東京都武蔵村山市議 すどう ひろし(須藤博)のページ

真実の政治・住民本位の政治が私の信条です。

全国学力テスト

2009-12-31 10:45:57 | Weblog
12月議会の最終日に意見書の採決があった。意見書とは、自治体議会が国等に対する要望を上げるためのもので、本会議での採決が必要だ。

新政会は、政権政党の自民党系の会派のため、従来は意見書の議案はまず出さなかったが、野党になったら急に多くの意見書案を出してきた。あまりの多さにびっくるするほどだったが、その中の一つに、全国学力テストを今までのやり方で毎年継続すべしという趣旨のものがあった(公明党との共同提出)。

私は、この意見書の内容は民主党の方針と対立するので賛成しなかったし、そもそも、全国学力テストには賛否両論があり、毎年の継続が良いかどうかは識者の間でも議論が分かれている難しい問題だ。

11月末に、教育委員会から21年度の全国学力テストの分析結果が発表され、議員にも資料が配付されたのでじっくり読んでみた。それによると、武蔵村山市の児童・生徒の学力の現状と足らざる部分がきっちり分析され、学力向上のための処方箋が項目別に示されている。実に立派な内容で感心した。

全国学力テストには、多額の国家予算がかかるわけだから十分に活用されなければ意味がないし、単純に順位争いになってもいけない。必要なのは、学力の問題点を洗い出した上で科学的な対策を立てるために活用することで、本市の教育委員会は、そのへんの分析をしっかりやっている。この結果を、どう教育現場で生かしていくかを、興味深くウオッチしていきたいと思っている。

一斉学力テストは、上手に活用するなら続ける意味があるに違いない。ただ、毎年続ける必要まではあるだろうか。予算も膨大になるし、自治体の教育委員会も、テストや分析作業を毎年やるのは事務的な負担が重いだろう。まして、教育は対策に対する結果がすぐ出るわけではないから、毎年、結果に一喜一憂してはかえってマイナスだ。一斉学力テストは、3年に一度くらいの頻度で行うのが丁度よいかもしれない。

事業仕分けの功罪ーpartⅢ

2009-12-28 09:09:57 | Weblog
鳴り物入りで行われた事業仕分けの行方は、とどのつまりは常識的な処に落ち着きつつあるようだ。つまり、かなり大幅な見直しを含んで、民主党らしい施策もやれる限りで盛り込んで来年度予算が編成されたわけで、及第点かどうかは別にして、私自身はそれなりに評価している。

読売(09.912.27)によると、政府の成長戦略会議(議長・鳩山首相)は、科学技術投資を官民合わせてGDP比4%以上とするなど、環境・医療・介護・雇用・人材戦略・科学技術などを重点分野と位置づけたそうだ。これは、まず削減ありきの事業仕分けの考え方とは異質で正反対の作業だ。

民主党政権にも、やっとまともな政策が出てきたのは良いことだが、改めて、あの事業仕分け狂奏曲?は何だったのかと考えてしまう。「なぜ一番でなければならないの?」にはびっくりしたが、ものすごく勉強して臨んだ(蓮ほう議員談)というわりには、余りにも短絡的な部分が気になった仕分けだった。

これまで官僚が取り仕切っていた予算編成の仕組みが、政治家や国民の目に見えるようになったという意味では評価が高いが、じっさいには、限られた時間の中で来年度予算の財源をひねり出すための非常手段でもあっただろう。

政治主導と言いながら、じっさいには財務省の筋書き通りに仕分けが進められたことは天下に知れ渡っている。見直されたスーパーコンピューター開発費のように、まず削減ありきで進められたのではないか。それには、政権発足後間もない時点で、極めて限られた時間の中で来年度予算の財源を見つけなければならないという、差し迫った事情も絡んでいたのだろう。

それにしても政権政党は、未来を見据えて長期的な視野で政策を立案して行かねばならない。財務官僚の筋書き通りに将来への投資を押さえ込んでしまうようでは、日本丸が沈没してしまう。その後の見直しで、事業仕分けの予算削減効果は小幅にとどまってしまったが、それは裏を返せば、民主党政権がまともな見識を備えていることの証でもあったわけで、一地方議員としてほっとしている。

多くの不安要因を抱えながらも来年度予算は策定され、今後は、小沢幹事長も言うように特殊法人や天下り問題を解明して無駄の本丸に切り込まねば、民主党が政権を取った意味がない。その上で、増税が必要と判断したら、国民的議論を起こして理解を求めるべきだろう。私自身は、北欧先進国の高福祉・高教育と、そのための税の高負担を参考にすべきだと思っている。


政策判断は、碁や将棋に似ている?

