影響を受けたものだが、
先輩市議の多くが退されて亡くなった方も少なくない。

昨日、元市議の羽尾義雄先輩(公明党)の訃報が届いた。
羽尾さんは、私が初めて市議会を傍聴した時に、たまたま一般質問を聞く機会があり、特に印象に残っている。
市役所の仕事の進め方について、(お説教調で)厳しく説いていて、一本、筋が通った方だという印象を持った。
その後、市の審議会でご一緒する機会があり、ユーモアがあって人間的にも面白い方だと思った。
団地新聞の取材をお願いした折は快く受けてくださり、村山団地の開設当初のお話を伺ったことも懐かしい想い出だ。
お住まいの近くを通るたびに、お元気かどうか気になっていたが、いよいよ訃報が届いてしまった。

武蔵村山市議会は、開かれた民主的な市議会として全国的に知られている。
羽尾先輩は、その議会改革を進めた「3会派3人」の推進役の一人だったと聞いている。
先輩諸氏が苦心して造ってきた、民主的で開かれた武蔵村山市議会は、これからも大切に守って行きたいものだ。
羽尾さんのご冥福を祈って「合掌」!!

週刊文春よ、くだらない不倫報道で才能ある音楽家を潰すな!! 文春砲、小室哲也を襲う。

2018-01-19 16:56:13 | 地方議会
あの「文春砲」が、小室哲也のプライベートを襲い、ついに引退表明という結末となった。
重い障害を負って、女として機能しなくなった?嫁を介護しながら音楽活動を続けるのは、さぞかししんどかっただったろう。
けじめを付けるためと、小室は引退を表明したが、まだまだ働ける才能ある音楽家を、こんな形で失うのはとても残念なことだ。
たとえ報道が事実だとしても、仕事とプライベートは関係ないし、誰にも迷惑をかけた訳ではなかろう。
政治家も、よくこの手の報道に引っかかるが、倫理的に大きな問題がある場合以外は、仕事とプライベートは違うと割り切るべきだ。
週刊文春の金儲けは、もういい加減にしてほしい。

※政治家の場合は、ふだんの政治活動と不倫報道がミスマッチならば、叩かれてもやむを得ないだろう。

民進党は、潔く解党して立憲・希望に合流を!!

2017-12-15 10:06:32 | 地方議会
民進党本部は、党の方向性についての中間報告を発表したが、それを見る限り、党の方向性や地方議員の進路について、すっきりと決まるようには見えない。

前・前原代表のミスリードで民進党の衆院勢力は2つの政党に分裂したが、残された民進党勢力がどう知恵を絞っても、斬新にして強力な「新民進党」ができるとは思えない。なぜなら、民主党の政権運営の失敗の傷が大きすぎて、民主党=民進党は国民の目から見ると、破産整理中の会社にしか見えないからだ。

前原前代表による解党の決断が最悪だったとはいえ、今更、元へ戻って「民進党の改革」などど主張している国会議員がいるのは信じられない。国民の白けた気持ちを読める各級の議員は、自らの判断で続々と離党していて、このままでは流れ解散状態は必至だ。地方議員も、いつまでも破産状態の政党に所属していたら、次の統一選が危なくなる。

意見の違いが大きい人たちの集まりだった(旧)民進党は、中選挙区時代ならとっくに分裂していたに違いない。小池・前原の”策謀”によって衆議院勢力が「分割」されたのは、むしろ党の再生と飛躍へのチャンスと捉えるべきだ。民主党勢力が3つに分かれたままで並立するほど不利な状況はない。民進党は、各々の議員に立憲と希望を選択させて解党し、まず大きく2つに収れんしたうえで、改めて再編を模索すべきではないか。

アクセルとブレーキの踏み間違いを「根絶」する方法!

2017-02-06 10:39:39 | 地方議会
高齢ドライバーによる交通事故が多発しているが、多くはオートマ車でのブレーキとアクセルの踏み間違いが原因だ。
ブレーキの踏み間違いは、高齢ドライバーだけでの問題でなく、若い人でも駐車場から車ごと転落するといった事故が跡を絶たない。

そこで、踏み間違いによる事故を無くす方法を考えてみた。

オートマ車は、進む(アクセル)のも止まる(ブレーキ)も、すべて右足で操作するため、一瞬の踏み間違いでパニックになった時に、ブレーキを踏んだつもりでアクセルペダルを踏み続けてしまうのが問題だ。

オートマ車でペダルの踏み間違いを「根絶」するのは、実は難しいことではない。

私は、日本交通でタクシー・ハイヤーを運転していた経験があり、車両はオートマ車だったが、踏み間違いは一度もなかった。それは、ブレーキを左足で踏む習慣をつけていたからだ。アクセルは右足、ブレーキは左足と決めてしまったのだ。

