東京都武蔵村山市議 すどう ひろし(須藤博)のページ

真実の政治・住民本位の政治が私の信条です。

失敗だった!? 「政権交代」

2010-12-28 04:50:26 | 地方議会
 昨日、西東京市での市議選の結果が出たが、民主党候補の大惨敗が明らかになった。7名の立候補者の中で当選は3名で、5名いた現職は1名しか当選できなかった。3名の当選者も下位という結果である。地方議会の仕事は、身近な暮らしがテーマのため政党とはあまり関係ないのだが、それでも民主党政権への失望感があれば、選挙民は民主党候補に投票する気にはならないだろう。

 昨年9月の政権交代選挙では自民党への失望感が強くて、大物候補者がバタバタと落選した。今度は、風が逆に吹いて地方選挙で民主党に対して同じことが起きている。逆風の原因は、民主党のひどいオウンゴールの数々である。小沢・鳩山両氏の「政治とカネ」に始まって、普天間問題、中国漁船問題、閣僚の馬鹿げた失言、小沢招致問題による党内のゴタゴタと、政権党にあるまじき迷走を見せ付けられては、国民は嫌気がさして当然だ。

 私も、当初は菅首相の誕生を歓迎したのだが、まさに「仮免許」状態を見るにつけ疑問が深くなってきた。鳩山氏も菅氏も、民主党創立の立役者であるが、その2人がそろって迷走ではどうにもならない。たしかに、万年野党が政権に慣れるには一定の時間がかかるのは事実だが、そうは言っても、仮免許政権では日本丸は沈没してしまう。

 国民は、すでに「政権交代」が失敗だったと思い始めているのではないだろうか。民主党は、無駄を省けば16兆円の予算が浮くので、それで子ども手当てや農家の所得保障などの大胆な施策を行うと約束していた。しかし、すでにその公約は破綻して、このままでは借金が増えるばかりである。期待が大きすぎた分、反動も大きいというわけだが、地方議会選挙でこれほど民意がはっきり出るという現象は、史上稀なことではないだろうか。

 私は徹底的な「是々非々」路線だから、市議会での議案の採択にあたっては、必ずしも党の動きとは関係なく独自の判断を貫いている。国政での民主党の動きとは時々ずれるので、共産党から「上に従わないのはおかしい」と公式の議場で質問されてしまうほどだ。12月議会では、自民党系会派と公明党から出された、「仙石官房長官は辞めるべし」との意見書には賛成してしまった。仙石氏は政策通としては尊敬しているが、政府の要である官房長官としては資質に疑問がある。個人的には、問責決議を受けるまでもなく交代した方がよいと思っている。

 議案を提出した会派の議員から「除名されるぞ」と心配されてしまった程だが、たとえ除名されても信念は曲げない。私自身は、元々が市民派感覚が強いから民主党を選んだわけで、信念まで縛られるのなら意味がない。もっとも、私にとっては民主党のリベラルな寛容さが魅力なのだし、政党に所属していると政府機関へのアクセス(情報がほしい時など)が容易だというメリットがある。議員どうしの地方自治体を横断する交流も大事な情報源だ。

 それにしても、「一度は民主党にやらせてみよう」という国民の選択は、このままでは間違いだったという事になってしまう。いや、もうなっているかもしれない。民主党は、派閥に囚われずに実力と安定感のある政治家を起用して、菅総理も含めて人心一新を図るべきだ。実力のある人材は中堅・若手を中心にいるはずだ。

 とはいえ、私たち民主党に籍を置く地方議員は、総選挙の時には「政権交代」を口々に叫んだわけだから、やはり連帯責任はある。日々の仕事が、どう評価されるかされないか、私にとっても4月の統一地方選挙は正念場である。/strong>

実は 「進んでいる!」 武蔵村山市議会

2010-12-26 05:23:44 | 地方議会

直前の書き込みで、武蔵村山市議会が議会改革にあまり積極的でないという意味の書き込みをしたが、これだけでは舌足らずで、全国の皆さんに誤解を与える恐れがある。実は、武蔵村山市議会は、全国の地方議会から視察に来るほど、そうとうに進んだ「開かれた」 議会なのである。進んでいるからこそ、それほど「改革」 の必要性を感じないという部分もあるかもしれないのだ。