2009-12-19 16:09:29 | Weblog
12月議会の初日の本会議で、「市立つみき保育園」の管理を23年度から民間に委ねるための指定管理者制度を導入するための条例が審議された。多くの質問が出たため、採決になったのは翌日の昼近くなってからだった。

市長は、ここ数年で「のぞみ福祉園」や市民会館・体育館などの市の施設を着々と指定管理者に変更してきた。その成果として、年間で億に迫る経費削減ができていると思うが、23年度から市立保育園を指定管理にすると、年間で約5000万円の人件費が削減されるとの説明だ。

各会派から多くの質問が相次いだが、共産党の某市議は、強く反対する立場から保護者への説明が足りないではないかという点を中心に、長時間にわたって市を質問攻めにした。政和会のF市議は、手狭な建物を耐震補強と改修して使うよりも、建て替えてもっと多くの幼児を受け入れるられるよう、実施を先延ばしすべきだという趣旨で反対した。

私は、運営の民営化は喜ぶべきことではないとは思いつつも、議場での質問と担当者からの詳細な聞き取りと資料の精査で、やむを得ない選択として許容することに決めた。市が直接運営する方が原則として良いのは当然だが、冷静に考えるならば、指定管理者にするメリットがデメリットを上回り、市の職員の雇用の面からは先延ばしも非現実的でやむを得ないと判断した。保護者にも一応何度か説明しているし、何より保育園の職員も冷静に受け入れている。

私たち議員は、市長が出してきた議案に賛成するか反対するかで、ぎりぎりの判断を迫られることが少なくない。事前に必要な資料は読み込んで臨んでいても、他の議員の質問で新たな疑問が湧いて来たりして、今回は、休憩の度に調査のために大急ぎで市役所内を飛び回る羽目になった。

私は、いろんな手法で担当の役人の説明が正確かどうかを確かめつつ、一方からでなく多角的に、しかも現実に立脚して結論を導くように心がけている。結論に至る詰め方は、あるいは将棋や碁のやり方と似ているかもしれない。考えるファクターは多いので、どうしても調査には時間がかかってしまう。それに、現実に立脚した理性的な判断をと心がけていると、結果的に役人の考え方と同じ処に落ち着くこともままある。議員の思考回路は単眼よりも複眼であるべきだと思っている。

反体制を旨とする市民の皆様からすると、私のような慎重なやり方はもどかしい部分があるだろうが、日々生活している市民の暮らしは、何よりも現実的な政策判断に基づいて、多面的な視点から決定されるべきだと信じている。我が市議会には、驚くほど単純な思考回路の持ち主も少なくないが、もっと現実に即して多面的に判断しなければ、議会は市民の幸福からは遠ざかってしまうのではないだろうか。



「病院倒産」の増加

2009-12-19 00:19:18 | Weblog
民主党は、病院(大型の医療機関)の方が診療所(主に個人医院)より診療報酬が低いのを改めるため、診療報酬を審議する協議会から日本医師会の委員を排除するという荒治療を行った。このことは、個人医院中心の圧力団体として長年にわたり君臨してきた日本医師会の発言力を低下させて、大型の医療機関の診療報酬を引き上げることを目的とした改革であると言われている。

これは、厚労省がやろうとしても自民党政権では実現できなかった大改革で、「長妻大臣よくぞやった」と心の中で拍手喝采している。しかし、気がかりなことがある。

帝国データバンクの11月報によると、今年は医療機関の倒産が過去最悪のペースで推移しているとのことだ(医療機関=病院・診療所・歯科医院)。

2006年度に3.16%診療報酬が引き下げられ、医療機関のうちでも特に病院は厳しい経営が強いられていて倒産が続出してもおかしくない状態だ。しかし、診療報酬がやや高いはずの診療所の倒産もけっこう出ているのは気がかりな部分だ。

