東京都武蔵村山市議 すどう ひろし(須藤博)のページ

真実の政治・住民本位の政治が私の信条です。

筋の悪い「菅降ろし」!

2011-02-25 17:02:21 | 地方議会
小沢派の比例選出議員16人に加えて松木農水政務官も造反し、菅総理への圧力を強めている。それに対して、小沢さんは造反に理解を示しているようだ。しかし、小沢派議員による菅降ろしは、親分に忠誠を誓うという意図が見え透いていて気持ちが悪い。

菅総理が、尖閣問題で指導力を発揮できなかった原因のひとつには、小沢さんとの熾烈な代表戦の影響があったという見方がある。不慣れな総理の仕事に代表戦が加わり、菅さんの疲労は体力・気力の限界を超えていたのではないか。加えて、外国訪問の時差によるダメージもある。テレビに映った顔を見ると、まるで病み上がりのようで、見慣れた菅さんではなかった。

国家・国民のことを考えるなら、小沢さんは、どんなに菅さんが気に食わなくても、就任して数ヶ月の総理大臣を引きずり降ろそうと目論むべきではなかった。穏忍自重して、そっと裏で支えて次の出番を待つことこそ、大モノ政治家のふるまいであったろう。小沢さんのやったことは、「オレがオレが」の権力志向そのものと見られても仕方ない。

民主党の支持率が下がっている大きな要因として、党内でのゴタゴタが続いていることが大きいが、政治とカネも含めて、その大部分に小沢さんが絡んでいるといって差し支えない。自民党の強いところは、どんなに派閥争があっても、ここ一番という時には見事に結束する部分なのだが、民主党にはそれがないのが残念だ。

小沢さんは、民主党の政権奪取の功労者ではあるが、政治とカネであれだけ醜聞が広がったのだから、大きな顔をしない方がご自身のためにも国のためにも良かったのではないか。刑事事件という意味では無罪でも、カネの出所が説明できなくては国民の心証は良くない。菅さんに言われなくても、民主党のためを思うなら代表戦などに出ず、事態が沈静化するまで静かにしているべきだったと思う。

ただし、総理の椅子を目前にしながら特捜検察に「やられた」無念さはわかる。帳簿がどうのこうの、というのは犯罪としては微罪だし、西松建設絡みの贈収賄事件も、なんら物証が上がっていないところを見ると、例によって強引な取り調べの副産物かもしれない。あの事件さえ起きなければ、小沢政権が誕生していて、鳩山総理による普天間問題の「漂流」はなかっただろうし、菅さんによる参院戦の大敗もなかっただろう。民主党にとっては、決定的な運命の分かれ道だった。小沢さんに、一度は総理をやらせて見たかったと、私も思っている。

菅さんは、ここへ来て長期的政策を打ち出しているが、建て直しの道はきわめて厳しい。選挙を控えている地方議員からは、菅さんでは戦えないという悲鳴が上がっている。しかし、予算が通らないことを悟って自分の意思で退陣するとか、周囲がそれを勧めるというならわかるが、菅内閣の足を引っ張り続けて人気低落の原因を作っている人たちが圧力をかけるというのは、いささか筋が違う気がする。

党内対立が目立てば目立つほど、民主党は国民から笑いものになってしまうのに、なんとも困ったものだ。野党は、倒閣を超えて総選挙に照準を合わせて来ている。もう、党内対立をしているゆとりなどない。
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河村市長に騙されるな!

2011-02-23 04:48:07 | 地方議会
私は、自分自身の体験として、地方議会というものは、そういい加減なところだとは思っていない。多数の会派による多様な目線によって、市長とは違う角度から市政を判断するという作業を、どこの地方議会もきちんとやっている筈だからだ。市長はたった一人だから、思い込みや独断が生じる恐れが付いて回るが、議会は多数の議員で構成されているから、むしろ判断の間違いは少ないのだ。

名古屋市の河村市長は、10%の恒久減税を主張して、それを認めない市議会と対立しているが、今朝のインターネット新聞を見てその本質がわかったような気がした。与謝野財政経済相は、「河村市長の行政改革の規模が185億円なのに対して、市債残高は1兆8千億円もあるのだから減税よりも市債を減らす方に使うべきだ」と述べたという。

河村市長は強く反発しているが、私は与謝野氏の方が正しいと思う。1兆8千億円の借金はハンパでない。10%の恒久減税が簡単にできるものなら、市議会だって反対するはずがないと思っていたが、理由はそういう処にあったのだ。市の財政に責任を持とうとするなら、僅かな行政改革効果と引き換えに減税というパフォーマンスに賛成できないのは当然だ。河村市長は、本質をわかっていない市民を騙して政治的野望=(減税日本という地域政党の立ち上げ)を遂げる代わりに、名古屋市の財政を確実に悪化させるに違いない。

