東京都武蔵村山市議 すどう ひろし(須藤博)のページ

真実の政治・住民本位の政治が私の信条です。

議長選挙の感想

2009-05-28 06:17:17 | Weblog
武蔵村山市議会では、2年に一度、議会内での役職変更がある。
議長をはじめとして、各種委員会の委員長など多くの役職があり、人数の多い会派と少ない会派の力関係で各種役職の配分が決まっていく。つまり、一番人数の多い会派が、たいていは議長の役職を取るのが武蔵村山の慣例になっている(たまに、二番目の会派が取ることもあるが)。

5月中旬、我が武蔵村山市議会でも議長選挙があったが、事前に大きな会派同士で話が決まっていて、私のような一人会派が口を出す余地はなかった。だから、やや評論家的な言い方をさせてもらうと、結果的にあきれてモノが言えない議長人事だった。

以前は、大きな会派で順番に議長を出すのが慣例になっていたが、近年4期も続けて議長をやった古参議員のH氏が、今回4年ぶりに議長に返り咲いたのだ。他に、候補者がいないわけでもあるまいに、これには驚いた。H氏は、押し出しが良くてスピーチも上手だし、会派内で実力があって議長として適任ではある。しかし、真の実力者なら、返り咲きなどせずに、後進に席を譲るのが見識ある大人の態度だろう。

議長は、名誉職という意味では市長に次ぐ位置にあり、議員なら一度はやってみたい気持ちはわからないではない。私は役職にはほとんど興味がないが、議長にはなりたいとは思わない。なぜなら、議員は質問してナンボなのに、議長は壇上で「司会」をやるわけだから、質問はできなくなってしまうのだ。

残念な傾向だが、本市では議長になりたい議員サンは、ほとんど議場で質問をしないか、質問に精彩を欠いているというのが一般的傾向だ。議長に返り咲いたH氏などはその典型で一般質問はまずしないし、議場での質問も滅多にない。議場に座っているのは、彼にとってはタイクツに違いなく、議長職はきっと居心地がよいのだろう。4年前に、一度H氏が議長を降りた時、自民党系の最大会派から4人も議長になりたい人がどっと出たが、どなたも議場では存在感がない人たちだった。

H氏は、4年前に、4期もやったために後がつかえていったん降りたが、その時は、議長をやりたい古参議員が大勢いて収集がつかず、私たち一人会派にも発言のチャンスがあった。私は、「収集がつかないなら二番目に大きい会派に議長を譲ったらどうだ」と提案して、ちょっとした混乱を引き起こしたものだが、じつに愉快ではあった。

議会の活性化という面からいえば、名誉職の面が多分にある議長になりたい人が、たくさんいるような議会ではいけない。会議には司会者が必ず必要だから、順番に「仕方なく」議長をやるのが本来の姿であり、議員の特権である質問の機会を放棄して議長職を奪い合うような姿は、どこか滑稽で悲しい。

もっとも、我が武蔵村山市議会では議長職に恋々とするような人種は、2年前の選挙で一気に減り、今は議場で立派に発言できる議員が増えた。H氏の次の議長を選ぶ2年後には、議長職をめぐって醜い争いが繰り広げられることは、もうないだろうと信じている。

※誤解を招いてはいけないが、議長職というものは、けっして名誉職だと貶めるつもりはない。議事を進める司会役としての仕事は見えやすい部分だが、議会の責任者として方針を決めるとか、対外的な行事への出席といった議長ならではの仕事がいろいろある。それなりに重要な仕事ではある。


あきれた!「国を売る」政治行動

2009-05-19 18:05:14 | Weblog
日本の地方議会は大統領制に近い形態のため、与党とか野党とかいう区別はすべきでない。その意味から、私は徹底して是々非々を貫いている。良い議案だと思えば躊躇なく賛成するし、もちろん反対するケースも少なくない。

本来、大騒ぎするほどの問題ではない小中一貫校に関する議案に、共産党とシンパの市民グループがしつこく反対して、いまだにビラをまいている。共産党関係者が反対するのは、特有の原理主義や教職員組合との関係もあり、その行動原理はわからないでもないが、不思議なのは一緒に反対している、いわゆる「野党議員」諸氏の行動である。

3月議会で、すでに小中一貫校関連の予算は決着がついているにもかかわらず、あくまでも都や文科省・防衛省からの補助金をストップさせて、体育館の改築を水際で?食い止めようという作戦に打って出たのだ。共産党系の市民と反対派の議員がうち揃って、中央省庁に「補助金を出すな」と訴えに行ったと間接的に聞いた。