メーカーや自動車教習所は、アクセルもブレーキも右足で踏むよう推奨しているが、それはマニュアル時代を引きずった古い考え方だ。オートマ車は、右側にブレーキペダルが付いているが、左足でブレーキを踏むのは困難でないし、慣れれば何でもない。

ペダルの踏み間違い違いをなくすには、ブレーキを左足で踏む習慣をつけるに限る。

トヨタ・プリウスの暴走がアメリカで騒がれたが、電気的な不具合よりもペダルの踏み間違いの可能性が高い。ペダルの踏み間違い事故を撲滅するため、メーカーも国もドライバーも発想を転換し、オートマ車のブレーキは左足で踏むように習慣を変えてはどうだろうか。



年金運用は5,3兆円の赤字!一方で公務員共済はプラスだそうで・・・。

2016-08-09 09:58:41 | 地方議会
GPIFによる年金運用は、株式の値下がりの影響をモロに受けて、5,3兆円の赤字が出ていることが分った。これは、厚生年金や国民年金の運用に、株式の比率を2倍にも増やしたため、株価値下がりの影響をモロに受けたためだ。

一方、公務員の共済年金は、従来どおりに国債中心の安全な運用を続けているため、プラスになっている。国民の多くが加入する厚生年金や国民年金については、バクチ的な要素が大きい株価に投じる一方で、公務員共済については従来どおりに安全第一の運用を続けている。

株価を無理に上げるために、国民の大事な年金資金を投入して大きな損失を出す一方で、公務員の年金についてはリスクにさらさないというやり方は、一般国民を踏みつけにするアコギなやり方だ。しかも、例年ならとっくに発表しているのに、参院選が終わるまで決算発表を引き延ばしたのは、安倍政権の見え透いた選挙対策だ。

長妻昭 衆議院議員のH.P→http://naga.tv/article-9201.html

週刊文春の「鳥越女性報道」を糾弾する!

2016-07-23 01:07:39 | 地方議会
 週刊文春は、最新号で都知事候補の鳥越氏に「淫行疑惑」があると報じた。その内容は、当時20歳の女子大生を別荘に呼んで強引にキスしようとしたというものだが、当の女性への取材ではなく間接的に夫から聞いた話だと言う。

仮に記事が本当だとしても、女子大生といえど、20歳なら立派な大人だから「未成年淫行」には当たらないし、“キスに失敗して諦めた”だけでは強姦未遂でもない。老人が若い女性の誘惑に失敗したというだけのつまらないネタだ。

 記事の内容には、犯罪性や大きな悪質性は感じられず、裏付けとなる証拠もない。果たして選挙戦が盛り上がっている最中にぶつけるべき記事なのだろうか。たしかに、世間の注目を集める人物のスキャンダルを暴けば週刊誌は売れる。だが、スキャンダル追及の売らんかな主義に走って選挙にまで介入するのは、マスコミの横暴以外の何物でもない。

文春は、これまで多くの記事をヒットさせてきたが、動かぬ証拠を握って書いてきたのではなかったのか。第三者(夫)の話だけでスキャンダラスな記事に仕立てるというやり方は、伝統ある文春の仕事とは思えない。これでは昔の三流週刊誌と同じだ。週刊文春の「売らんかな主義」に猛省を求めたい。

郵便局は、まだ「殿さま商売」ですね。

2015-09-28 11:29:59 | 地方議会
郵便局は、民営化でサービスが向上したような気がするけれど、まだ官営時代の感覚が抜けていないのかもしれない。昨日の午後、帰宅したらポストに「不在配達票」が入っていた。午前中に書留が来たらしいが、再配達してもらうためには、電話でややこしい番号を打ち込むかオペレーターに番号を伝えて、再配達を「お願い」しなければならない。それが面倒で放っておくと、所定の期日を過ぎたら送り主のところに戻ってしまう。



宅配便だと、たとえ連絡をしなくても再度午後に回ってきたり、次の日には再度配達してくれる。ところが郵便局の書留など特別な郵便物は、電話連絡しない限り再配達をしてくれない。その場合は大型郵便局まで貰いに行かなければ受け取れない。

高齢で視力や判断力が弱っているお年寄りや精神障害者の場合だと、不在配達票の意味すら分からなかったり、電話をかける事も困難にちがいない。私は、そういうお年寄りや障害者を何人も知っている。例えばうつ病になったら、電話をかけるのも出かけるのも困難なのだ。健康な私でも、伝票に書いてある桁数の多い数字を電話機に打ち込む作業は間違えたりしてイラつく。オペレーターに番伝票号を伝えて時間を指定するやり方もあるが、家にいる時間を見計らって予定を立てるのは、多忙な場合などは結構しんどい。