 武蔵村山市議会で、他市の地方議員からうらやましがられるのは、一問一答方式である。一般質問でも本会議でも、原則として質問に回数制限はない。トコトンやれるから、市長側は不誠実な答弁で逃げることができない。また、議会運営委員会も含めてすべての会議は原則的に公開されており、だれでも傍聴ができる。一人でも会派を作ることができ、議会運営委員会のメンバーになれるなど、民主的で開かれた運営がなされている。他市では、常識に欠ける無所属議員がワケのわからない議論を繰り返して、たびたび夜遅くまで議会が延びることがあると聞くが、本市では、一人会派でも議会運営委員会のメンバーとして勉強の場が与えられるため、無所属議員でも議会運営の常識を身につけることができる。

 デスマッチ議員として地方議会では有名な、ふくおひろし先輩に聞くところによると、これらの運営方法は、本市の元議員のふくおさんや、公明党の羽尾さん、共産党の伊沢さんたちが協力して築き上げた、全国に誇るべき武蔵村山市議会の伝統なのだとか。後に続く私たちも、先輩たちが築いた良き伝統は守っていかなければならないが、じっさい、議会の役職者にある先輩議員諸氏は、良き伝統を引き継いで運営していると思う。

 ベテランの比留間議長は、「議論が終われば、どの会派もみんな仲良く」 と口癖のように言うが、これも民主的で開かれた議会を運営する秘訣のひとつだと思う。じっさい、議会運営委員長や会派の代表から、議会として全員で意思表示の議決をしようという提案がたまに出ることがあるが、そういう時には、立場の違いを乗り越えて全会派で足並みをそろえようという見事な求心力が働く。市議会では、各派がいがみ合っているかのイメージを持っている市民の方もおられるようだが、主張の違いはあっても、議員どうしは紳士的にコミュニケーションを取っている。

 一問一答方式を取る地方議会が徐々に増えてくるなど、うかうかしていると、全国に誇るべき我が武蔵村山市議会の先進性が薄れてくる。時代はどんどん変わってくるから、これからも武蔵村山市議会は、足らざるは変えつつ、これからも先進的で開かれた議会であり続けたいものである。

地方議会改革と、議員定数を考える

2010-12-24 00:47:21 | 地方議会
 12月議会で議員定数削減の陳情があり、それに対する市議会の賛否が割れたため、採決前にいくつかの会派から討論があった。私も単純な削減論には賛同できないとして討論を行ったが、その数日後、議会報に掲載するために討論原稿を整理してみて、その内容が充分でないことに気づいた。

 つまり、時間がないままに行った討論では、陳情書の内容に疑問を呈するのに精一杯で、議員定数の問題を根本的に論じるゆとりがなかったように思う。私は、4年前の定数削減のときは賛成したが、7万人の人口に対して20人は最低ラインではないかと思っている。しかし、全国の同規模の自治体の中で下から4番目に少ないという以外に、科学的根拠を提示することはできていない。何となく、もやもやした気持ちが残っていた。

 12月21日の毎日新聞に、三重県議会の三谷哲央議長からの寄稿があり、それを読んでやっと、自分のもやもやの原因がわかった。陳情書では、経費削減のために定数を減らせと言っているのだが、議員を減らすことが住民の利益を損なう可能性については少しも考慮しないという発想の単純さが、私にとっては違和感があったのだ。それは、本市の教育委員会が周到な準備を重ねて進めた小中一貫校を、予算面しか見ずに無駄だと叫ぶとか、宇宙開発は生活の役にたたぬと切り捨てるのと同じ、荒削りの発想である。

 日本人のモノの見方は、驚くほど単純だ。すぐに白か黒かの色分けをしないと気が済まないし、単純に結論を出したがり、物事を一面からしか見ずに都合の悪い情報は避けて通る。政治家なら、民主主義のはき違えで、数こそ全てで押し進む傾向が強い。だから国会では、多数を取っている方がすぐに強行採決をしてしまう(我が民主党政権も同じことをやったのが悲しい)。しかし、世の中の物事はすぐに白黒を付けられるほどに単純ではないのだ。

