東京都武蔵村山市議 すどう ひろし(須藤博)のページ

真実の政治・住民本位の政治が私の信条です。

民主党政権の意味

2010-04-27 11:43:41 | Weblog
鳩山、小沢という民主党の二大巨頭がそろって金権疑惑を浴び、鳩山総理の指導力不足も問われて、民主党は早くもピンチを迎えている。
私たち地方議員は、国政に関しては何の権限もないのだが、市民の方からお叱りを受けることが多い。この夏の参議院選挙は危ういし、来年の地方議員選挙も逆風となるだろう。

ところで、お叱りを受けるのは当然すぎるくらい当然だが、だからといって、あまりに急な支持率急落もどこか変だ。選挙民の皆様には申し訳にないが、民主党を大勝させたり、わずか半年で見限ったりという手のひらを返すような支持率の急変を見ると、私は、国民の政治意識いうか、ものの見方に危ういものを感じてしまうのだ。

国民が民主党を選んだのは、官僚と族議員に縛られた自民党政権ではもうダメだから、しがらみのない民主党にやらせてみよう、ということだった筈だ。事実、民主党は政権発足からすぐに、自民党ではできなかった施策を次々に実行に移している。そのことは、新聞を注意深く読めば、やったことややりかけの仕事が書いてあるのだが、国民の目線は民主党政権のマイナス部分にしか行かなくなっている。こういうのを医学用語では「視野狭窄」という。

たしかに、政治とカネの問題は大きいし、責任を取ろうとしない政治家の姿勢を許せないというのは良くわかる。しかし、民主党の国会議員は例の二人だけではなく、たくさんの国会議員がそれぞれのポジションで働いていて、自民党ではできなかった仕事をせっせとやりつつあるのだ。我が選挙区の加藤公一代議士も、法務副大臣として殺人罪の時効廃止法案等の法務省の仕事をやっているが、副大臣になってから頬がこけてしまった。民主党政権は、仕事を官僚に任せきりにせず、どこの省の大臣も副大臣も、朝の5時、6時に法務省に着くというほどの激務をこなしているのだ。

民主党政権は、まだ始まったばかりだ。ここで、みんなでこき下ろして参議院選挙で負けさせてしまうと、せっかく民主党にやらせてみようとした改革は中途半端で終わるに違いない。それは民主党にとってというよりも、国民にとっての不利益に違いない。もっと新聞を注意深く読んで、民主党のやった仕事や、やりかけている事をもっと評価すべきだし、地味なポジションで多くの民主党議員がまじめに働いていることも知ってほしい。

だからといって、政治とカネの問題をうやむやで終わらせて良いなどと言うつもりは毛頭ない。説明責任はしっかり果たすべきだし、果たしていないゆえの支持率低下でもある。民主党の首脳部は、まじめに働いている議員や支持者の皆さんの血と汗を無駄にしてはいけない。それと同時に、国民の側も政治の一部だけを見てすべてを判断するのは、いい加減やめてほしいものだ。国民が視野狭窄状態だと、ひいてはその程度の政治家しか生まれてこないのだから。


新年度予算に賛成しました

2010-04-08 11:24:57 | Weblog
3月の市議会定例会は、予算委員会があったため多忙だった。通常の一般質問に加えて、来年度の予算案を審議するのだが、一年間の市の予算は膨大な項目と事業にのぼるため、事前の勉強が欠かせない。

私はいわゆる与党ではなく、「予算に賛成して市長を支えねば」という義務感?はないため気楽に「是々非々」を貫くことができる。反対も賛成も自由なしがらみの無い立場であり、判断の基準は「市民にとって利益か不利益か」に尽きる。

荒井市長には、当初の病院問題から批判的な立場でスタートしたため予算案にはずっと反対しきたが、昨年と今年は賛成に回った。それは、当初から私が主張してきたことの多くを、荒井市長は実現したか実現に努力したからである。

もっとも、誤解を招いてはいけないが、私の主張と言っても独自のものばかりではない。他の会派や議員と同時平行で主張した事がらも決して少なくなく、例えば学校司書の配置などは、私も含めた何人かが言い続けて、与党・公明党の浜浦市議の質問の時に、ついに市長が予算化に踏み切った事例である。もちろん、私の独自の主張が通った事例も少なくないと思っている。