もっとも困るのは、内容証明郵便だ。受け取る方は、不在配達票に書いてある送り主の名前を見て、都合が悪い相手から来た場合には連絡せずに放っておけば、体よく受け取り拒否ができてしまう。送り主は、安くはない郵便代を支払って内容証明郵便を出しても意味がなくなる。

日本郵政にメールで指摘したら、配達に持って出るとお客が取りに来た時に渡せないから留め置いているとの返答だった。しかし、お客から連絡がない限り2回や3回は配達に回るのが当たり前ではないだろうか。お客に電話をかけさせたり、郵便局まで取りに来させるのを当然だと考えているとしたら、それは時代遅れの「殿様商売」かもしれない。

とはいえ、再配達にかかる手間(人件費)は馬鹿にならないだろう。多少の値上げをしてもきめ細かな配達を望むか、多少の不便をしのんでも従来通りで良いとするかは、利用者の声を良く聴いて決めれば良い。郵便局には、アンケート用紙を常備して欲しいものだ。いずれにせよ、内容証明だけは何度でも不在配達に出向いてくれなければ用をなさない。これだけは、料金が上がっても理解が得られるに違いない

戦争法案可決! 平和勢力の闘いはこれからだ。

2015-09-22 13:07:57 | 地方議会
安保関連法案が、19日(土)午前2時18分に参議院で可決・成立した。国会周辺では連日、若者からお年寄りまでの大規模な抗議行動が行われ、参議院の議場は野党の徹底的抗戦で混乱したが、最後は与党が数の力で押し切り、安保法案(戦争法案?)は成立した。日本は70年ぶりに戦争のできる国になった。



国会前で深夜まで反対運動をしていたシールズの奥田氏は、法案が可決された瞬間から「選挙へ行こう」とシュプレヒコールの内容を変えていたが、今後の選挙で安保法案に反対の民意が示されれば、法案は再び変える事ができる。いずれにせよ、戦争ができる国になったからには、今後は、政権がどのように交代しても侵略戦争には決して加担させないよう、私たち国民はしっかり日本の政治を監視する必要がある。



阿倍首相が強引に推し進めたこの法案は、平和憲法のもとで集団的自衛権を可能とするもので、憲法学者の9割が違憲とみる「改憲解釈」だ。日本は、防衛面ではアメリカと一体化しつつあるが、それをさらに推し進めて、自衛隊が地球の裏側まで出かけて、アメリカや多国籍軍と軍事行動をともにすることができるようになるのだ。

中国が、覇権国家としての野望を隠さずに日本周辺でも圧力を強めている現状では、アメリカと軍事的な一体感を保つことでしか、日本は中国の圧力を跳ね返すことができないという見方がある。その意味では、アメリカが繰り返し要求してきた集団的自衛権を持つことは、日本にとっては軍事的抑止力として有効にちがいない。

しかし、今後は一歩間違うとアメリカの間違った戦争に巻き込まれる可能性が出てくる。湾岸戦争やイラク戦争では、日本は平和憲法をタテに派兵を断ったが、今後はそうはいかない。アメリカが大義なき戦争を始めたときに、日本政府が派兵を断固として断ることができるかどうかが問題だ。

イラク戦争の時、小泉首相はただちに賛意を表明したが、アメリカに盲目的に追随するのが自民党の習性であり、外務省の基本方針でもある。自衛に名を借りたアメリカの「侵略戦争」が起きた場合、今後は日本が派兵を断ることは難しいのではないだろうか。PKOなどでも、前線には自衛隊を送らないという「虫の良い」方針は貫けるのだろうか。

集団的自衛権の問題は、法案が通ったから終わりではない。安倍首相は、国会答弁で「外国の戦争に参戦することはない」と繰り返し答弁してきた。私たち国民に課せられた課題は、日本が今後とも同盟国の侵略戦争に手を貸すことがないよう政府を監視し、政権が何度変わっても安倍首相の約束を守らせることにある。
2015.10.19(土)

少年A「絶歌」。人間という生き物の「深い闇」

2015-07-22 18:38:11 | 地方議会
元少年Aの「絶歌」という本を読んだ。余りにも重く衝撃的な内容で、何度も読むのを中断して天井を仰ぎ、しばし脳髄を冷却しながらでないと読み進めることができなかった。これほどの衝撃を受け、人間の深層に隠された深い闇に想いを巡らせたのは、若かりし頃にユング(フロイトに並ぶ深層心理学者)に衝撃を受けて以来である。