 自分の出身大学は、ジャーナリストや文芸批評家を育成する講座が多かったため、単純に決めつけずに、いろんな角度から多様な見方をして公平な結論を導くべしと繰り返し教えられた。いわゆる複眼の思考というやつだ。私はそれが身についてしまったらしく、いろんな側面が見えてしまうから優柔不断と思われかねないのは損な部分ではある。

 ところで、三重県議会の三谷議長が新聞で言っていることこそ、私が討論で言うべき内容であった。つまり、地方議会の二元代表制を活かすには、まず議会改革を行うことこそが先決だというのである。三谷氏は、議員どうしの討論を行って、議会としての共通の意志決定をして首長に当たるべきだと提言しているが、まさに至言だと思う。現在は、各々の議員や会派が勝手に首長に質問したり意見を言うだけで、それで良しとしている。

 議会改革で議会活動がより活性化して内容が濃くなれば、もしかしたら20人でなくて、もっと少ない人数でより多くの仕事ができるかもしれない。大きな会派が、公平に聞く耳を持てば、必ずしも少数会派が埋没するというものでもない(武蔵村山市議会では、一人会派も議運のメンバーになれるなど、公平な運営がされている)。単純な定数削減では、働き手が少なくなって議会の機能を弱めてしまう恐れがあるが、まず定数削減の前に議会改革をしっかり行うことが先決なのではないだろうか。その上で、より少ない人数でも議会の機能が充分に発揮できることがわかれば、その時点で改めて定数を議論すれば良いことだ。

 三谷議長は、議会基本条例を作ることが大事だとも言っているが、現在の武蔵村山市議会では、議会改革について関心を示す会派(議員)が少なく、議会基本条例等を議運の場で言っても反応が鈍い。それは、地方議会というものが、本来的に会派でなく個々の議員の発言の場であることと、大きな会派は、自分たちの主張さえ通ればそれで良しとする部分があるためだろう。

 私自身は、大きな会派に所属する必要性をそれほど感じていないし、むしろ大会派の横暴の怖さも知っている。それは、新人議員だった頃に、3つの大会派が寄ってたかって一人会派の女性議員いじめをやったのをつぶさに見たからだ。余りにも異様なやり方にびっくりしたものだ。当の議員にも非難される原因はあったにせよ、私にとっては消しがたいトラウマである。

また、大会派は小会派の議員の、議場での言葉じりをあげつらって問題にするのに、自分の会派の議員がいくら問題発言をしても知らんぷりだったりする。小会派(無所属議員)の方も、他の会派を出し抜いてマスコミを利用して注目を集めたりする。これでは、なかなか議会内での対話や信頼関係の構築は進まないし、市民も議会を信用しない。

 市民の目が厳しくなっている状況にあって、地方議会は個人技と会派(政党)の存在感だけを、いつまでも競っている場合ではないだろう。会派や政党の殻に閉じこもることなく、もっと議会は一致結束して市民の利益を追求しなければならない。来年の4月に改選される議員は、真の意味で議会をより活性化する方策を超党派で勉強するべきだろう。それにより、自然に議員定数や報酬のあり方も見えてくるに違いない。私は、全体の調和を重んじる性格だから会派間の接着剤になれればと思っている。もっとも、選挙は厳しいから私がそれに参加できる保障はないが(^_^;)
 

コミュニティー・スクールがやって来る!

2010-12-23 08:48:22 | 地方議会
 12月20日、教育委員会の主催でコミュニティースクール講演会が行われた。講師は、京都市教育委員会主席指導主事の西 孝一郎さん。補佐役は、文科省のコミュニティースクール担当者の方だった。

 コミュニティースクール(学校運営協議会)とは、公立学校の運営に保護者や地域の声を生かす新しい仕組みで、全国で年々増えている。従来、公立学校の運営は国や自治体が責任を持って行い、地域や保護者は脇役でしかなかった。地域の教育力が低下して学校運営にも支障が出るに至り、保護者や地域との連携で学校を運営しようという機運が盛り上がってきた。

