東京都武蔵村山市議 すどう ひろし(須藤博)のページ

真実の政治・住民本位の政治が私の信条です。

市議会議員選挙を終えて

2011-04-27 15:19:35 | 地方議会
4年に一度の市議選が終わった。私は、予期していた通りの苦しい闘いになったが、辛うじて最下位で滑り込んだ。選挙の準備をするべき時期にも、ライフワークである地域活動や市民活動は 「いささかも手を抜かない ! 」 と強気に宣言して臨んだ選挙戦だったが、やはり市民活動にこだわって選挙準備が遅れた分だけ票も伸び悩んでしまった。民主党への逆風や須藤個人への批判もあるだろうが、選挙準備への甘さこそが、票が伸びなかった最大の原因である。

本市において、民主党市議を1人から複数に増やすというのが、党や支援者にとっての長い間の懸案になっていたが、鈴木明氏という有望な若手を当選させることが出来た。民主党市議が2人へと倍増したのは、大いなる前進である。私自身は、一人でも不自由なく仕事ができてはいたが、市議会に議案を出すときには2人以上で提案する必要があり、他の会派にお願いして共同提案させて貰っていた。これからは、自前で提案できるのはうれしい。政策立案もチームとして取り組めるようになるから、一種の相乗効果を発揮できるだろう。

市議会の勢力地図は大きく変わった。今回の選挙では、地域や親戚を多く抱える「地元候補」が多く当選した反面、市民派として実績のある善家・天目石両氏は落選した。みんなの党の公認を得て戦った大原氏も残念な結果になった。武蔵村山市議会は、保守的な傾向を強めるかもしれない。

保守的なのが悪いとは言わない。家庭の日々の営みと同じく、基本的に政治の営みというものは保守的なものだ。私自身も、斬新な発想を心がけてはいるとはいえ、市長への対応は常識の範囲で現実的に行っており、政治行動は保守か革新かといえば、保守に属する行動を取ることがほとんどだ。

荒井市政に対しては野党だったとはいえ、中身が良ければ予算に賛成したし、民主党が政権を取ってからは、故・荒井市長の要請で政府に市の要望をつないだり、自治会長をしていた時には、警察や消防の要請には進んで応えてきた。硬直した革新思想を持っていれば、そうはいかないだろう。政治行動は現実に基づいて行うべきで、改革は無理のない範囲で徐々に進めるべきだ。行政に、無い袖を振らせてもいけない。

ただ、改革指向を持ちながら、結果として現実的な政治行動を取るのと、最初から保守的で良しとするのでは、一見同じように見えても中身がまるで違う。保守的な議員は、一般的に市政や議会の「改革」には無関心だし感度が鈍い。それが悪いとは言わないが、最初から保守的では、議会人は役人の補完的な存在に過ぎなくなる。市長や役人は、けっこう革新的に行政を進めているから、下手をすると議会はそれを追認するだけの存在になりかねない。それでは、議会不要論が起こってしまうのも当然だ。議会人は、役人と知恵を競って行政を前に進めて行くべきだ。

私は、市議会の改選でメンバーが若返ることで、議会改革の議論が活発になることを期待していたが、当選したメンバーの顔ぶれを見ると、そのテの議論に進んで乗って来そうな人は、何人も見あたらないのが残念だ。もっとも、武蔵村山市議会は、全国にも誇るべき民主的な運営のルールを、伝統として引き継いでいるから、新人の皆さんには、まずは良き議会運営の伝統とルールを身につけるところから始めてもらいたいと思っている。

当選順位はさて置き、私が戴いた768票の意味は重い。厳しい逆風の中で、私の普段の活動を評価して下さる方々の、いわば「真水」の票である。あちらで3票、こちらで5票と票集めに動いてくれた、多くの支援者の皆さんがいる。いつもながら、黙々とチラシを配ってくれるボランティアの皆さんにも頭が下がる。私の仕事を支持してくれた1票づつの積み重ねが、私を当選圏内に押し上げてくれたのだ。連合傘下の労働組合の皆さんからも、熱い支援を頂いている。それだけに、これからの4年間、しっかり期待に応えて働かねばならないと肝に銘じている。

子ども手当、「廃止」やむなし!