人間とは、天使であると同時に悪魔の側面も同時に持っているという意味で、余りにも宇宙的な存在だ。宇宙は、絶えず生成と破壊を繰り返している永遠の存在だが、人間が内在するグロテスクな妖怪の側面は、宇宙(神)に必然的に内在するものに違いない。おなじ地球上の生き物でも動物にはこれほどの破壊衝動は備わっていない。少年Aは、はからずも大宇宙のグロテスクで残酷な一面を、私たち凡庸な現代人に見せてくれたのだ。、

この事件が起きた当時、あまりの猟奇性と14才の少年の犯罪という点で、世間の関心がものすごく高かった。当時、私も若い時に心理学を学んだ一人として深く興味を持ち、ささやかながら事件の真相を知ろうと情報を収集した。

早稲田にある出版社?が中心になり、熱心に冤罪説を打ち出して活動しているグループがあることを知り、そこの活動家の勧めで、冤罪を訴える集会があった大阪まで出かけて行き、ついでに少年Aの住んでいた家も見に行った。14才の少年が、あそこまで残忍かつ周到な犯罪を犯したとは信じられなかったので、冤罪説が成立するかどうかを、自分自身で検証するために、わざわざ仕事を休んでまで出かけたのだった。

冤罪説を主張する市民グループは、この事件は警察のでっち上げで、少年は冤罪の被害者に違いないと主張していた。少年が自宅のベランダの雨樋を伝って深夜に出入りしていたと警察が言っているが、ベランダを登りするのは物理的に無理で、少年は警察に自白を強要されたに違いないというのである。

私は、警察の発表した内容が正しいかどうかは、ベランダの雨樋に傷があるかどうかを検証すればわかると考え、大阪の友人に手引きしてもらって少年Aの住んでいた家をこっそり見に行った。そして、ベランダの横を通って屋根から地面まで垂直に下りている、灰色のビニール配管の雨樋を観察した。すると、表面の塗料が削れて出来た一本の縦スジが、はっきりと確認された。

雨樋にスジが入るのは普通ではあり得ないことで、少年が雨トイを昇り降りした時に塗料が剥がれて出来た縦スジに違いなかった。私は、警察の発表を疑うことはできないという結論を得て、それ以来、冤罪説には関与せずに少年Aの出所を待つことにした。高名な人権派弁護士の後藤昌二郎さんは、市民グループと一緒に「冤罪少年」を救い出すべく裁判闘争を行ったが、裁判で敗訴した後に高齢のため亡くなった。「絶歌」の出版で冤罪説は完全に否定されたことで、後藤弁護士の頑張りも無駄になった。

ところで、この手記に対する世間の評価は割れている。少年Aの自己顕示欲と特異な性衝動は治っていず、出版は不当だという意見と、世間に加害者からの生の情報をもたらすのは意味があり、彼にとって、この本の執筆と出版が人生をやり直すために必要な作業に違いない、という二つの意見がある。前者は、被害者側や世間の常識的な人たちが取っている立場で、たしかに正当な意見ではある。

もう一方は、事件の真相や加害者の心理を読み解く立場で、犯罪学や心理学・精神医学からの立場だから、世間一般の常識とはかみ合わないのは当然だ。私も、被害者の家族には申し訳ないけれど、事件の真相を知るための材料の一部が得られたという意味では、社会的な意義があるという気がする。

この本は全編にわたって深い反省と内省が綴られており、彼にとっては内省を深めて前に進むための、どうしても必要な執筆だったに違いない。ただ、執筆するという行為と出版は次元が違う。印税が殺人を犯した加害者に入るのは不条理なことだが、私自身は、久々に脳天をぶち抜かれるほどに衝撃を受けた。久々に、人類という生き物の不可思議さに改めて思いを巡らせてしまった。

安倍首相の「独裁体質」が露呈!! 自民党勉強会で、百田氏ら「マスコミ潰せ」

2015-06-27 08:33:03 | 地方議会

写真は、講演中の百田尚樹氏。左は自民党青年局長。

安倍首相は、集団的自衛権の法制化のために国会の9月までの大幅延長を決めた。何が何でも法案を通そうとするなりふり構わないやり方だ。

中国が覇権国家として強引に海洋進出を始めていて、日本は領海防衛のためにアメリカとの防衛協力を深化させることは必要だと私は思っている。日本周辺で米艦が攻撃されたら共同で戦闘するのは当然で、そういう意味での集団的自衛権は認められるべきだと思う。

