東京・三鷹市での女高生ストーカー殺人事件は衝撃的だ。
家の中で待ち伏せされたら、もう逃げる場所もない。警察に批判の声をあるが正直、精一杯の対応だったと思う。だからこそ衝撃的な事件だ。
最近はストーカーとかイジメとか昔も同じようにあったと思うのだが、今はマスコミの的になっている。
ただ、僕らの若い頃と今と絶対的に異なるのは、地域社会の有り様と家族の有り様だ。
とりわけ家族は基本単位が5人だった。小売店に行って台所用品などを購入する時も5人セットというのが標準だった。
夫婦に子供3人が標準家族で、子供たちはその兄弟の中で一番身近な社会生活を学習した。上の子はいやいや下の子の面倒を見させられ、下の子は何かにつけて上の子の圧力にガマンをして・・・
親も子供に対して3人という数が程よい干渉具合だったのではと思う。
今は家族3人で構成され、「させられる」行為も「頭を打たれる」行為も家族の中ではあり得なく、両親は目一杯一人っ子に干渉して・・・
我慢や他者への「思いやり」とか「程よい干渉」をしらない子供たち(ひょっとしたらその親たちも・・・)が・・・
そういう事実は以前から指摘されていたところだが、この問題の解決を政治家の誰もが熱意をもって訴えていないのが残念だ。
事が起これば警察とか学校とかがやり玉にあがるのだが、一番の責任者は社会の形を作るべき政治家だろう。
ついでに触れると、「人権」というのは・・・犯罪者の人権もさることながら、優先すべきは日々「平穏」に生活している人たちの人権であるべきだろう。
この視点をなくして、人権を語ってほしくない。
イジメにしても「ストーカーにしても性犯罪者にしても・・・まずは「平穏」に生活している人やこどもたちの物差しで語られるべきだろう。