正直なところ、唖然として開いた口がふさがらない気持ちだ。議会の多数決で決まって、もう動き始めた事業を、補助金を止めてまでストップさせようというのは、余りにも常軌を逸した荒っぽいやり方である。議会人としての常識からはずれた奇々怪々な政治行動であり、まさに議会人による「議会軽視」ではないか。

人命にかかわるとか、市財政に破壊的なダメージを与えるというなら、手荒な手段も緊急避難的に許されるかもしれない。しかし、冷静に判断すれば、とうていそんな次元ではない。反対する会のビラを見ても、財政への影響の記述は、何も知らない市民向けのオーバーな書き方であり、市職員や議員が見れば、一方的な政治宣伝に過ぎないことが一目瞭然にわかる。ほんとうは、市財政への大きな影響はないというのが真相だ。

※ビラでは借金が多いような書き方をあおっているが、本市の公債費比率は、多摩26市中で下から数えた方が早い。※公債費比率とは、市の全予算と市債(借金)の比率のことで、低い方が健全度が高い。本市は、多摩26市の中で下から5番目。

武蔵村山市は、昔から補助金をうまく活用して、市の持ち出しを最小限にするのが得意である。この小中一貫校も、15億円の予算のうちの3分の2近くを補助金で賄おうとしているが、上級官庁が補助金を出さなければ武蔵村山市の持ち出しが大きくなるわけで、そうなれば、確かに事業の継続は難しくなるかもしれない。

反対する会と野党議員の諸氏は、出るはずの補助金をストップさせてまで、「市財政が破綻する」というマヤカシの論理を証明したいのだろうか?その政治行動は、私には党利党略にすら見えてならない。教育は、本市の未来を形成する原動力であり、福祉や教育をお金で計るのは愚の骨頂である。教育にかけるお金は生きた予算であり、その意義深さをせずに無駄だと言うのは、まさに暴論である。

もっとも憂慮されるのは、今後の市政への悪影響である。反対するのは自由だし、よしんば小中一貫校の2期工事が止まっても決定的ダメージはない。むしろ心配なのは、何人もの市議会議員が打ち揃って「わが市に補助金は出すな」と文句を言いに行くようでは、今後の武蔵村山市は「札付き」の要注意自治体と見なされかねないのだ。
※反対派のグループが中央省庁に何を要求したかについて、私は詳細には把握していない。具体的に「補助金を出すな」とまでは言っていないかもしれないが、結果的には同じ効果を及ぼすだろう。

都や国の上級官庁は、制度としての補助金については、しかるべき理由があれば、淡々と事務的に補助金を付けてくれるものだ。しかし、当の自治体の市民や議員が大挙して「補助金を出すな」と圧力をかけに行くようでは、今後は上級官庁の役人は、武蔵村山市からの補助金申請に対しては警戒心が先に立ち、必要以上に厳密な審査をするようになり、本市は貰えるものも貰えなくなる可能性すらある。

いつまでも荒井市長の時代が続くわけではない。これまでは、四の五の言わずに貰えていた補助金が今後は出なくなれば、次の時代の市長も財政運営が苦しくなるだろうし、もっとも不利益を被るのは市民なのだ。目先の反対にばかり目が行って、将来の不利益にまで考えが及ばないとすれば、政治家として底が浅すぎる。

洋の東西を問わず戦国時代には、戦争に負けそうになると他国の軍隊を入れて加勢を頼み、国内の戦争に勝利しようとした領主がたくさんいたが、その後は外国に国を乗っ取られるのが常であった。いわゆる「国を売る」たぐいの行為である。本市が貰えるはずの補助金を、「出すな」と圧力をかけて歩いた議員諸氏の行動は、国を売った昔の領主と違いがない。

教育委員会に説明をさせるのみで、自らは前面に出ない荒井市長の姿勢や説明責任の不足もいただけない。教育委員会の仕事に、市長が口を出しすぎるのは良くないとしても、市政の最高指揮官は市長なのだ。なぜ予算を支出するのかについては、市長自身が明確なメッセージを発するべきであり、教育委員会に説明を丸投げしているかに見える姿勢が、混乱の大きな要因である。

それにしても、反対派の「野党」議員のやり方は、あまりにも先を見ない粗野な政治行動ではないか。是々非々を旨とする私には、とうてい理解できない。