河村市長の政治的野望の後には、将来の名古屋市民の悲惨が待ち受けているだろう。市民が騙されたことに気が付いた時には、名古屋市には累々たる借金の山が残されていて、その時にはすでに河村市長は名古屋市から逃げ去っていて、誰も責任を取らないし取れないに違いない。市民は、もっと冷静に事の本質を知るべきであって、目先のオイシイ約束に喜んでいる場合ではないのだ。

名古屋市が財政破綻すれば、尻拭いをするのは名古屋市民と、補助金を出す全国民だ。経済そのものが縮小する中では、役所の規模も縮小しするなどすべてにおいてダウンサイジングを図っていく事は必要ではある。税金を安くできれば、それに越したことはない。しかし、地方自治体が借金も返さないうちに減税を先行させるというのはおかしい。財源のアテがないのに子ども手当てを先行させるというのと同じ構図だ。

「考えない日本人」がどんどん増殖している。1億人のおろか者集団は、国家の破産という「奈落の底」をめがけて一直線に突き進んでいるのだろうか。

「市民目線」の大切さ

2011-02-20 05:58:44 | 地方議会
市議会に所属していると、政治や市政の内情が分かってくるため、注意していても、つい「市民目線」を忘れがちになる。つまり、市民の素朴な目線を忘れて「プロの目線」になってしまう危険性がある。この点は、厳しく自戒せねばならない。

昨日、あるボランティア団体の会議が脱線して、市政と市議会の話で盛り上がった。主婦の皆さんの歯に衣を着せぬ厳しい意見が、次々に飛び出してタジタジ気味となった。素朴な疑問に対しては、事情を知っている立場からすると、たいていやむを得ない理由がある。しかし、市政に影響を及ぼす立場にある市議会議員は、常に素朴な市民の疑問や意見に接して、何とかできないか?という想いを持ち続けることが必要だ。

会議の後、しばらくぶりで訪問した地元(学園)の知り合いの主婦からも、市役所職員の対応についてお叱りを延々といただいて日が暮れた。職員の対応については、当選以来、ずっと取り組んでいて一定の成果は上がっているとは思っているのだが、抜本的な解決は難しい。しかし、諦めてはいけない。

政治の話題は、どうしても国政にばかり目が行ってしまいがちだが、市政や市議会のあり方について、厳しいホンネの意見が聞けて収穫の多い一日だった。選挙が近くて多忙な毎日だが、市民の苦情にはじっくり耳を傾けたいものだ。

市議選は、「超」激戦に!

2011-02-19 07:30:05 | 地方議会
2月17日、来たるべき統一地方選挙の、選管による説明会が武蔵村山市役所内であった。大きな会議室が一杯になるほどの人が説明会に来ていてびっくり。この日は、27通の書類一式が参加者に手渡されたため、まだ来ていない現職の一人を入れると、何と28人もの人が書類を受け取ることになる。

説明会に出席して書類一式をもらうということは、立候補の意志があるか、興味があって立候補を検討するということだから、少なくとも25人くらいは立候補することになるだろう。4年前の選挙の時、武蔵村山市は東京で唯一、無投票になったために、今回の立候補者の多さにつながったのだろう。

昔から、武蔵村山市の市議選は少数激戦で、落選するのは一人か二人という例が多かったため、今回のように多数が参戦するのは、きわめて異例である。議席の数は20だから、かなりの落選者が出ることになる。活気があるのは良いことだが、チョー厳しい闘いになるのは間違いない。ウーン、厳しい!

菅さん、もう辞めてください。

2011-02-18 06:34:54 | 地方議会
ついに、来るべきものが来た。小沢派国会議員16人による会派離脱である。これは、事実上の菅首相への退陣要求である。私も菅さんには昔から接点があってこそ、今があるわけだから、彼が首相になった時には喜んだものだった。しかし、それは束の間で、その後の展開は全国民が知る通りである。

これまで、自民党政権で何度も総理が退陣したのを見てきたが、菅総理ほどに人間的な不信感を国民に植え付けてしまった人は、そう多くない。あとは芸者問題で辞任した宇野総理と、普天間で宇宙人ぶりを見せつけた鳩山総理くらいなものかもしれないが、尖閣問題での場当たり対応と責任逃れによって、国民の多くは菅さんの人間性を見抜いてしまった。ある意味で、鳩山さんよりもっと筋がよくない不人気ぶりだ。支持者を訪問すると、菅さん顔も(テレビで)見たくないという人が少なくないから、私たち地方議員は、民主党のマークが付いているだけで苦しい。間違いなく統一地方選挙は大惨敗だ。

