昨今、議員報酬を「日当制」に変えた矢祭町が話題になっているが、マスコミを含めてこれを単純に賛美する人たちが少なくないのに驚いている。ほんとうに、日本人は深くものを考えないオメデタイ人種だ。
ごく小さな自治体が、財政難で緊急避難的にそれをやるのは良いことかもしれないが、全国の自治体で続々とこれをやれば、日本の地方自治は「冬」どころか「死の時代」を迎えるのではないだろうか。
議員が日当制で、あたかも審議会委員のように本職の片手間に議会を開くだけでは、中規模以上の自治体では、とうてい膨大な役所の仕事を責任を持って「監視」するのは不可能だ。議員の役割は、軽い「ご意見番」程度になるだろう。
多摩地域の民主党議員はほぼ専業だが、議員仲間に聞いてみると、専業ですら役所から届く書類のすべてに目を通すのはたいへんな仕事だと口をそろえる。私自身も、かなり必死の思いで目を通している。資料を見て、おかしな点は質問や指摘をするわけだが、それで役所の仕事の改善につながった事例は少なくない。
自治体の情報に精通して「モノ申す」のが議員の職分なのだが、議員が食うための本職で多忙では議会の監視機能は衰退し、かえって税金の無駄使いが増えるだろう。
我が武蔵村山市の職員は、ほとんどの人がまじめで優秀だ。
ただ、役人というものは、公僕としての公平性とか、役人として守らねばならない仕事のやり方に縛られる部分が多く、役所に長年いると、外の世界とは感覚が離れてしまうもので発想も硬直化してくる。それが、市民の目から見ると冷たいとか非能率とか形式主義と言われるゆえんだ。役所の、そういう陥りやすい欠陥を修正するのも、議員の大事な仕事だ。
それと、たいていの役所では人員削減が進んで、職員は人手不足で目の前の仕事の消化に精一杯だ。役人が気が回らない点を、議員が気付いて指摘(提案)するという場面は、全国的に増えているのではないだろうか。
そのような訳で、地方議員の仕事は「監視」機能に限らず、市民の声を吸い上げて、市民の目線で政策を実現するという、大事な「提案」機能があるが、これをやるには事前の綿密な調査が欠かせない。この点でも、日当制や無報酬では「思いつき」程度の発言しかできないだろう。議員が役人を動かすには、具体的なプランまで提示してみせなければ「検討します」でウヤムヤになるのがオチだ。
外国では、日当制や無報酬の議会制をとっている国も少なくないが、そういう場合は概して州政府・地方政府の権限や予算が大きく、末端の自治体の予算や権限は極めて少ないのが普通だ。市長すら名誉職で、何の権限もない自治体すら外国にあるが、そんな程度の軽い自治しか市民が望まないなら、矢祭町方式も良かろう。
だいぶ前に聞いたコンサートで歌っていた、ナポリの年配テノール歌手は市議会議員だと紹介されていたが、まさに名誉職だった。
しかし、日本のように、末端の自治体に大きな自治権と予算が与えられている国で、しかも市長や役人が、すぐに裏でこそこそと、良からぬことをやりたがるお国柄の日本で議会の力を弱めれば、市長やお役人の暴走を許し、結果として泣きを見るのは善良な庶民ではないのか。
経費削減は大事だが、議員にかかる経費は職員のそれに較べるとはるかに比重は軽い。少しばかりの(と言っては叱られる?)議会経費を削って「役人天国」に逆戻りするなら、あまりにも浅はかと言わざるをえない。朝日新聞に、日当制が大きく特集されていたが、全然本質がわかっていない。記事を書くのは若手の記者だが、マスコミはもっと地に足の着いた勉強をするべきだ。
※福島県矢祭町の議員報酬は議会や公的な会合などの一回の出席ごとに3万円だ。町の人口は6800人で武蔵村山市の10分の1、戸数はわずかに2000戸だ。このように小さな規模の自治体のやり方で、はたして大型の自治体がやっていけるだろうか。
ごく小さな自治体が、財政難で緊急避難的にそれをやるのは良いことかもしれないが、全国の自治体で続々とこれをやれば、日本の地方自治は「冬」どころか「死の時代」を迎えるのではないだろうか。
議員が日当制で、あたかも審議会委員のように本職の片手間に議会を開くだけでは、中規模以上の自治体では、とうてい膨大な役所の仕事を責任を持って「監視」するのは不可能だ。議員の役割は、軽い「ご意見番」程度になるだろう。
多摩地域の民主党議員はほぼ専業だが、議員仲間に聞いてみると、専業ですら役所から届く書類のすべてに目を通すのはたいへんな仕事だと口をそろえる。私自身も、かなり必死の思いで目を通している。資料を見て、おかしな点は質問や指摘をするわけだが、それで役所の仕事の改善につながった事例は少なくない。
自治体の情報に精通して「モノ申す」のが議員の職分なのだが、議員が食うための本職で多忙では議会の監視機能は衰退し、かえって税金の無駄使いが増えるだろう。
我が武蔵村山市の職員は、ほとんどの人がまじめで優秀だ。
ただ、役人というものは、公僕としての公平性とか、役人として守らねばならない仕事のやり方に縛られる部分が多く、役所に長年いると、外の世界とは感覚が離れてしまうもので発想も硬直化してくる。それが、市民の目から見ると冷たいとか非能率とか形式主義と言われるゆえんだ。役所の、そういう陥りやすい欠陥を修正するのも、議員の大事な仕事だ。
それと、たいていの役所では人員削減が進んで、職員は人手不足で目の前の仕事の消化に精一杯だ。役人が気が回らない点を、議員が気付いて指摘(提案)するという場面は、全国的に増えているのではないだろうか。
そのような訳で、地方議員の仕事は「監視」機能に限らず、市民の声を吸い上げて、市民の目線で政策を実現するという、大事な「提案」機能があるが、これをやるには事前の綿密な調査が欠かせない。この点でも、日当制や無報酬では「思いつき」程度の発言しかできないだろう。議員が役人を動かすには、具体的なプランまで提示してみせなければ「検討します」でウヤムヤになるのがオチだ。
外国では、日当制や無報酬の議会制をとっている国も少なくないが、そういう場合は概して州政府・地方政府の権限や予算が大きく、末端の自治体の予算や権限は極めて少ないのが普通だ。市長すら名誉職で、何の権限もない自治体すら外国にあるが、そんな程度の軽い自治しか市民が望まないなら、矢祭町方式も良かろう。
だいぶ前に聞いたコンサートで歌っていた、ナポリの年配テノール歌手は市議会議員だと紹介されていたが、まさに名誉職だった。
しかし、日本のように、末端の自治体に大きな自治権と予算が与えられている国で、しかも市長や役人が、すぐに裏でこそこそと、良からぬことをやりたがるお国柄の日本で議会の力を弱めれば、市長やお役人の暴走を許し、結果として泣きを見るのは善良な庶民ではないのか。
経費削減は大事だが、議員にかかる経費は職員のそれに較べるとはるかに比重は軽い。少しばかりの(と言っては叱られる?)議会経費を削って「役人天国」に逆戻りするなら、あまりにも浅はかと言わざるをえない。朝日新聞に、日当制が大きく特集されていたが、全然本質がわかっていない。記事を書くのは若手の記者だが、マスコミはもっと地に足の着いた勉強をするべきだ。
※福島県矢祭町の議員報酬は議会や公的な会合などの一回の出席ごとに3万円だ。町の人口は6800人で武蔵村山市の10分の1、戸数はわずかに2000戸だ。このように小さな規模の自治体のやり方で、はたして大型の自治体がやっていけるだろうか。