 この制度は、平成16年にできたものだが、モデルはイギリスの学校運営理事会制度である。地域が主体の学校理事会が大きな権限を持っていて、公立学校の予算から人事権までを握っているという。

 それをモデルにしてこの制度が法制化されたのだが、推進役の主要メンバーは、現在の文科副大臣である鈴木寛氏である。当時、彼は野党の参議院議員だったが、役人時代の人脈を使い、超党派でこの法案をまとめたとのことだ。

 私も、教育をめぐる議会質問で地域連携をたびたび取り上げていたが、市民の審議会委員の方からの指摘でこれを知り、後援会の勉強会に鈴木寛氏を呼んで講演してもらった。その後、何度か議会で質問を入れたが、地域がこの制度を取り入れられる態勢かどうかについては、やや自信がなかった。

 しかし、教育委員会は着実果敢に教育改革を進め、小中一貫校をスタートさせて、その中でコミュニティースクールも始めることになった。市議会で、正面からたびたび教育改革を取り上げていたのは、引退された長井議員と私だったと自負しているが、市教委は、その私ですら驚くほどの思い切った改革を進めている。小中一貫校は、その戦略的な趣旨が理解できない人たちから予算の無駄と批判されたが、着々と全校に向けての教育改革は進んでいる。

 小中一貫校には、コミュニティースクールが良く似合う。もちろん、小中一貫校がその成果を全校に行き渡らせるのが目的であるように、コミュニティースクールも3~4年かけて全校で実施される。

 講師の方は、文科省や教育行政の内実に精通しておられるが、文科省は教育を良くするために果敢に新しいことに取り組む、柔軟な発想の組織だと力説されていた。新しい取り組みを、すぐに予算の無駄と反対するアタマの硬い人たちに聞かせたかった。

 この講演会には、市役所の401会議室がいっぱいになるほどの教育関係者や地域の方が聞きに来ていた。市内のすべての学校にコミュニティースクール(学校運営協議会)ができて、学校を活性化する仕組みとして機能する日が、一日も早く来ることを願っている。

地方議員の働き方

2010-12-16 05:17:36 | 地方議会
先日、私をよく知っている人から、「いろんなイベントで働いているのを見かけるけど、よく身体が持ちますね」と声をかけられた。まあ、軽い挨拶の一種ではあるが、確かにいくつもの市民活動の役員をやっているため、夜の会議は多いし行事にもよく駆り出される。「身体を壊す」というのは大げさだが、たしかに忙しいのは事実だ。

市議会議員は、議場での質問こそが全てだという考え方からすると、市民活動で忙しいというのは邪道だろう。しかし、市民活動が活発でなければ、市の行政もバックボーンを失うのだ。ところが、肝心の市民は仕事で忙しくて無報酬のボランティア活動の担い手は少ない。年金の支給年齢が延びているためもあって、高齢者ですら仕事を持っている人が多い。特に、長がつく役員や事務局的な役職はやり手が現れない。

ついつい、見ていられなくて自分が引き受けてしまうハメになるのだが、そうすると事務的な仕事が増えて苦しむ結果になる。しかし、議員は報酬をもらって生活している自由業だから、一市民として、市民活動を担う義務と責任があると考えている。その活動の中から、議員として改善すべき課題も得られる。

地方議員の仕事は、そんなわけで市民に分け入ったり、市役所絡みの問題点を細々と指摘したりという地味な仕事をしている。新聞に書かれるほどの事は滅多にできるものではないし、天下国家には届かない仕事だから、いきおい活動報告も地味なものになる。そんなわけで、なかなか地方議員の仕事は市民の目には見えず、いきおい市民からは人数や報酬を減らせという議論が先行する。これが地方議員の宿命なのだろう。
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もう、政界「大連立」しかない!?