もっとも、そういう場合にも個別的自衛権で対応できる可能性があるが、どうしても法的に集団的自衛権でなければ無理だというなら、法律で明確に線引きを行う必要があるが、安倍首相の進める法律案では、いざとなったら地球の裏側でもアメリカと一緒に戦える可能性が残されている(安倍氏は、ふだんの言動からして地球のどこでも戦争のできる「軍隊」が理想だと思っているのは間違いない)。

明確な線引きのない集団的自衛権は、ブッシュのイラク進攻のような、大義なき戦争に引きずり込まれて自衛隊員を無駄に殺す危険性があるが、最近の自民党の体質やら乱暴な国会審議を見るかぎり、集団的自衛権を可能とする法案の将来の運用には信用がおけない。

安倍首相が強引に決めた特定秘密法は、国家の秘密を永遠に隠せるという点で、アメリカのそれよりもずっとタチが悪いし、労働法の改悪に至っては、世界に例を見ないほどに悪い。安倍首相は、基本的に民主主義の何たるかや庶民の暮らしをわかっていないに違いない。

安倍首相の独裁主義的な体質は、自民党さえも劣化させている。党本部で行われた若手の勉強会で、首相がNHKの経営委員に推した、お友達の百田氏が「沖縄の2紙を潰せ」とぶち上げ、それに応じて3人の自民党議員が「マスコミに広告料収入が入らないよう、経団連に働きかけるべき」などと次々に発言したという。

百田氏は、安倍首相の合わせ鏡のような人だから、首相の言えない「本音」を無邪気に放言しているのだろう。勉強会の問題発言が漏れて大問題になっているが、トップの毒が組織全体に回って、自民党が腐り始めているのは明らかだ。公明党もすっかり濡れ落ち葉になってしまったから、安倍首相の毒は、やがて公明党に回るだろう。

百田直樹氏は、あれだけ問題になっても「本当に潰れてほしいのは、朝日と毎日と東京ですがね」と、ツイッターでつぶやいている。
あきれた人だ。 ツイッター⇒https://twitter.com/hyakutanaoki

嬉しかった「市役所・職員の気遣い」

2015-04-17 09:17:13 | 地方議会

市民課の窓口

 市議としての仕事や市民活動の雑務の関係で、市役所の担当部署を訪問する機会が少なくない。最近、用事があって市役所に行ったところ、帰りがけに他にも用事があるがあるのを思い出した。ところが、ついうっかりどこの部署の用事だったかをすぐには思い出せなかった。

 そこで、エレベーター脇の担当部署一覧表を見上げながら、少し間合いをとって用事のある部署を思い出す「作戦」を取ることにした。ところが、ものの10秒も経たないうちに、新卒かと思えるような若い女性職員が通りがかりに近づいてきて、「何かお困りですか?」と声をかけられてしまった。

 立場上、内心で苦笑したが、市役所職員の「「サービス精神」に思い至って嬉しかった。市役所の窓口サービスの改善は、私が初当選した当時から言い続けてきたことで、ここ数年で、このように声をかけられる事に何回か遭遇していて、最近は下手に受付カウンターの周辺でうろうろできなくなってしまった!

市長と会ったおりにこのエピソードを話して、「○○課の○○さんを褒めてやってほしい」と伝えておいたが、市長に褒められれば担当部署の上司も職員の士気もさらに向上するに違いない。

 私が市議会に入った12年前は、市役所職員のサービス面での評判は市民に芳しくなく、受付の前で市民が困っていても職員から声をかけることは余りなかった。そこで、市役所の仕事は「サービス産業」ではないか!と訴え、市民をお客様として扱い、困っているように見えたら職員から率先して声をかけるように、何度か市議会で質問を重ねた。

 当時の荒井市長も、率先して1階ロビーに立つなど接遇の改善に努め、部長たちもよく理解してくれて、1階に受付を配置してほしいとの私の要望も実現した。藤野市長になってからも、名札が見えやすいように、胸の位置での名札着用を求めるなど接遇の改善を要望したが、正規職員はもとより嘱託職員や臨時職員に至るまで名札着用は徹底されており、胸の位置に名札を付ける職員も増えてきている。


市議としての3期12年の区切りとしての、任期の終了するこの時期に、若い職員のさわやかな気遣いに遭遇したのはとても嬉しいことだった。これからも、市民に愛される市役所となるよう、サービス向上への不断の努力を続けてほしいと願っている。

日産跡地の3.8ヘクタール、真如苑が武蔵村山市に譲渡!!

