娘は今、アメリカに住んでいるが、昨年までは盛岡に住んでいた。で、娘も自分の友人にはアメリカ行きを連絡しているが、僕の友人にはアメリカ行きを連絡していない。したがって、僕の友人には娘がまだ盛岡に住んでいると思っている人が多く、娘に地震のお見舞いの電話をかけてくれているようだ。
もちろん、不在だからかからない。するとますます心配になって僕のところへ連絡が入る。「○○ちゃん。どうしたの。何かあったの」と・・・
昨日は50年近く前からの友人から連絡がはいった。彼女は結婚してカナダにいるのだが心配で国際電話をしてきた。なかなか会うことも話すことも機会がないので娘のことはさておいて懐かしく話し込んだ。
今はもう閉店になっているが、彼女の家は河原町通りで喫茶店を営まれていて、高校時代は店の隅に入り浸りで長居させてもらった。お父さんが「○○君、コーヒーのおかわりあげよう」とコーヒーのおかわりを何度もいただいた。高校時代の試験勉強はほとんどそこですませた。
そのかわりと言ったら何だが、彼女の大学卒業論文は、うな重の上盛り1杯で僕が書きあげた。もちろん、立派に?卒業した。懐かしいセピア色の思い出だ。
今日は娘が小学校の時以来、家族同士でつき合いをしていた女性から連絡が入った。10年ほど前に離婚されてからあまり連絡をとっていなかったが、今は再婚されて元気にされているようだ。彼女とも娘のことは二の次で、お互いの近況報告で長時間話し込んだ。
震災が縁?で疎遠になっていた友人との触れ合いが実現し懐かしい思い出が蘇ってきた。何か複雑な気持ちになる。