2010-12-12 08:51:35 | 地方議会
国政は、相変わらず混迷の度合いを深めている。補正予算はなんとか通ったが、来年度予算に向けては、菅内閣には、小沢氏の国会招致と仙石官房長官らに対する問責決議の問題が待ちかまえている。

菅総理は、選挙前の消費税発言が原因で追い込まれ、ついには社民党と再接近を図っているが、さっそく武器輸出3原則で手足を縛られてしまった。もう、日本は侵略戦争なんてできないのに、社民党は、まだ侵略戦争の亡霊に取り憑かれているようだ。普通の先進国程度には防衛産業の力も維持しておかねば、日本の国力が衰退してしまうだろうに。

小沢さんが民主党の代表だった頃、福田総理と組んで大連立をしようとしたが、その理由は、民主党議員の力量を危ぶんでのことだとも言われている。あの時は、私も小沢さんの独断をいぶかったが、鳩山、菅政権の危うさを見るにつけ、小沢さんの判断は当たっていたのかな、とも思うようになった。

今朝のヤフーニュースによると、森元総理が、小沢さん抜きなら大連立を仲介してもよい、という趣旨の発言をしているそうだ。民主党はマニュフェストの雲行きが怪しく、主要閣僚の政権担当能力すら疑われている。攻める自民党も、かつてのようには人材が豊富ではない。このまま2大政党が勢力争いを続けていても、国民は不幸になるだけだ。外交・防衛問題にせよ、消費税問題にせよ、政権を狙う政党が党利党略で大事な問題で足をすくい合っていては、大きな政治課題はいつまで経っても解決しない。

いっそのこと、もう一度総選挙をやって決着をつけるか、決着がつかなければ、「ガラガラポン」の政界再編に進むか、それとも大人の判断で大連立をやるというのも一つの考え方だ。福祉にしても医療にしても、教育や産業育成にしても、税収の貧しさが諸悪の根源だ。私は、一時の痛みはあっても、主要先進国のように消費税を引き上げねば、もうどうにもならないと考えている(金持ちの増税とセットが条件だが)。大連立というのは、「民主政治」という観点からは許せない方法だが、それすら視野に入れなければならないほど、日本の政治も社会も病んでいる。


(ヤフーニュースより転載)
 <自民党>森元首相 大連立「小沢氏抜き」が条件と認識示す
毎日新聞 12月11日(土)18時38分配信
 自民党の森喜朗元首相は11日、テレビ東京の番組で、民主、自民両党の大連立について「小沢(一郎民主党元代表)さんが策動している限りは(仲介)しない」と述べ、「小沢氏抜き」が条件になるとの認識を示した。森氏は8日に菅直人首相と首相官邸で会談しているが、大連立とは「まったく関係ない」と述べた。【中山裕司】

市議会の定数、「削減ありき」に疑問!

2010-12-11 04:05:10 | 地方議会
東村山で9月に議員定数が削減されたが、つい先日、青梅市議会が28から24議席に減らすことを決めた。14万人の市議会で24人とは、ずいぶん思い切った削減だ。武蔵村山市議会にも定数削減を求める陳情が出されているため、12月10日の議会運営委員会で、この陳情が審議された。

民主党は共産党とともに、4年前に1議席削減した結果の検証ができていないため、陳情を保留とするべきだと主張した。しかし、公明党が採決を強く主張し、他にも同調者がいたため、座長(公明党)の主導で採決が行われた。賛成したのは公明党だけで、他の会派はすべて反対したため陳情は委員会で不採択となり、17日の本会議では否決される見通しである。

自治体の議員定数削減は一種のブームのようになっていて、減らすべきだと考えている市民は多いだろう。議員は市民の圧力には弱いから、削減要求には反対しにくい。市民受けを狙ってか、積極的に削減を言う議員も少なくない。だが、本市のように7万人を越える規模の自治体で、市民の暮らしに直結する議案を審議し、市政の監視を行い、様々な市民要望を吸い上げる市議の数が、20人で多すぎると誰が証明できるだろうか。既に、本市では何回も削減が行われて、同規模の自治体の中で下から4番目の少なさであり、削減を正当化する科学的な根拠は見あたらない。

4年前、私は21から20に議席を減らすことに賛成したが、これ以上の削減には懐疑的である。なぜなら、議会の機能というものは、市政を監視して意見を言う一種のシンクタンクなのであり、議員を減らすことは議会の力を確実に削ぐことになるからだ。陳情者は、現状は20人の定数に対して18人しか在籍していないのに、議会運営に支障は出ていないと言っているが、どこまで議会の内情を知っているのだろうか。

