ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

いつか眠りにつく前に

2008年03月13日 | 映画レビュー
 どれだけの娘が母の人生を知っているのだろうか。どれだけの母が人生を娘に語って聴かせるのだろうか。わたしの母は76歳。あと何年生きてくれるのかわからないけれど、わたしは母の人生をどれほど知っていると言えるのだろう。娘時代の恋、父との恋、結婚、父の病気、独立起業。お嬢様育ちとはいえそれなりに苦労もあっただろう。何よりも戦争を生き抜いたのだからそれだけでも随分な苦労のはず。しかし、母はわたしに「過ち」については何も語っていない。ひょっとしたら何も過ちなど犯さなかったのかもしれないし、人生に何一つ後悔がないのかもしれない。

 翻ってわたしはどうだろうか。娘をもつことがなかったわたしには、「女の思い」を語るべき相手がいない。たとえいたとしても、わたしは自分の人生を娘に語るだろうか。様々な過ちや後悔や自責や自負や自己嫌悪やプライド、矛盾する多くの混沌とした想いを、死ぬ前に語るのだろうか。

 そんなことを考えながら画面を見ていた。そして、ラストシーン、静かに涙が流れた。実をいうと登場人物の誰にも感情移入することがなかった。ヒロインの生き方に共感もできなかったのに、それでも「ああ、理解できる」と感じて、そして娘たちが母への愛を胸一杯に溢れさせ、姉妹の葛藤も死に行く母の前で消えていく、その美しさに打たれてしまったのだ。


 死ぬ前に、「自分の人生の最初の過ちはハリスだった。わたしはハリスを愛し、バディを殺してしまった」と錯乱して娘たちに語る母アン(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)。瀕死のアンと、若き日のアン(クレア・デインズ)の物語が時を往還しつつ並行して語られていく。母は、自分の過去を娘達に語ったわけではない。結局のところ、「ハリスとは誰だったのか」、母の口からその答を聞くことはなかった。

 ハリスとは誰だったのか、なぜアンにとって一生の恋人だったのか、その愛の深さをこの映画からだけでは測りづらい。アンの親友ライラ(メイミー・ガマー)が恋した男がハリスだったのだが、アンの弟バディもまたハリスに憧れていた。使用人の息子だったハリスに想いを告げることがなかったライラは、ついに結婚式の前夜、ハリスに告白するのだが、彼に愛されていないことを知り、泣く泣く他の男と結婚式を挙げる。マリッジ・ブルーなのか、泣き続ける花嫁は式の当日まで迷っている。親友の迷いを目の前にしてアンは「まだ逃げられるわ」と忠告するのだが、そのアンもまた出会ったばかりのハリスを愛してしまう。 

 ライラの結婚式の前日と当日というたった2日の間に生まれた愛と悲劇がその後の彼らの人生に生涯影を落とすことになる。しかし、人物の造形がきちんとできているとは言い難く、一人一人の思いを過不足なく描くという点でも不満が残る作品だ。これでは彼らの行動も心理も不可解だと思う観客は多いだろう。原作のある作品の脚本化は難しい、とこういうときに思う。おそらく原作のかなりをはしょったのだろうなと思わせる展開なので、観客が想像力を全力動員して、描かれていない行間を埋めていかねばならない。

 本作の印象的なのは巻頭の夢の場面。海に浮かぶ小舟に横たわる若き日の自分の姿を岸辺から厳しい表情で見つめる老いたアン。油絵に描いたようにくっきりとした輪郭のこの場面をCGなしで撮ったのだという。さすがは撮影監督を長らく務めたコルタイ監督、この場面だけではなく、光の使い方が素晴らしい。演出力についてはあんまりよくわからないのだが、なんといっても名女優たちの名演が助けてくれるから、並の監督だったらすることないよ、って感じ。

 メリル・ストリープとヴァネッサ・レッドグレーヴが素晴らしいのは言わずもがなだから当然として、意外な収穫だったのはヒュー・ダンシー。彼の演技には舌を巻いた。

 この映画のもう一つの楽しみは親子共演だ。メイミー・ガマーがメリル・ストリープの娘だと知らずに見ていて、「メリル・ストリープによく似ているなぁ」と思っていたらやっぱり実娘だった。ヴァネッサの娘がナターシャ・リチャードソンだったとはこれまた知らなかったのだが、娘のナターシャは「上海の伯爵夫人」に主演していたのだった。ちなみに「上海の伯爵夫人」でも親子共演だったのに気づかなかった。

 ひたすら静かな映画で、肝心の「過ち」の意味が判然とせず、しかも後半は皺だらけの老女のアップが連続するので、若い人には耐えられないだろう。人生の「過ち」の意味を噛みしめている40歳以上の女性にはお奨め。

-----------------------

EVENING
アメリカ/ドイツ、2007年、上映時間 117分
監督: ラホス・コルタイ、製作: ジェフリー・シャープ、原作: スーザン・マイノット、脚本: スーザン・マイノット、マイケル・カニンガム、音楽: ヤン・A・P・カチュマレク
出演: クレア・デインズ、トニ・コレット、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、パトリック・ウィルソン、ヒュー・ダンシー、ナターシャ・リチャードソン、メイミー・ガマー、アイリーン・アトキンス、メリル・ストリープ、グレン・クローズ