昨日は川越のSさん宅ににお邪魔してきました。お花見です。転勤で東京に来られたOさん夫妻の送別会も兼ねています。
Sさんが「ここは綺麗よ」と案内してくれたのは川越市小仙波町の「天台宗別格本山中院」です。
中院は、古くは星野山無量寿寺仏地院と呼ばれ、鎌倉時代の終わり頃、北院(喜多院)[仏蔵院]、南院[他聞院]とともに、星野山無量寿寺から分かれたとされています。喜多院に天海僧正が来往するまでは、この地の中心的な寺院。
縁起によりますと、天長7年(830年)に比叡山を下りた慈覚大師円仁により、天皇の勅許を得て建立され、当初の中院は、現在の東照宮の地にありましたが寛永10年(1633年)に東照宮建造の折に現在地に移されました。
境内には、川越城主秋元候の家老であった太陽寺一族の墓、島崎藤村の義母・加藤みきの墓などがあります。
それにしても立派なしだれ桜です。
さくらがキラキラしています。気分がすーっとしますね。
幸せ感・・・というものがあふれてくるような気がします。
幸せなのは・・・・・
料理とお酒です
人見知りのミーちゃんも登場。マグロの赤身をいただいてご機嫌でした。
美味しい料理と、楽しい会話で免疫力もアップしました。
お花見と宴会はこれからが本格的です。胃が持つかしら
【横浜スタジアム脇の公園にて】
緩和医療の重要性を問うている大津秀一医師の新著で「ダメ医者」を見分ける方法を提示していた。
それによると、
「ダメ医者、それは、毎日回診しない医者である(さすがに土日は除く)」
ということです。
「患者の状態は時間単位で動くことさえあるのに、一日一回すらも行かなくては患者の状態はわからないではないか。しかし患者の状態は検査を見ればわかる、とうそぶき、データのみを見て診療するトンデモ医師がいるのだ」
なるほどそうだな。そういえばポッコの主治医は超激務にもかかわらず必ず毎日顔を出してくれた。ほんの数秒の時もあるが「ポッコさん、どお~?」と聞いてくれた。
「私も患者になったことがあるからわかるが、入院生活は空白の(誰も来ない)時間が長い。そのような時、患者は主治医が来ないか来ないかと待ちわびる。訴えたい症状などあればその気持ちはさらに高まる」
ふむふむその通りだ。
「なのに、昼食が来て、夕食が来て、先生のことだ、きっと忙しいんだ・・・・と待ちわびて、結局消灯時間になってしまう、この時どういう気持ちになるかを医師は理解できなければいけないと思うのだ」
まったくその通りだと思いませんか
どんな名医でも患者の状態を見ないで良い治療ができるはずがありません。
我らが画伯Mocaさんが公募展に入選されたとブログで発表されていました。
これはぜひ拝見しなくてはと東京都美術館の「美術文化展」に上野まで行ってきました。
上野の桜はまだまだですが、もう花見客が宴会をしていました。
会場入り口です。中は広くて、Mocaさんの作品にたどり着くまでが一苦労で、上の№10会場に、
お~、ありました!! 「見てるぞ」というタイトルが付いています。
まじまじ細部までながめると、どうやって色を作っているのだろうかと聞いてみたくなりました。
絵が描けるってうらやましいですね。美術の時間にもっと勉強しておけばよかった、と反省していますが才能もあるのでしょうね。
ものすごい数が展示してありましたが、表現の多さにあらためて感激しました。
せっかくだから他の展覧会もと「日本現代工芸展」も見ることに。
ワンコ発見。これは染織の作品です。
レトロなデザイン。
鉄の作品。リアルです。
美術館玄関にあったオブジェ。
日向ぼっこの老人。
