ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

モレク神

2007年12月03日 | 映画レビュー
 ソクーロフの二十世紀の歴史三部作(まもなく4部作になる予定)、その第一作にしてカンヌ映画祭脚本賞受賞作。

 全編霧がかかったような暗い映像。独特の質感が無機質で不気味であり重厚でもある。エヴァ・ブラウンがヒトラーに囲われてひっそりと済む山荘は要塞のような古城であり、床や壁の冷たい石の感覚が見る者にまで伝わってくる。この質感をよくぞ出せたものだと冷たい感動を呼ぶような画面作りだ。

 この映画を見てヒトラーよりもエヴァ・ブラウンに興味が湧いた。主人公はヒトラーではなくエヴァだ。独裁者ヒトラーにただ一人逆らえる人物、エヴァ・ブラウン。アドルフ・ヒトラーを「アディー」と呼び足蹴にするエヴァ、ヒトラーをあざ笑い罵ることが出来る人間、エヴァ。エヴァこそがわたしには謎であり魅力的に映った人物だ。

 食事のシーンが興味深い。あのスープの中身はなんだろう? 「美味しい美味しい」と会食者達が言うのだけれど、緑色のスープはとても美味しそうに見えない。戦時中のこととて、いくらヒトラーの食事とはいえ贅沢なものも出せなかったのではなかろうか。

 ブルーノ・ガンツが熱演した「ヒトラー 最期の14日間」に比べるとどんなヒトラーも迫力不足だし、ヒトラーの一人の人間としての側面を強調し日常の一面を描いたといっても、「ヒトラー 最期の14日間」でそれは既に見てしまった(映画制作年は「モレク神」のほうが古いけど鑑賞順が逆なもので)。だからといってこの作品に面白みが欠けるかと言えば必ずしもそうではない。幻想的な雰囲気といい、不思議なエヴァのキャラクターの魅力といい、夢心地の中にいる独裁者の一日の安らぎを描いたものとしてはよく出来ていると思う。何しろエヴァは全裸で寝椅子に寝そべってベランダから外を眺め、得意の体操の技を見せるという不思議な人物なのだ。全裸といっても女優は全身肌色のタイツを着込んでいるようでちょっと気色の悪い姿だけれど、なんでこういうものを着せたのか、ソクーロフの意図はわからない。ロシアの映倫をパスするためか?

 側近の前では大言壮語する男ヒトラーもエヴァの前では初老の小男に過ぎない。エヴァに「もう日蔭の身でいることに耐えられない」と泣訴され罵られても彼女の機嫌をとることに懸命な一人の小心者にしか見えない。ヒトラーにはどんな魅力も感じないし親近感も得られないが、<アディー>をどんなに足蹴にしても癇癪を起こしても、「あなたを愛しているわ、あなたの弱さもすべて」というエヴァの真実の愛情の深さには感動する。なぜなら、エヴァが最期までヒトラーを見捨てることなく共に自殺したことをわたしたちは知っているからだ。彼女の愛に嘘はなかった。

 これは1942年のある一日、ゲッベルス夫妻らと共にエヴァの住む山荘を訪れたヒトラーがピクニックしたり晩餐したり風呂に入ったりするだけで何も起こらない退屈で暗く美しい映画だ。わたしが抱いているヒトラー像に何も付け加えることはなかったが、エヴァの生涯には沸々と興味が湧いた。

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MOLOKH
ロシア/ドイツ/日本/イタリア/フランス、1999年、上映時間 108分
監督: アレクサンドル・ソクーロフ、脚本: ユーリー・アラボフ、撮影: アレクセイ・フョードロフ
出演: エレーナ・ルファーノヴァ、レオニード・モズゴヴォイ

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