2015-02-20 17:10:45 | 地方議会


2月19日の市議会代表者会議で、日産跡地の3.8ヘクタールの広大な土地が市に譲渡されることが決まったとの報告があった。本来なら、平成21年度に譲渡が予定されていたのだが、都市計画の決定が遅れて伸び伸びになっていて、市議会には心配な空気が漂っていた。

私自身も、市議会で質問を入れたり、市の理事者や担当者と何度も話をするなど気にしてはいたが、すでに譲渡は書面で約束されていたことであり、真如苑は普段から市の事業に協力してくれている紳士的な宗教法人だから、必ず約束は守ってくれるだろうと信じていた。

双方の努力でようやく協議が整い、今年度中に3.8ヘクタールが市に譲渡されることなったのは、まことに喜ばしい限りだ。場所はイオンモールの南側でわらべやの東側。本市の中心部なので、将来の市役所などの公共用地としては最高の場所だ。※下の写真のピンク部分はイオンモール。その下の四角いところ。



取りあえず、今年の市民祭り(デエダラ祭り)はここで開催できるだろうが、今後は真如苑が払っていた固定資産税が入って来ずに、逆に雑草処理などの管理費が必要になる。いかに維持費を安上がりに管理するか、今後の公共施設をどうするか、建設費の調達をどうするかなどが市にとっての重い課題になってくる。

真如苑さんの武蔵村山市への貢献は、末永く市民に感謝されるに違いない。有難うございました!!
2015.2.20)

朝日新聞の 「大誤報」!! 安っぽい正義感など要らない。

2014-09-15 09:26:18 | 地方議会
朝日新聞の社長が、見苦しい迷走の末に、追い込まれてやっと謝罪した(26.9.11)。余りにも遅すぎる上に、相変わらず言い訳がましい。

私は、10数年前の武蔵村山市長選での強引な報道を目のあたりにしてから、朝日新聞に対する抜きがたい不信感を覚えていた。それ以来、いくら朝日が拡販にきても一度も契約していない。数年前にも地元記者の軽率な記事によって迷惑を被ったが、記者に抗議しても高圧的に居直るだけで官僚的な体質に呆れた。

末端の記者は、新聞社の体質を滲ませながら取材するもので、社によって記者の感じが微妙に違う。学生時代からずっと購読している某新聞の記者は、おしなべて素朴で実直。何よりも人間性を感じさせるので好感が持てる。私が接した朝日の記者さんたちは、有能だが温かみは感じなかった。

それにしても、原発事故の吉田証言の「読み違え」はひど過ぎる。朝日のスクープが出てすぐ、私も朝日のデジタル版で読んでみたが、吉田証言では「伝言ゲームのようになって退避命令がうまく伝わらずに福島第2原発まで退避となった」と書いてあって、「命令違反」とは読めなかった。

朝日の「命令違反で逃げた」という記事は、初歩的な読み違えが原因だと思うが、中学生でもこんな間違いはしないだろう。朝日の釈明の通りに、記者の思い込みや取材不足が原因というなら、それがまさに独善的体質の真骨頂なのだろう。

社会正義や人権を重視する、朝日新聞のリベラルな報道姿勢は貴重だし、同社が大きな社会的使命を果たしてきたのも事実だ。しかし、安っぽい社会正義を振りかざして、結果的に関係者の名誉を傷つけたり、誤報を放置して結果的に国民に迷惑をかけるなら、即刻、新聞社の旗を下すべきだ。

旧日本軍は、余りにも大規模な軍事展開を行ったために、アジアの各地で悲惨な戦禍を残し、従軍慰安婦でも禍根を残すこととなった。歴史の闇に隠された負の遺産を発掘することは必要な作業だから、朝日新聞が吉田清治という証言者にスポットライトを当てた動機は悪くない。

ただし、当時でも「うさん臭い」という見方はあったようで、吉田清治氏には慎重な裏付け取材を行うべきだったが、朝日はそれを全くせずに大々的に報じて世界中に大誤報をまき散らしてしまった(裏付けを取ることは、ジャーナリストの基本中の基本だ!)。

生活に困っていた吉田清二氏は、「虚偽の告白」で国を売ったようだが、朝日新聞は軽率にも吉田氏のウソを大々的に報道し、間違いに気づいてからも32年も頬かむりを続けた。これは、新聞を売るという商売のために、日本国民を金で売り渡したに等しい。

朝日の社長が2つの誤報に謝罪したのは評価できるが、それとても、池上彰氏の逆襲や社内外からの包囲網に耐えられなくなって、経営判断として重い腰を上げたに過ぎない。週刊誌で報じられた、社長の社内メールの独善性には呆れたが、社外秘のメールが漏れるのは、心ある社員がいる証拠だろう。、

戦前・戦中も、朝日は時流におもねて戦意高揚を煽り、大幅に部数を伸ばしたと言われている。読者の目を引き付けるためには、社会に与える影響も誤報の危険もかえり見ないのが朝日新聞の根本的な体質なら、社長の謝罪や辞任で済む問題ではない。

今回の誤報騒動によって、朝日新聞に対する私の個人的な疑念が、図らずも同社の根深い体質から来ていることがわかった。朝日新聞が根本的に変わらない限り、私は不買を続けるだろう

~沖縄訪問記~ “宝石より美しい”辺野古の海の埋め立ては、「国土の破壊」だ!