用事があったので早々と帰りましたが、なんとMocaさんも会場にお見えだったことが判明。作品解説を聞きたかった。
上野に行かれたらのぞいてみてください。
東京地方で開花宣言がありました。我が町ではどうかなと観察してみると・・・・
つぼみが開いていました。後ろに回ると、
咲いていました
あと1週間もすると満開です。ワクワクドキドキ
お花見が待ち遠しいですね。
さて昨日はリレー・フォー・ライフでスタッフ仲間だった若人二人で食事をしてきました。
東京駅にあるランチマーケットのカジュアルイタリアンです。ピリ辛のスパはとても美味しいものでした。
一人は4月からIT関係に就職が内定。もう一人は、働きながら資格取得のために勉強開始とそれぞれの新しいスタートに希望があふれています。ちょっぴり不安ものぞかせましたが、なんくるないさ~
若い人とお話をすると私も元気になります。
美味しいワインをいただいて、ほろ酔い気分で帰途についたとき大丸のところで、
こんなディスプレイを発見。
パンダの目が桜になっているかわゆい
さあ、お花見シーズンです。私へのお誘いはお早めにご予約いただかないと満席になりますぞ・・・(アリえない)
初恋の人からの手紙という面白いサイトをTakeさんが紹介していましたので、私もやってみました。
いくつかの質問に答えると初恋の人からの手紙が表示され、あなたの恋愛観などが分析されるというものです。
さて、私への手紙は・・・・・
ヒデ、ひさしぶり。
もう旅先で模造刀を買うクセは治りましたか?修学旅行の貴重なおみやげ代を模造刀に注ぎ込んだヒデを思い出すと笑ってしまいます。
泣きじゃくる私にヒデが「好きだけど別れなくてはいけないときもある」などときれいごとを並べてお別れすることになったあの日から、もう40年が経ったのですね。月日が流れるのは早いものです。
お手紙を書いたのは、とくに用事があるわけではないんです。ただふと思い出して懐かしかったので、思いつくままに手紙に書こうと思いました。ふふ。驚いたかな?
今振り返って考えてみると、あのころの私ってヒデに迷惑かけてばかりでしたよね。でも、いつもツンツンしてる私にヒデは「おまえの純粋さは分かっているから」なんて言ってくれて、少し引いたけど、なんだか心温まったのを覚えています。当時クラスメイトと浮気していた私はフクザツな気持ちではあったけれど、そんな風に言ってくれる人はいなかったから。
私はともかくヒデにとっては初恋の相手が私だったんですよね。そうそう、最初のころのヒデは、手をつないだときに手汗をびっしょりかいていましたね。家に帰ってからすぐ洗ったけど、ヒデが幸せそうだったからそれでいいんです(笑)。
まだ付き合い始めたころ、ヒデは気分が盛り上がって「いつか必ず結婚しような」って言っていましたよね。私は適当にごまかしましたが、嬉しそうなヒデの顔を忘れません。今思えば完全に詐欺ですけど、今でもみんなにそう言っていますか?
総括するなら、ヒデと付き合えたことは、とても感謝しています。特にヒデとの恋愛から学べた重要なことは、あまり人に期待しすぎてはいけないということでした。一人で生きられるようになることの大事さを教えてもらえたと思っています。ありがとう。
いろいろ書きましたが、私はヒデのことがそれでも好きでした。これからもヒデらしさを失わないよう、当時以上にノストラダムスの研究を頑張って(笑)、誰かを幸せにしてあげてください。
またいつか会いましょう。では。
P.S. お笑いについて知ったようなこと言うクセはもうなくなりましたか?