市長になった藤野氏と死亡した今野氏の発言は、それぞれに個性と重みのあるものだったから、議会の問題提起力や発言力は、「2人分」確実に低下していると私は実感している。議会が、ただ議案を通すだけのセレモニーなら、いくら少なくても良い。しかし、議会の機能は市民の多様な要望を吸い上げ、役所とは違う角度で意見を言うところに意味がある。市議会は、市政のチェック機関であり、市内で最大のシンクタンクでもあるわけだから、単純に減らせば良いという発想は乱暴すぎる。

陳情書の「理由」説明の部分に容認できない部分があったため、議場で指摘しておいた。その中に、4年前の市議選が無投票だった点があるが、あの時は世代交代が一気に起きて6人もいっぺんに辞めたため、欠員補充で精一杯という、きわめて希な特殊事情があった。また、役所は職員の削減が進んでいるとも述べられているが、これにはカラクリがある。正規職員は減っているが、それ以上に嘱託や臨時職員が増えていえるのだ。何のことはない、安い労働力に置き換えられただけだ。議会でも日当制でそれをやることはできようが、職を持っている人が片手間でやる程度では、議員の「仕事の質」は限りなく低下する。

更に言えば、定数削減は個性豊かな議員の登場を妨げる傾向がある。独自の視点や個性を持った独立系の議員(実は、私もそういう傾向がある)は、概して組織力がなくて選挙基盤は弱い。定数を絞ることは、公明党や共産党のような固い組織政党には有利でも、組織を持たない市民候補には不利になる。議員定数を減らせば、市議会は組織政党の比重が高くなって、普通の市民や組織の弱い政党・会派は締め出される結果となりやすい。

定数削減をやり過ぎると、市議会は開かれたものとは逆に、大きな政党・会派の比重が高くなり(今も議会運営は大会派中心)、大きな政党の意見ばかりになって多様な市民の意見は上がりにくくなる。それが健全な民主主義といえるのだろうか。民主主義政治には、それを守るための最低限のコストは必要だ。議員を一人削減すれば、年間1000万弱のコスト削減にはなるだろうが、それに比例して市政を監視・補完する機能も低下する。コスト削減のツケは、やがて市民が払う結果を招くのではなかろうか。

市民の議員削減要求の陰には、「地方議員なんか要らない」という声が隠れているような気がする。しかし、議会の仕事ほどわかりにくいものない。わからないから不要だと言われる部分があれば、議会関係者としては悲しい。個人的には、7万人規模の自治体に、20人の議員は最低限必要な人数かもしれないと思っているが、本当に何人が適性なのかはわからない。議会内には、もっと多くても良いという意見もあるし少なくて良いという意見もある。

市議の改選が迫っている中でバタバタと結論を出すのはふさわしくないだろう。陳情案は不採択になったが、それは議会としての一定の節度を示したものだと思っている。

(自民党の河野洋平議員が、議員削減についての見解を吐露している)

http://www.taro.org/2010/08/post-799.php
  

12月議会、一般質問終わる

2010-12-08 05:43:16 | 地方議会
12月議会の一般質問が終わった。今回は、今後の市政にとって大事な質問をしたつもりだが、市長の反応がさっぱりだった点もあり、成果に点数を付けるとせいぜい68点程度か?

(質問と答え)
(1)企業誘致と人口増加策について
これは、モノレール延伸のための提案。乗降客が増える見通しがなければ、東京都はモノレールの延伸を決断できないわけだから、乗降客が増えるように本市の側の自助努力も必要だ。つまり、企業を誘致したり沿線の住宅を増や戦略が大事だ。そのために新規の進出企業や沿線の住宅建設に固定資産税に相当する分を、多少でも優遇しようという提案をした。しかし市長は、この考え方に全く反応せず、武蔵村山市の特徴はのどかで住みやすい処だから、それをウリにしていくということだった。まあ、それもイイでしょうけど、相当の戦略性がないと、大赤字必至の路線にモノレールなんて来ませんヨ!