2014-08-15 14:14:02 | 地方議会
8月初旬、2泊3日で沖縄に行ってきました。動機は、沖縄の米軍基地と辺野古の海を、まず自分の目で見てみたいという想いからです。基地の重圧に苦しむ沖縄を報道では知っていても、自分の目で見て体で感じなければ本当の理解はできません。

沖縄の青い海(実物は写真の何倍もきれいです)

沖縄に行ってみて強く実感したのは、海の限りない美しさでした。沖縄の海の色は、宝石のエメラルドも上回るであろう透き通ったブルーで、それが濃淡の縞模様を描きつつ幾重にも沖へ向かって広がっています。

浅瀬の海底は数百メートル沖合までサンゴ礁でできているため、海水が空の青さを反射して得も言えぬ美しさです。サンゴ礁が途切れて急に深くなるあたりの沖合で、砕ける波が長い帯のように白く光って青い海水との見事なコントラストを描いています。

キャンプ・シュワブ拡張計画

辺野古の海(大浦湾)には、豊かで広大な浅瀬が広がっています。悲惨な沖縄戦では、大浦湾の藻や魚介類を食べて生き延びた住民も少なくなったいうことです。海の生き物は海草の繁茂する浅瀬でしか育たないので、海を壊せば魚貝類もいなくなります。絶滅危惧種のジュゴンも、辺野古の豊かな海藻を食べて細々と生きながらえているので、この先、大規模な埋め立て工事で土砂が流れ込めば死滅するに違いありません。生き物が住めない自然環境は、人間にとっても有害で住みにくいものになります。

辺野古・キャンプシュワブ正門前の座り込みテント

アメリカ軍は、ずいぶん前から辺野古の拡張(埋め立て)を日本政府に要求していたようです。広大な辺野古岬を占有しているキャンプ・シュワブは、米軍の訓練場を兼ねた出撃基地です。陸上部隊と海上部隊との一体的な運用には広大な土地が必要とアメリカは主張し、普天間基地を移設するにはキャンプ・シュワブ前の埋め立てしかないという結論に、日米両政府は行き着いたという訳です。

キャンプ・シュワブ正門前の抗議行動

地元民が大事にする海を埋め立ててまで巨大な軍事基地を確保したいなら、ハワイやグワムといったアメリカ国内の海岸でやれば良いtも思えます。しかし米国民はそれを許容しないだろうし、フィリピンや韓国とても拒否するでしょう。激戦の末に占領した沖縄だからこそ、悲しいかなアメリカの占領状態が続いています。「他国の国土だから、米国は貴重な海の埋め立てを平気でやれるのだろう」と地元の人が怒っていましたが、日本政府は、唯々諾々とアメリカの意向に従うのみです。キャンプ・シュワブ前にて

ヘリ基地が6つも建設されているという、沖縄北部の高江地区にも行ってきました。ここでは、新たに建設されるオスプレイ用とみられるヘリ基地の建設に対して、沖縄県民の反対運動が続いています。ヤンバルクイナが生息するヤンバルの森は、南方のジャングルを想わせる鬱蒼とした密林地帯で、開発と軍事訓練で動植物が脅かされるのは好ましくないと、強く感じました。

高江の反対運動テントで

普天間基地を「嘉数の丘」から遠望すると、飛行場が大都市の「ド真ん中」にあることが、実感として良くわかります。住宅が密集している普天間市で、軍用機の墜落事故による大事故がこれまで起きなかったのが不思議なくらいです。少し北方の嘉手納基地も見学しましたが、安全面で普天間よりは多少マシだとしても大同小異です。

上が普天間飛行場

憲法九条によって正式の軍隊を持てない日本は、国防の基本をアメリカに依存しているため、安保条約によって守られているのも事実です。しかし、アメリカはベトナム戦争やイラク戦争といった「無駄な」戦争をしかけては失敗を続けているのに、大義のない戦争のために沖縄だけに重い負担を押し付けるのはおかしい、と怒る気持ちは痛いほど良くわかります。案内してくれた沖縄在住の元テレビマンの方は、沖縄県での基地関係の収入は5%に過ぎず、基地による経済的な恩恵は少なくて迷惑施設なだけだ、力説していました。

