東京都武蔵村山市議 すどう ひろし(須藤博)のページ

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福島第一原発、吉田昌郎前所長の「肉声」を聞く!

2012-08-15 17:41:48 | 政治


8月11日、福島第一原発の前所長、吉田昌郎さんのインタビューが、ビデオ映像で公開されると聞き、お盆帰省の混雑を押して、東京から福島市まで往復600キロのドライブを敢行しました。

 吉田所長がビデオインタビューに応じるのは、本邦初のことであり、何としてもご本人の発言を聞きたかったのです。ビデオインタビューは「肉声」ではありませんが、私にとってはそれに近い期待感があります。吉田所長を始めとする50人の「決死隊」は、文字通り命がけで、原発の大爆発を寸前で食い止めましたが、私は、東電の本店がどうであれ、福島第一の指揮官と部下は、最後まで原発と運命を共にする覚悟だったに違いないと信じていました。

 私自身、公衆電話関連の工事業に3年ほど従事した経験がありますが、ライフラインを守る現場の人間というものは、自分の仕事が社会に直結しているという責任感とプライドを強く持っているものです。ですから、原発が破局に面している中で、吉田所長が何を考えてどう行動したかは大きな関心事でした。既に、報道では吉田所長は現場を離れる気はなかったと伝えられていますが、私は、ご本人の口から真相を聞きたかったのです。

 ビデオインタビューを見た感想としては、吉田所長は、思っていた通りの強い信念を持って行動していたし、人間的にも素晴らしい方でした。インタビューの語り口は、実にもの静かで穏和ですが、何度も「これで終わりか」と思いつつ、信頼する部下たちと共に原発を最後まで守り抜いた人の、何事にも動じない強い意志を感じました。


 印象的だったのは、「原発をかろうじて鎮められたのは、地獄のような悪条件の中で自ら志願して現場に飛び込んで行ってくれた仲間たちの頑張りのお陰です。私は何もしませんでした」という言葉でした。「何もしなかった」というのは、「危険な現場作業を部下たちが進んでやってくれた」という意味だとしても、作業員が一致団結して最後まで諦めずに戦い抜けたのは、吉田所長の指揮と包容力があってのことに違いありません。聞き手の薮原秀樹さんは、吉田所長が部下の一人ひとりを名前で呼び、きめ細かな気配りをしていた様子を明かしています。

 東電には、長期間にわたって全ての電源が失われる想定がなく、マニュアルにない手探り状態の中で絶望的な戦いを強いられたわけですから、指揮官の心労と作業員の疲労困憊は察するに余りあります。ろくに食料も寝る場所もなく、リノリュームの床で少しばかりの仮眠をして、再び危険な現場に飛び出していく部下たちが、吉田所長には、まるで「菩薩」のように思えたとのことです。

 原発災害は東電が起こしたには違いありませんが、一方では福島第一原発の50人の侍たちが、死を覚悟で、日本の破滅を寸前で救ったのも事実です(もちろん自衛隊や消防、協力会社の作業員等、多くの人々の活躍も忘れてはなりません)。

 日本人の「現場力」は、つくづく凄いと思います。東日本大震災によって、東北から北関東に至る広大な地域の電力・通信網は壊滅的被害を受けましたが、電話や電力等の公共インフラの復旧は驚くほど速かったと記憶しています。

 吉田前所長は「原発に残った作業員は、誰も逃げようとは思わなかった。爆発の時など何度か死を覚悟した」と語っていました。私が思っていた通りだったし、思っていた以上の前所長のお人柄に打たれました。夜通し車を飛ばして福島まで行ったのは、無駄ではなかったように思います。(H24.8.11 出版社「文屋」主催、「地球を包む“わもん”の輪」福島市にて)