東京都武蔵村山市議 すどう ひろし(須藤博)のページ

真実の政治・住民本位の政治が私の信条です。

自治会は必要か!

2010-03-22 08:51:10 | Weblog
先週の土曜日、今年度の自治会総会があった。あったというより、無事に終えてホッとしたというのが正直な感想だ。それというのも、自治会長は自分なのだから、他人事のように「あった」という表現はふさわしくなかろう。

政治の公職にあるものは、本来なら自治会長はやるべきではない。売名行為とも取られかねないし、政党に属している以上、自治会の中立性にも疑問符が付きかねない。自分としても多大な時間が取られるので本業にも影響が出かねず、会長は重荷である。しかし、それでも引き受けるハメになったのは、役員改選期に、どうにもやり手がなかったからだ。

本市では、自治会の組織率は30%半ばまで低下しており、多くの自治会で会員数の減少や役員のなり手不足に悩まされている。総会が終わってからの懇親会の席上、自治会の組織率低下について話題になったが、ある古参の会員の方から、「ホントのところ、自治会は必要なのかね?」という問いかけがあった。

理知的な方らしいホンネの問いかけだったが、じっさい、自治会が無くても困る人はまずいないだろう。自治体は、税金で住民サービスを充実させていて、市民は自治会を通さなくても自治体から個々にサービスを受けるのに不便はない。25年くらい前に、本市では市報の配布に自治会を使わなくなったことが、自治会を「失業」させてしまった最大の原因だと言われているが、今や、自治会の仕事は夏祭り等の年中行事や防災活動くらいしか無い。

無くても困らない組織だから、やめる会員が続出するし、引越してきた若い世帯も入会しないという道理だ。煩わしいだけでメリットがなくては、ドライな最近の若い人は自治会に興味も関心も示さないというわけだ。

もっとも、伝統のある古い地域には神社があるため、その伝統を守るという目的意識から人材の供給がうまくできている。神社を持たない新開地の自治会は深刻だ。会長に順繰りに昇格するのが副会長のはずだが、昨今は会長には絶対にならない副会長も少なくない。現状では、今後、会長のやり手がなくて解散する自治会も出てくるかもしれない。

私は、村山団地にいた頃から自治会の仕事はずっとやってきたが、勤め人の身で地域の用事をするには時間的な制約が多かった。そのため、議員になる動機のひとつとして、地域活動のための自由時間ができるだろうと考えた部分もあった。地方議員の仕事は、一種の自由業のようなものだから、商店主と同じように無償の役職に駆り出されやすいし、私の場合は望んでそうなっている部分もある。

議員は、特別公務員として生活を保証されている訳だから、無償の奉仕活動を喜んで引き受ける義務があるに違いない。ただ、立場上、本来は陰に回って支える程度の役割がふさわしい。それなのに、現在は自治会と文化団体を中核で切り盛りする役職に就いている。これは、いささか荷が重すぎるし、立場上も好ましくないと考えている。

現在かかわっている二つの団体は、これまで運営がマンネリで沈滞著しいものがあり、活性化して人材が育つところまで持って行かねばならない。そのための打つべき手は打ちつつあり、いまだ道半ばである。組織が活性化して新人の流入が増えれば、自然に役員のなり手も現れるに違いないと信じて、今日も組織の事務的な仕事を黙々とこなしている。