平和の礎(いしじ)の前で

初訪問の沖縄を駆け足で回った3日間でしたが、本土で暮らす私たちも、沖縄の人たちの気持ちに寄り添って、基地問題を真剣に考える義務があると思います。沖縄がアメリカの極東戦略にとって都合の良い立地条件にあり、日本の防衛にとっても要衝でもあることが沖縄の不幸の原因であり、日本全体のジレンマでもあります。しかし、ヤンバルの森の軍事基地化や辺野古の海の埋め立ては「国土の破壊」に他なりません。本土の人間は、沖縄の実情をもっと知って深刻に考え悩むべきだと強く感じた次第です。



辺野古の美しい海を守りたい! 映画 「海にすわる」

2014-06-08 13:31:28 | 地方議会


5月31日、日野市で映画「標的の村」と「海にすわる」を見た。日野の市民団体による自主上映で、沖縄の反基地闘争を撮った、三上智恵監督による琉球朝日放送のドキュメンタリー映画で、こういうものは本土のテレビでは絶対に見られない。

「標的の村」は、沖縄本島の僻地である高江地区に、オスプレイのためのへり基地建設を、村人達が身を挺して阻止する運動を、住民の気持ちに寄り添って丹念に追った迫力のある映画だった。真っ黒に日焼けした村人たちは、平和でのどかな集落に危険なオスプレイは要らない、ふつうの生活を奪わないでくれと訴える。基地ゲートの前に自家用車を並べ、女性や子どもも闘いに加わり、叫び歌い、最後は機動隊にごぼう抜きにされていく様子は圧巻だった。なおタイトルの「標的」の意味は、ベトナム戦争時、高江地区の集落や村人が米軍の訓練の標的にされ、へり基地の建設でも標的になっているという意味らしい。

「海にすわる」は名護市民による辺野古の海を守る闘いを描いたドキュメンタリーで、同じ監督の作品だ。1996年、普天間基地の移設先として辺野古の名があがり、海でボーリング調査が予定されたため、住民が反対運動に立ち上がった。辺野古の海は、豊かな海産物に恵まれていて、沖縄戦の貴重な食料供給源であったこと、ジュゴンの数少ない生息地であることも美しく描写されている。住民の座り込みは600日に及び、ボーリングのやぐらが立ってから、反対運動の主戦場は湾内の海中に移った。男たちはやぐらを占拠し、漁民たちは船団を仕立ててデモ行進に加わり、長く苦しい闘いの末、ついにやぐらは撤去された。

かつて、村山富市首相(当時)は、6時間にわたって沖縄の声を聞いたが、沖縄の基地問題を考えるなら、まず沖縄の現状を知らねばならない。しかし申し訳ないことに、私自身は沖縄に行ったことがなく、沖縄の基地も辺野古の海も見たことがない。少しでも沖縄の実情を知ることができればと見に行った映画会だったが、沖縄県の人たちが、強く反発する心情は良くわかった。政治的な問題よりも、まずふつうの暮らしと貴重な自然を大事にしたいものだ。美しく豊かな辺野古の海を埋め立てたら2度と元には戻らないだろう。

悩ましいのは、国土防衛と住民の暮らしや環境保全との折り合いをどう付けるかという問題だ。憲法九条が交戦権を禁じているから、軍備も基地もいらないと言うのは簡単だが、日本の領土(尖閣列島)を力尽くでも奪取しようという国がある以上、「話し合いで平和を」と言っても広範な支持を得られないだろう。安保条約改定の頃は、社会党を中心に非武装中立が叫ばれたが、日本国民の多くは自民党を支持するという形で、事実上、非武装中立を選択枝から排除し、日本人はアメリカの傘の中で生きることを選択した。

日本は、アメリカに依存する形で国防を盤石にした訳だが、その代償としてアメリカの軍事基地を残すことになり、沖縄にいたっては、その75%を押しつけられてしまった。日本の防衛とアメリカの世界戦略の、いわば犠牲になっているのが沖縄県民であり、彼らの怒りは当然だ。ウチナンチュウの一人として心を傷めない訳にはいかない。しかし、中国の領土拡大志向は戦前の日本に負けず劣らず強固で、その問答無用の姿勢は侵略国家そのものだから、残念ながら、沖縄の軍事基地の地政学的な位置づけは重くなるばかりだ。

それにしても、普天間の代替え案が辺野古しかないというのは、いかにも残念すぎる。沖合の埋め立てで国際便を増やした羽田のように、辺野古よりもずっと先の沖合を埋め立てるとか、石垣島あたりの離島の海を埋め立てるというのは無理なのだろうか。カネが何倍もかかろうと、沖縄県民のふつうの暮らしと貴重な自然を最優先すべきだと、映画を見て強く思った。※2014/06/08