2011-04-15 12:52:51 | 地方議会
14日の読売新聞によると、現在の法律での支給期限が切れる「子ども手当」を、10月以降は廃止する方向で政府・民主党が調整に入ったとのことだ。私も、東京の地方議員団として意見を出す機会があったため、「子ども手当て、農業の所得保障、高速道路無料化等のマニュフェストを見直して、復興財源に充てるべきだ」との意見を3月末に提出した。私の意見を含んだ、地方議員団の意見は都連を通じて菅総理に届き、総理がしっかり目を通したとのメッセージが帰ってきた。

民主党のマニュフェストでは、無駄の削減によって浮いた財源を子ども手当て等に充てるはずだったが、思ったほどの財源は見つけられなかった。それなのに、約束だからといって、国民向けの甘いサービスを先行してバラマキを続けることは、将来のためにも許されない。

子ども手当て等の民主党の目玉政策を降ろすことは、通常では党内の反発もあってなかなかできないが、復興財源の手当ては最優先の課題だから反発は抑えられるのではないか。財源がない以上、子ども手当ては大幅に縮小して、その分は復興財源に回すべきで、公明党の案(支給額を上げて児童手当に戻す)がもっとも現実的だと思う。

私は、冷静に見るならば、菅内閣の震災対策は混乱の中でよくやれているのではないか、と思っている。情報が小出しだとか、やることが遅いと批判されているが、じっさいに当事者になった時に、未曾有の災害に対する対応が、どんなに優秀な集団でもそんなにスムーズに出来るとは思えない。個人商店ならいざ知らず、国家の組織は余りにも巨大で、毎日が「未知との遭遇」なのだから。身近な例を上げるなら、私が務めていた金融機関が倒産に向かいつつある時に、東大出身者が占める銀行の頭取たちは何ら有効な対策を打てず、私の務める支店の現場はただオロオロするだけだった。

今やれることを、菅総理はしっかりやるべきであり、小沢さんが立てたバラマキ路線を現実路線に引き戻すのも、国民に対する政権政党としての責任の取り方である。子ども手当てがあれば若い夫婦は助かるのは事実だが、赤字国債を乱発しては、子どもたちの将来を暗くする。子ども手当ての廃止は、やむを得ない選択として賛成である。

地震は「世直し」!?

2011-04-13 07:20:01 | 地方議会
雷に対して、「くわばら、くわばら」という唱え言葉があるが、江戸時代には、地震に対して「世直し、世直し」という唱え言葉が流布していたそうだ。その時代の錦絵にも証拠が残されている(古河歴史博物館所蔵)。

 石原慎太郎都知事の、「天罰」という言い方は良くなかったにしても、文学者らしく、地震に世直しの意味を鋭く嗅ぎ取ったのはさすがである。石原さんの言い方だと、被害に遭った人達が天罰を受けたかの印象を与えてしまうが、じっさいには、日本人全体が反省するべきだ、と言いたかったに違いない。それなら、私も同感だ。

 科学の時代にふさわしくない言い方だが、「政治が乱れると天変地異が起きる」と、歴史書か小説かで読んだような覚えがある。私は、この大災害を、政治の乱れに対する「天の警告」と受け止めるべきだと思っている。

 それにしても、テレビで流される海沿いの町跡の映像は、原爆が落とされて間もない広島の映像とそっくりでショックを受けた。旧約聖書によると、神の教えに背いて退廃に陥っていたソドムの町は、神の怒りに触れて跡形もなく消え失せたというが、東北地方は、罪もないのにソドムになってしまった。

 天の神は、自分のことしか考えなくなった現代日本人と、それに迎合して政権取りゲームに汲々としている政治家に対して、世直しをすべく、怒りを爆発させたのだろうか。そんな風にすら思いたくなる、「我れ良し」の世の風潮と政治状況だった。

 私自身は、地方議員の仕事としてコミュニティーの創造にトライしているが、少しくらいの努力ではどうにもならない無力感を感じている。悪い意味での個人主義は、もう日本人の総身にすっかり浸透してしまっているかのようだ。 

 今回の大災害を契機として、ばらばらになった日本人が少しでも連帯感を取り戻して、みんなで家族や故郷や日本の国を大切にする気持ちを取り戻せれるなら、災いを転じて福となせるかもしれない。そうなるよう、自分も投げずに頑張らねばと思っている。