(2)入札の抜本改革について
最近の入札でも相変わらず不透明な入札が見受けられるため、抜本的な入札改革の必要性と具体的な改革案を提示した。それに対し、市役所内の検討組織で入札改革の研究をやっていくとの返答だったが、市民や有識者を入れるつもりは無いとのこと。最低落札価格の事後変動制など、いくつかの改革を強く求めたが、指摘した点については庁内の組織で研究していくとのこと。期待して良いものかどうか。

ついでに、市内の零細業者でも参入できる50万円以下の工事等について、(それ以上は入札が義務付けられている)130万円までできるよう提案した。これについても検討するとのことだが、やや前向きの姿勢を感じた。もし実現すれば、市内の大工さん等の零細事業主にとっては朗報となろう。

(3)住宅改修の補助金制度について
以前、本市では市内業者を応援する意味もあって、住宅改修補助金制度があった。これが廃止になったため、今日的な意味のある補助金制度の必要性について議論した。二世代住宅や耐震補強工事への助成制度を提示したが、市の反応は鈍かった。カネがかかる制度の創設が難しいのは良くわかるが、多少の助成金で市内の仕事を増やせば、税金になって帰ってくる。二世代住宅は、教育にも良いし子供世代の定住促進策にもなるわけだが、反応がさっぱりだったのは残念。

(4)見やすい選挙公報について
本市の選挙公報は、他市のものより枠が小さくて見にくいため、見やすく改良することを求めたもの。それに対して、A3版から新聞大に変えたいとのこと。これは一歩前進。

(5)業務別に分かれている、市の事務所の分かりにくさについて
市民総合センターに高齢福祉課があるなど、市の事務所は分散しており、本庁舎に来ては途方に暮れることがないよう、対策を求めたもの。電話交換台で場所が本庁舎でないと告げるように変えたなど、多少の前進は見られた。

※議員が質問したからといって、一発で解決することはむしろ少ない。大事なことは、何年もかけて根気よく質問を続けたり担当者と協議していかないと、市の仕組みを変えることはできない。いつもながら議員の仕事は、知恵と根気が必要である。

質問を実現させるには

2010-12-02 03:57:44 | 地方議会
11月29日から、市議会が開催されている。29日の本会議では、給与・賞与を減らす条例や補正予算の審議が行われて、夕方まで時間がかかった。補正予算の審議があったが、その中で市役所周りの駐輪場の問題を指摘した。

市役所南側の駐輪場は、よく自転車が満杯になっていて止め場所がない状態で、市民会館東側の駐輪場も嘱託職員等の自転車で溢れ返っている。何とかするべきだと指摘したが、駐輪場の増設も含めて検討するとの答弁があった。その後、担当部長に会った時、すぐにできる部分は手を打ったとのお話があった。自動車の駐車場も溢れることが多いし、市民総合センターの駐輪場も満杯状態だから、何とかしなければならない。

12月2日からは一般質問が始まる。私は4番目だから、初日に質問の順番が回ってくる。5項目について質問するが、今回の主なものは、モノレールに延伸につながる企業誘致と人口増加策についてと、入札の抜本改革を求めるものだが、本市の今後のために必要な問題提起だと思っている。人口増加策は予算が必要なので、すぐにやるという答弁が返ってくるとは思えないが、入札改革ならカネがかからずに出来て、しかも実現すれば落札価格が下がって予算が浮くのだから、ぜひ前進させたいと思っている。

毎議会ごとに、市議会議員はたくさんの質問を繰り出すが、質問をして終わりでは意味がない。質問が実現するように事後のケアをしっかりやらねば実現はおぼつかないのだ。役人は、よく「検討します」という答弁をするが、それで安心などできない。どう検討しているのか、その後どのように調査し努力しているかをウオッチしていないと、ウヤムヤにされてしまうことが良くある。それではいけないから、大事なことは担当者に進み具合を尋ねたり、場合によっては解決法をアドバイスすることもある。そこまで見届けて初めて質問が生きてくるわけで、質問項目をたくさん繰り出すだけでは意味がないのだ。