ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

夕映えの道

2008年07月21日 | 映画レビュー
 ある日たまたま薬局で見かけたみすぼらしい老婆に親切にしたばかりに、そのままその老婆の世話をし続けることになる。そんなことって本当にあるだろうか? 世話をされる貧しい老婆はマド。世話をする中年女性は仕事をバリバリこなすイザベル。イザベルは離婚歴がある女性企業家で、小さな会社を経営している。

 この物語はイザベルの過去をほとんど語らないために、なぜ彼女が見ず知らずのマドを自分の母親のように世話するのかわからない。偏屈でわがままなマドだというのに、イザベルはせっせとマドの部屋に通って料理を作ってやったり病気のときは体を拭いてやったりとこまめに世話をするのだ。イザベルの親切をマドは「自分のためでしょ、自己満足よ」と冷たく言い放つ。対するイザベルも「そうよ」と即答する。こんなドライな関係なのに、いつしか二人は心を通わせていく。

 イザベルにしてもマドにしても利己的にしかふるまっていないのかもしれない。それなのに、二つの「利己」がうまく通じあえば世の中、案外うまくいくものだ。『ウェブ社会の思想』(鈴木謙介著)に、「数学的民主主義」という社会工学の話が書いてあるのだが、それは「人びとが誰ひとりとして民主的な意志を持たず、自らの関心にしたがって利己的に行動したとしても、結果として他の人びとに多くの情報を提供し、制度の維持に貢献するシステムとして作動する」ものであるという。という話を連想してしまった。

 というようなことはともかくとして、閑話休題。もしこのマドをシャーリー・マクレーンが演じていたらもっと可愛いおばあさんだったと思う。どんなに憎まれ口をたたいてもシャーリーには愛らしさがある。だが、マド役のドミニク・マルカスはちっとも見栄えがよくない。救いの手を伸べてあげようとは思えないようなおばあさんなのだ。それが不思議なことに、ラストシーンに至っては、彼女の儚げな涙顔がとても愛しく思えてくる。愛情とはそういうものなのだろう。固い心を解きほぐし、他者に自己を委ねたとき、人は変わる、顔つきまで変わっていくのだ。

 最初の問い、「そんなことって本当にあるだろうか?」は映画を見ているあいだじゅうずっと解けない疑問なのだが、ラストに至って、「そんなことってあるかもしれない。あれば素敵だ」と思えるようになった。イザベルにはかなり年下の恋人がいて、この物語はイザベルにとっての上下2世代との心の距離を描いている。中年のイザベルにとって果たして心を癒される関係は若い男との情事なのか、老女の世話なのか。この微妙な淡いを描いて、中年女性たるわたしの心をくすぐる作品だった。(レンタルDVD)

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夕映えの道
RUE DU RETRAIT
フランス、2001年、上映時間 90分
監督・脚本: ルネ・フェレ、原作: ドリス・レッシング、音楽: バンジャマン・ラファエリ
出演: ドミニク・マルカス、マリオン・エルド、ルネ・フェレ、ジュリアン・フェレ、サシャ・ロラン

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