小泉改革以来、診療報酬が引き下げられて打撃を受けたのは、大型の医療機関ばかりでなく、診療所も同様だったということになる。家族経営なら影響は最小限で済むだろうが、スタッフをそれなりに抱えている19床以下の診療所は、現在の診療点数では赤字になりかねないということだ。

民主党は、来年度の予算編成で政府に診療報酬の引き上げを求めている。病院と診療所の報酬格差の解消とともに、全体の診療報酬も引き上げなければ、日本の医療制度は崩壊するだろう。財政状況は最悪だが、どうしても診療報酬を全体的に引き上げる必要がある。

嗚呼!事業仕分けの前途は多難。

2009-12-14 10:42:46 | Weblog
前にも書いたように、事業仕分けは高級官僚の天下りにこそメスを入れなければ意味がない。科学技術の基礎研究や、国民の生活や雇用に密接に関係している分野を削るよりも、仕分けの「本丸」は天下りのはずなのに、まだそちらにほとんど切り込めていない。

政権交代の選挙前、民主党は無駄な官僚の天下りと公益・特殊法人の廃止で22兆円が浮くと言っていた。私もそれを信じて選挙を戦ったつもりだ。もちろん、必要な天下りもあろうし、公益・特殊法人が全部無駄だというわけではない。22兆円というのは、わかりやすくするためのレトリックで、あくまでも象徴的な数字に過ぎないかもしれない。

しかし、民主党は今後の事業仕分けではこの問題に主眼を置くべきだし、そうでなければ政権を取った意味がない。もっとも、現実には廃止や縮小できる公益法人のたぐいは、そんなに多くないだろうから22兆円には遠く及ばないだろう。

特に、官僚がせっせと天下り先を造ってきたのは、同期の出世とともに他の同期は退職勧告になる慣行のせいだし、年金も65歳にならないと貰えない。まず、国家公務員制度の抜本的な見直しが避けて通れない。

その上で、高級官僚の破格の待遇を伴う天下りや渡りを見直して、必要のない公益・特殊法人を廃止・縮小させる作業を行うべきで、筆舌を尽くす困難な仕事になるだろう。なぜなら、天下りは高級官僚だけでなくノンキャリアの公務員にも、警察官僚にも幅広く行われているからだ。

このへんの事情は、マイニュースジャパン社の記事に詳しい。

(ノンキャリアの天下り)http://www.mynewsjapan.com/reports/1167

(警察官僚の天下り)http://www.mynewsjapan.com/reports/883

それでも、その困難な作業をやり通せない限り、民主党政権が国民からほんとうに新任されることはないだろう。民主党政権の前途は、余りにも多難だ。




事業仕分けの功罪ーpartⅡ

2009-12-13 11:58:02 | Weblog
この前の書き込みで「事業仕分け」のいささか乱暴な手法に苦言を呈したが、文科省は、やり玉に上げられたスパコンの開発方法を見直すということになったという(12/12読売)。
従来の「性能一本やり」だけでなく、使い勝手の良さにも気を配って開発していくとのこと。たしかに、世界一の演算速度を誇ってもそれを十分に使いこなせるのは、1~2社しかないとのことだ。世界一を目指してスパコンを開発することで、半導体の先端的な技術が国内に蓄積される効果が一番大きいのだが、ハードとともに大切なのはソフト開発と使いこなす技術だ。

我が国のコンピューター開発は、ハード中心でソフトで遅れをとってしまったが、事業仕分けをきっかけとして、スーパーコンピューターのソフト面や使い勝手に目が行くことになったとすれば、事業仕分けの効果があったということになろう。

それにしても気がかりなのは、このような大型プロジェクトや高名な学者が絡んでいる研究分野なら、まだ削減に反論する力もあろうが、国内には地味な基礎研究を黙々と続けている大学や研究機関がたくさんある。それらに従事している無名の研究者たちには発言の場がない。基礎研究に投じられている(元々足りない)国家予算が、軒並み「成果が見えない」という理由で削られかけているのは、どうにも心配でならない。

国家運営には、短期的な成果主義よりも中長期的な視点こそが大事であり、科学の基礎研究という成果が見えにくい分野の育成は、決して手を抜いてはならない。これを怠ると、数十年先の日本は科学立国の地位を失うことは明らかである。