社会保障と税の一体改革に乗り出すなどの現実政策は良いと思うが、菅さんがそれを言っても、すでに政権維持のための「方便」としか見てもらえない。小沢氏への処分には、一定の理があるとはいえ、推定無罪の原則からすると疑問もあり、党内の醜い派閥争いだという指摘を完全には否定できない。

鳩山さんが、ここへ来て小沢さんを擁護する発言をするようになった原因は、一説によると、鳩山政権の時に大事な場面で菅さんが何もしなかった事への恨みがあるという。それが本当なら、鳩山政権が潰れるのを、自分は傷つかずに安全圏内で待っていたということになる。そんなことは無いと信じたいが、もしそうだとすれば国民への裏切りだ。

政策への不信感なら、政策の立て直しで何とか支持派持ち直すだろう。しかし、人間的な不信感は取り除くことは難しい。20%そこそこの支持率を立て直すことは、もう不可能だろう。菅首相を支持してきた地方議員としては、これ以上、政権にしがみついて醜態をさらすべきではない、と申し上げたい。伸子夫人も、ぜひ党内野党として必要な助言をしてほしい。

民主党の若手には、実務能力のある議員がたくさんいる。傷ついた古株は3人とも表舞台から去って、若手にバトンタッチした方が国家・国民のためだろう。人徳のない政治家には、国民はついていかない。

※若い就活学生は、鋭く菅総理の人間性を見抜いているという。厳しい指摘だ。(田中秀征氏)。
 ⇒http://news.goo.ne.jp/article/diamond/politics/2011021703
      diamond.html

「新興衰退国」論の衝撃

2011-02-15 04:55:02 | 政治
WEBを閲覧していたら、ヨーロッパの一部マスコミでは、日本を世界唯一の「新興衰退国」と呼んでいるという記事を見た。薄々気づいてはいたが、言われてみるとショックだ。日本の人口減と新興国への産業移転は、ずいぶん前から始まっていて止まるところを知らない。坂道を転がるように、日本は「縮小均衡社会」に向かっているのは明らかだ。いや、雪崩を打つようにと言った方が適切かもしれない。

そこで思い当たるのは、大ブームとなっている「無駄の排除」という世間の風潮だ。これは、民主党躍進の原動力でもあったわけだが、経営者で知人の民主党支持者の方に「無駄をなくすことより、もっと大事なのは振興策だろうに、情けない世の中になったものだ」と言われたのを思い出す。

たしかに、無駄をなくすことは大事だし、税金の無駄使いは許されない。しかし、家計でもそうだが収入が上がる見込みの時は、財布の紐はしめないものだ。無駄の排除は大事だし、一部役人が勝手放題にやりすぎたのも事実だろうが、世間の風潮を見ると、余りにも「無駄の排除」一色に染まりすぎているのが気になる。まるで無駄の排除の軍国ファッショだ。

こうなったのは、日本人が萎縮して矮小化している証拠である。積極的に打って出ることよりも、カネを使わないことをもってよしとする風潮に、どこか繋がっているのではないか。もしかして、日本は確実に世界で唯一の「新興衰退国」に向かっていることを、国民が本能的に悟っているからこそ、これほどにも「無駄の排除」一色に染まっているのだとすると、もう日本の衰退は防ぎようがない。恐ろしいことだ。

「国家破滅!」へのカタストロフィー

2011-02-07 07:06:51 | 地方議会
名古屋市長選と愛知県知事選、そして名古屋市議会リコールは、河村市長派の圧勝に終わった。民主党が押した候補は惨敗したが、これは一種の「河村現象」とでも呼ぶべき特異な社会現象だから、菅内閣の不人気とはまた別の問題かもしれない。小泉型!劇場政治の勝利である。

10%の恒久減税を主張する河村市長と、それを認めない市議会との対立についての詳細な中身は知らないが、たぶん、財源と歳出削減の点で無理な部分があるからこそ、市議会の多数が反対したのではないか。名古屋は政令指定都市だから武蔵村山市とは比べられないが、一千万を優に超える議員報酬が高すぎるといった部分はわからないではないが、経費削減には限界があるだろう。

日本人は税金が安いのが好きだから、河村氏の10%恒久減税は高い支持を受けるだろうが、出すもの(税金)を出さなければ、当然ながら「小さな政府・小さな自治体」になってしまう。名古屋市民がそれを選ぶなら文句を付けるつもりはないが、受けられるサービスは、質・量ともに低下していくのは覚悟しなければならない。

