東京都武蔵村山市議 すどう ひろし(須藤博)のページ

真実の政治・住民本位の政治が私の信条です。

読売新聞の「報道姿勢」に抗議して購読を中止!

2015-12-27 12:17:43 | ジャーナリズム
政治に関わる仕事は多様な情報が必要なため、ずっと読売と毎日の2紙を購読してきたが、11月いっぱいで読売新聞の購読を打ち切った。報道姿勢に「抗議」の意思を表すための、ささやかな抵抗である。読売本社にも、メールで意思表示をしておいた。

安倍首相が強行した「安保法案」は、政界を2分して国民の世論も大きく割れたが、国会前に若者たちが組織した大集会が開かれて、テレビでは大きく報道されたが、読売には写真も記事も見当たらないのだ。社の方針がどうであれ、あった事を無視して書かないというのでは、新聞の基本的な役割を放棄しているに等しい。読売は、記事の内容が豊富なので学生時代から40年以上も購読してきたが、ここまで偏向しては、もう付き合いきれない。

このような重要問題を扱うさいの報道機関はどう振る舞うべきなのか。私は、読売の報道姿勢はマスコミの在り方からして大きく逸脱していると思う。私の出た大学は、ジャーナリズムの講座が多数あって現役のマスコミ人の講義も受けていたから、マスコミの在り方について自分なりの考え方をもっている。先生たちが説いていた論点は大きく分けて2つあり、マスコミは公平中立でなければならないという点と、新聞は主張(個性)を持つべきだという点だった。

どちらも大事な視点だが、これら2つの論点は対立していて並び立たないのが悩ましい。中立を守ろうとすると「主張」は難しくなり、特に政治の場合はそれが顕著で、「主張」を大事にすると、どうしても一方に偏ることになる。

どこの新聞社にも「社風」があり、朝日、読売、毎日、産経、東京は紙面の傾向が違って、多かれ少なかれ左右に分かれている。私自身は、新聞は事実をありのままに伝えるのが仕事なので、右も左も混在させて全体として中庸が保たれる方が良いと思っている。現状では、1社の新聞しか読まなければ偏向した人間が大量生産されかねない状況であり、かといって複数の新聞を購読するのは現実的でない。

読売は右寄りという評価が定着しているが、長く購読していると、リベラルな面も充分にあるので見識の高い記者が大勢頑張っていることがわかる。毎日は、読者に一方の価値観を押し付けるような面がなくリベラルなのは好感が持てるが、「かわら版」の良き伝統を引き継いでいるのか、必然的にやや左に傾く面がある。

私は、やや右の読売とやや左の毎日の2紙を併読してきたのだが、安保法案のさいの読売の報道姿勢は完全に間違っていると感じた。社説や記事の扱いが政府寄りなのは、新聞社の考え方がある以上は許せる範囲だが、連日連夜にわたって国会に押し寄せる反対運動を全くと言ってよいほど無視したのは理解できない。

報道機関は、その主張のいかんに係わらず、事実はありのままに伝えるのが第一の使命ではないのか。社の主張と合わないからと言って、大勢の国民が声を上げているのを無視するのは、報道機関としての使命を投げ捨てる暴挙である。毎日新聞に大きく載った国会前のデモが、読売では見当たらないのには本当に驚いた。現実の運動が無かったことにされてしまったのだ。記事が右寄りであることは許容範囲だとしても、政府の御用新聞にまでなり下がっては、もはや金を払って読む気はしない。

「イスラム国」に“利用”された安倍外交

2015-02-06 17:42:15 | ジャーナリズム
安倍首相の外交について評するなら、力強く世界へ向けてメッセージを発するという意味で、日本の歴代首相の中でも抜きんでている。自由世界の主要国にふさわしいメッセージを発し、日本の存在感を高めるという意味で、その行動力と発信力は、鮮やかで頼もしい。

しかし、今回の「イスラム国」による2人の日本人人質事件では、安倍首相は、見事にイスラム原理主義のテロ集団によって、宣伝材料として利用されてしまった。2か月も前から日本人が捕まっているのを知りながら、2億ドルの援助に「イスラム国対策」を明言するという愚を犯したのだ。ここは、より慎重に言葉を選んで援助を進めるべきだったろう。

安倍総理には、つねに「行け行けドンドン」といった能天気さが見受けられるのは残念な部分だ。第二次阿部政権が発足して間もなく、周囲の反対を押し切って靖国参拝を強行して国際社会から孤立したのが良い例だ。イラク戦争に突き進んで行った時のブッシュ大統領と、言動が良く似ているとの説もある。

「イスラム国」による直接的な日本人への脅威は、彼らの支配地域を除けば心配に値しないだろうが、日本に対して「イスラム原理主義の敵」というレッテルを貼られたからには、それに同調する別の過激集団が日本人を襲う可能性は否定できない

安倍首相は、平和憲法の解釈を変えてでも、アメリカに従って、「普通の国」として世界に打って出ようとしているように見える。しかし、何事も物事には表と裏がある。今回の人質事件を境として、世界で活躍する日本人が危険に遭遇する可能性が、何倍も高くなってしまったのは確かだろう。

がんばれ!朝日新聞。

2015-01-12 23:19:43 | ジャーナリズム
1月16日付の朝日ジャーナルに、朝日新聞社の誤報問題を検証した「第三者委員会」の委員でジャーナリストの田原総一朗氏が、検証作業を終えての感想を書いていた。

田原総一朗氏は、まさに「硬骨のジャーナリスト」と言える人だが、その田原さんが、「第三者委員を引き受けるに当たってはヒリヒリするような緊張感を懐いた」とのことだ。それは、伝統があってマスメディアの権威のような朝日新聞はエリート意識も高く、社員たちは高い誇りを懐いているはずだから、誇りをズタズタにされかねない検証作業に対して素っ裸になることができるか?という懸念があったからだという。

ところが作業を進めてみると、ヒアリング対象者になった朝日の社員たちは、第三者委員会に対していっさいの隠し事や口裏合わせをせず、体面にも囚われることなく本音で語ってくれたという。いわば、社をあげて「裸をさらしても良い」というほどの謙虚かつ真摯な姿勢で第三者委員会のヒアリングに臨んだらしい事がわかる。

朝日新聞は二つの大誤報を犯したが、それはエリート集団にありがちの思い込みに加え、官僚的なおごりと事なかれ体質によって起きたものだろう。それが、田原総一朗氏も驚くほどの謙虚さをもって検証作業に社をあげて協力したのであれば、それは同社が生まれ変われる兆しかもしれない。

朝日新聞の記事には、言論機関としての使命感・正義感が感じられる部分が少なくないが、それが強過ぎたゆえに世紀の大誤報を生んだという側面もあろう。今後は、第一線の記者が冷静に誤りなき記事を書き、経営陣も余分な口出しをせず、全社をあげて誤報を生まない紙面作りに邁進してほしいものだ。間違いがあれば直ちに訂正する勇気と謙虚さも欠かせない。

朝日新聞の社風には、良識や正義を追及するという貴重な傾向があるのも事実だから、図に乗って同社を必要以上に貶めるのには賛成できない。それは、日本の世論形成を偏った危険なものにしかねないからだ。第三者委員会の指摘を謙虚に受け入れ、問題点があれば猛省しつつ、朝日新聞社は、これからも社会を律する揺るぎなき木鐸であってほしい。

徹底した謙虚な反省の上にたってこそ、真の誇りある社風が確立されるに違いない。頑張れ!朝日新聞(2015.1.12)。