ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

大奥

2008年06月20日 | 映画レビュー
 予告編を劇場で見たときにはもう、江戸城の廊下をお女中たちが大挙してすり足で音を立てて歩く姿に鳥肌立ったものです。あの「ずざさささっ」という音を聞きたいためだけに見た映画。ところがなんと、DVDを自宅テレビモニタで見ると、「ずささささっ」がない! ショック! 金ぴか打ち掛け姿のお姉様方が大迫力で迫ってくる廊下の場面がない! いや、あったのかもしれないけれど、予告編の感動がないっ。うぬぅ~。

 さすがにテレビドラマを映画にしただけあって、ばっちりテレビ的な作りの分かりやすさには大笑い。嫉妬と憎悪が渦巻く大奥の、女たちの嫌がらせ苛め謀略の数々、それはもう敵役は思いきり憎たらしく、われらが主人公はあくまで清く美しく! なんという類型化、なんというわかりやすさ、なんというあほらしさ。しかしこれが面白かったからバカにしてはいけません。最後は思わず泣いてしまいましたよ。 

 時代は7代将軍家継の時世。この将軍がわずか5歳というのが悲劇の始まりで、生母側室や先代将軍の正室たちが大奥で権勢を張り合い、それぞれ取り巻きの女中たちを巻き込んで日々にらみ合い。将軍の生母月光院の信頼も厚い大奥総取締役絵島(仲間由紀恵)が28歳の若さで知性と教養を誇り、大奥で辣腕を振るっていた。しかし、月光院と絵島を快く思わない先代将軍の正室天英院(高島礼子)が策略をめぐらせ、歌舞伎役者生島新五郎に金を握らせ、男を知らない絵島を籠絡せよと持ちかける…。世に言う「絵島生島事件」である。
この事件の真相は不明らしいけど、映画では、事件を捏造したのは天英院ということになっている。

 大奥で男性との交わりを禁じられた女たちの悶々とした日々、そして将軍亡き後、側用人と通じ合う月光院の、恋に溺れる女の姿などはいかにも昼ドラふう。人を恋い慕う気持ちは誰にも止められない。たとえ命を奪われることがわかっていても、それでもなお一夜の恋のためにすべてを捨ててしまう絵島の気品と潔さに感動すべき物語。同じように恋に溺れる女としても、月光院と絵島ではその抑制の強さが違う。気品と知性が違う。というわけで、観客はあまねく絵島の心に大いに同情し涙をそそられるのであった。ああ、悲しきかな、恋を知らぬ乙女の涙。



 というわけで、本作は元祖総合職エリート女性たる絵島がセクハラを仕掛けられてまんまと罠にはまるという悲しき物語。エリート女性はつらいのである。いかに自己抑制が強くても、やっぱりそこはそれ、ほころびというものがあります。そこにつけいられた絵島の悔しさを観客は感応するように作られている。しかしこの大奥物語を見て単純に同情するような女は実は総合職でもエリートでもない。映画のターゲットはもっと低い。だからこそ、エリートの凋落は快感なのだろう。現代にはびこるルサンチマンはげに恐ろしきものである。ねたみそねみは大奥だけの話ではない。今の世の中、自分は何も主体的に努力せずただ指示を待っているだけの人間がいかに多いことか。いや、指示を待っているだけならまだしも、降りてきた指示を指示通りに仕事できない。そんな人間こそ、懸命に努力する他者をねたみの目で見る。最悪のルサンチマンのデススパイラルが覆う世の中には、たとえば公務員バッシングで溜飲を下げるというレベルの低いネット人間が頻出する。

 人々の創意工夫を生かせることのできない社会は足の引っ張り合いをもたらすだけだ。大奥での陰謀も結局はくだらない権力闘争であり足の引っ張り合いである。そうではなく、人々がゆとりをもって働ける社会、創意工夫を生かせる社会、自らの職場の規律は自分で作り、自分たちの新しい試みがすぐさま成果を生むことができる社会。そういうものを目指すことこそ、理想とすべきではないのか? 上司の決裁をいくつも経なければ何一つ新しいことができないような硬直した官僚システムにはおさらばすべきだ。

 と、映画から話がどんどんそれていきますが、とにかく、この時代劇から何か現代に通じるものを教訓として読み取るならば、とついつい考えながら見ておりました。(レンタルDVD)

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大奥
日本、2006年、上映時間 126分
監督: 林徹、製作: 亀山千広、坂上順、脚本: 浅野妙子、音楽: 石田勝範
出演: 仲間由紀恵、西島秀俊、井川遥、及川光博、杉田かおる、浅野ゆう子、松下由樹、柳葉敏郎、藤田まこと、岸谷五朗、高島礼子

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