市民の収入が減っている中で、河村市長の10%減税案は大歓迎されるのは当然で、それに同調しない市議会は抵抗勢力ということになる。私だったら「市長がやれるというなら、一度やってみなはれ」と不安ながらもやらせてみる意味で賛成したかもしれない。しかし、恒久減税は市財政を危うくさせる可能性があるから、常識的な議員は賛成しにくいだろう。

実際には、どこの自治体でも福祉を中心として市民からのサービス要求は増大する一方だ。税収が減れば、当然のこととして「無い袖は振れない」状態となってしまう。市議会議員は、市民と触れ合う中でサービス圧力を常に受けているから、税収が減ることへの不安感は当然だろう。河村市長は、市議会議員と役所の職員の給料カットで恒久減税はできるというが、ホント?と眉につばを付けたくなる。

民主党のマニュフェストが無責任だとして批判を浴びているが、夢のような無駄の削減や大衆迎合のばら撒きを訴えれば、それが疑われずに易々と選挙で支持されてしまうのが日本の社会だ。有権者にもマスコミにも健全な批判精神(=理性)がまるでない。出すものは出さずにサービスだけは要求するというのは、いくらなんでも虫が良すぎる。日本社会に蔓延している、自分さえ良ければという「虫のよさ」と「無責任」は、やがて日本の国を破滅へと導くだろう。

私は、民主党のマニュフェストがどれだけ実現性があるか、という点を危惧していたから、政権交代を手放しでは喜べなかった。「これからが正念場」と当時のブログに書いた記憶があるが、日本人は、ひたすら「無責任国家」への道をひた走っているようにさえ見える。「一億総身勝手」とでも呼びたい気分だが、破滅へのカタストロフィーの日はきっと来る。それが心配でならない。

三期目をめざす「意味」

2011-02-02 06:12:27 | 地方議会
4月には、私にとって3回目の選挙がある。一期目は新人として必死の闘いに臨んで当選したが、2期目は一日だけの選挙戦で無投票になってしまった。今回は、民主党の新人も加わり、他にも何人もの名前が上がっていて混戦模様を呈している。

私は、2期8年にわたって民主党のカンバンを背負ってきたので、民主党政権が失速状態にあることの責任を問われる立場にある。特に、長いこと多摩地域では民主党の星だった菅総理が国民の信任を失っているのが痛い。西東京での選挙結果を見ても、これまで菅さんの恩恵を被ってきた現職に、とりわけ厳しい審判が下った。

政治家は、自分の言葉に忠実であることと、高いモラルを実践することが、何より大切であり、私はその基本を守って議会活動を行ってきたつもりだ。しかし、国政選挙で政権交代を訴えて、それが実現したにもかかわらず、公約を守れずに、小沢・鳩山・菅という大カンバンが、揃いもそろって国民の信任を失っている。菅総理は、傾きかけた船を必死に立て直しにかかっている。しかし、予算を通すのは針の穴を通すように難しい作業だろう。このような中で、私たち民主党の市議候補は選挙戦を戦わねばならない。余りにも大きなハンデだ。

この2期8年で、かなりやりたい事が手がけられたと思っている。形に残る成果も少なくない。しかし、民主党の失速を見るにつけ、政治家として正直であろうとするなら、政権交代を一緒になって叫んだ責任を取って引退すべきなのかもしれない、との思いも湧いた。尖閣問題の時などは、「抗議の離党」の文字さえ脳裏に浮かんだものだ。

しかし、私は浪花節だから、受けた恩義は返さねばと思っている。立候補の時は多くの皆様から応援していただき、民主党や、党を支持する労働組合からも多大の支援をいただいた。これまで、仕事で恩返ししてきたとは思っているが、まだ仕上げの段階までは至っていないのに、勝手に戦線離脱する自由はない。

実感として言えることだが、議員としての仕事が安定してできるようになるのは、2期目の後半からで、例えば、自動車に例えれば、どこを押せばどう動くといったことがよくわかってくるのが2期目の後半で、その頃になって、やっとムダのない動きで的確に仕事をすることができるようになってくる。

これまで手がけてきた仕事は、3期目でこそグイグイ進められるに違いないと思っている。議員というものは、それぞれに得意分野があるだろうが、私にしかできない(と思っている)分野の仕事は、3期目でぜひともやり遂げねばやらない。須藤がいなくなっては困る、と言ってくれる市民の方も少なからずいる。

精一杯闘って、それでも市民の厳しい審判が降りるなら謙虚に受けるが、3期目で、自分の本領を発揮できるまで仕事をするのが、私に課せられた責任だと思っている。