武蔵村山市の良き伝統であるが、市長は与党だけでなく野党や少数会派の意見にも耳を傾けて、良いものは政策に反映してきた。私も、議場はもちろん、いろんな場面で意見や提案を出してきたが、市長も職員もよく耳を傾けてくれるという印象だ。私は、けんか腰で自分の要求を通すタイプではない。相手と同じ目線で議論や意見交換する中で、より良き解決法を見いだしたいと常に思っている。

市民サービスに努めたい気持ちは、議員も役員も市長も基本的に同じはずだ。やりたくても出来ないとすれば、どう知恵を絞って実現するかが問題で、その道筋とアイデアを市長や職員が出すように促すのが議員の仕事である。彼らが出せない時には、議員が出せば一気に解決するわけで、私たち議員も勉強が必要だ。

来年度予算は、5月で任期切れの荒井市長にとって最後の予算である。限られた予算の中で充分とは思わないが、厳しい予算削減を続けてきた結果として、財政悪化を招かずに新たな施策にも挑戦する予算になっている。私としては、予算に反対する理由はもはや無い。

厳しい意見も議場でさせて貰ったが、荒井市長は、市民や議員の意見に誠実に耳を傾ける努力を欠かさなかったように思う。今回の予算案には、その姿勢の部分も含めて賛成したものである。

ジャーナリスト 大森実さん死去

2010-04-08 08:59:27 | Weblog
一時代を築いたジャーナリスト、大森実さんが高齢のため米国で死去したと新聞が報じている。私の学生時代は、ベトナム戦争が最盛期で世情は騒然としており、そんな中で毎日新聞外信部長だった大森実さんが、西側記者としてはじめて北ベトナムに入り、「泥と炎のインドシナ」を連載し、その衝撃的な紙面で一躍脚光を浴びた。彼は、単なる記事屋ではなく、取材相手の要人に絶妙な示唆を与えたり要人との橋渡しをするなど、政治的な才覚も併せ持っていた。

しかし、ライシャワー米国大使からの干渉がきっかけで大森氏は毎日新聞を退社し、仲間の記者とともに政治専門新聞を立ち上げて、通販で読者を募り駅の売店にも進出した。私の大学は、ジャーナリズムがカリキュラムの一部で、私自身もジャーナリスト志望もあったため、大森氏の講演を聞いたり新聞を購読して勉強させてもらった。彼は、私たちジャーナリストのタマゴの希望の星で、彼の記事や著作を片端から読んだものだった。

大森氏の新聞は、イギリスの日刊高級紙をめざした週刊紙だった。しかし硬い国際政治の記事がほとんどだったため、限られた読者した得られなくて2年くらいで廃刊になった。大森氏(あるいは彼の後輩記者だったか)が講演の中で言っていたが、毎日新聞は、外信部長の肩書きまで持っていた大森氏を社史にも載せないという、ひどく不当な扱いをした。

毎日新聞は、販売部数の落ち込みで苦境を続けているが、大森氏のように有能な記者を大事にしない経営判断があったとすれば、それが現在の退潮の一因かもしれない。同紙は、昔から政治面では定評があるだけに、アメリカの圧力に簡単に屈したこととすれば残念なことだ。大森氏は、同社の経営陣に抗議して辞表を出したというが、「泥と炎のインドシナ」の連載打ち切りとか、大森氏の外信部長からの降格などの動きがあったようだ。

今日の毎日新聞の朝刊に、同紙のアメリカ駐在記者が高齢の大森氏に最後のインタビューをした時の記事が載っているが、大森実氏にあこがれて入社したという後輩記者の署名記事は、大森氏への高い尊敬の念を持って取材し、記事を書いている。古巣を追われた老記者にとって、後輩記者のインタビュー記事は最高のはなむけになっただろう。

大森氏はインタビューのなかで、「日本はそろそろアメリカから自立するべきだ」と強調していたという。まったく同感である。戦後一貫して続いた「勝者と敗者」の関係から、「大人と大人の関係」へと脱皮するべき時が来ている。政権交代になった今がその時である。