ということです。う~~む、そりゃないよというところは多々ありますが、手紙なので許しましょう。
そしてご丁寧に私への分析結果は、
ヒデさんについての分析結果は以下の通り。
【短評】
しっかり者であり、リーダー気質。女性を引っ張るタイプだが、配慮もできる。ただし弱味を見せない。
【あなたの恋愛事情を考察】
ヒデさんは基本的に、ふられるよりはふる側になることが多いと思います。ふられる側になることがあるとしても、ヒデさんの気持ちが分からなくなった相手が、不安のあまり自ら逃げ出すような形でしょう。
ヒデさんは、わりと恋愛において「強者」の側にいるのだと思います。また人に頼られるのは好きでも、何事も相手に頼ったり任せたりするのはあまり好きではないのではないでしょうか。それが相手を不安にさせるのです。「私、いる意味あるのかな」と。
ここから言える、ヒデさんにありそうな問題点を列挙します。
◆隙や弱味を見せないことで相手に不安を抱かせる。
◆初対面でオーラはあるがとっつきにくい。かわいげがない。
◆相手からするとヒデさんの気持ちが分からない。
◆結果として相手が不安になり、ネガティブになる。ヒデさんはそれを重苦しく感じる。
この問題点をしっかり頭に入れます・・・・といってもどうしようもないのですが。
★去年の花見の1シーン。
時々気になっている晴佐久昌英神父の著作から「しみじみする」を紹介しましょう。
しみじみする
ごく親しい仲間内で、「しみじみ教」という教えを布教している。教祖は、僕である。
教団も儀礼もないので宗教と言うものではないが、極めて素朴なたった一つの教義を持っている。
いわく「いつも、しみじみすべし」
というものだ。多分世界最短の教義であろう。
「しみじみする」という言い方は、日本語として正しい用法とは言えないかも知れないが、こうとしか言いようのない、深い味わいを秘めた言葉である。
しみじみ教徒は、朝目覚めて、新しい一日にしみじみする。
昼働きながら、あわただしいこの人生にしみじみする。
夜寝る前に、いろいろあった一日を振返ってしみじみする。
春夏秋冬老いも若きも、いいことがあってしみじみ、嫌なことがあってしみじみ、
生まれてくる新しいいのちにしみじみ、死にゆく親しい友にしみじみ、足元の雑草にしみじみ、果てしのない星空にしみじみ、要するにいつでもどこでもどんな場合でもしみじみする。
しみじみ教徒にとって、しみじみすることは、生きる意味と喜びを味わう最高級の方法なのである。
決して歓喜ではない。もちろん落胆でもない。物事やできごとの表面に惑わされず、その一番深いところにある何かを感じ取ろうとして、しみじみする。何かいいことがあったときに、パーッとはしゃぐのも悪ないが、えてして歓喜は覚めやすい。もっと深く長く、静かにしみじみするのがよろしい。何か嫌なことあったときに
がっかりするのは致し方ないが、できるならば「いやあ、こういうこともあるのか、人生だねえ」と、しみじみするのがよろしい。
従って、しみじみ教徒はストレスと無縁である。とことん嫌な奴に出会ったとしても
「いやあ、ここまで嫌な奴が世の中にはいるか。いやはや、それにしても見れば見るほど見事なまでに嫌な奴だ」
と、しみじみする。しみじみしているうちに、なんだか好きになってきたりする。
これでは争いごとが起きるはずもなく、従って、しみじみ教徒が増えれば、世の中は平和になる。
と信じて、大まじめに布教しているのだが、みんなニヤニヤして聞くだけで一向に教徒は増えない。確かにしみじみのよさは、しみじみと味わわなければ分からないからなあと、教祖はしみじみしている。
というものです。妙に納得して朝から「しみじみ」しています
★沖縄土産のシーサーです。表情がかわいいでしょ。
本日は仏教の話題です。地位や財産がなくても誰もがいつでも容易にできる布施の行として、「雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)」に挙げられている七つの施しがあります。ご存じの方も多いでしょうが、リレー・フォー・ライフというイベントに準備段階からかかわっていると、この教えがぴったりだと感じるようになりました。
①捨身施(身施、しゃしんせ)・・・・・自分の身をもって、体を使って人のために施すこと
②心慮施(心施、しんりょせ)・・・・・他人のために心を配る、そして共に喜び、共に悲しんで、その人の幸せを願う施し
③和顔施(わげんせ)・・・・・いつも和やかな顔をして人に接する施し
④慈眼施(じげんせ)・・・・・慈しみのまなざしですべてを見る施し
⑤愛語施(あいごせ)・・・・・他人の心を知って、和やかな、喜びを感じるような言葉で話しかける施し
⑥房舎施(ぼうしゃせ)・・・・・にわかに雨が降ってきたときなど、雨に濡れる人をそっと傘に入れるような施し
⑦床座施(しょうざせ)・・・・・そっと席を譲るような施し
いい言葉ですね。仏教以外でも聞いたことのあるような、ないような。
特に実行委員会のスッタフに参加すると、この七施は大切だと思います。