ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

80年代論、90年代論(2)

2005年08月01日 | 読書
 本書はエロ漫画編集者であった大塚英志の徹底的に個人的な回想録なのだが、自分のことだけを語りながら80年代という時代を浮かび上がらせていく手腕は見事だ。

 内容詳細はbk1の書評に詳しい紹介があるのでそちらに譲るとして、感想を手短かに。

 漫画家や漫画のタイトルなど固有名詞が頻出するので、それらの作品に通じていなければ読むのが苦痛になる部分があり、そのため本書を読むのは時間がかかった。

 だが、彼は時代を見通す鋭い目をもっている。昭和天皇危篤のおりに、平癒祈願の記帳に並んだ若者をどう評価するのか? その中の一人であった彼自身の語る言葉には説得力がある。いわく、あのとき記帳にいった若者達はじつは天皇について語る言葉も持たず、その語り方すら知らなかった。だからこそいま、巷に溢れるナショナリズムは天皇抜きなのだ、と。

 若者達は昭和天皇に他者性を喪失した親近感を抱いていた。天皇は「やさしいおじいさん」なのだ。

 実は本書を読了して既にかなりの時間が経ってしまった。もはや内容詳細は覚えていない、情けないことに。ただ、今後この本は折に触れて斜め読みしたり拾い読みしたりして再読するだろうと思う。

 本書より、北田暁大さんの『嗤う日本のナショナリズム』のほうがスマートで読みやすい。どっちが優れているかといった比較はできないのだが、ないものねだりの我が儘な読者としては、大塚英志と北田暁大を足して二で割ったような本が読みたいと思う。

 しかしやっぱり思うこと。大塚英志氏とわたしは同い年だ。だから同世代として語られてしまうのだろうけれど、違和感が大きい。わたしはいつも世代論には不満なのだ。それはわたしの個人的なルサンチマンに過ぎないが、「わたしの入る余地がない」と感じるからだろう。同世代の人々と違って新人類でもオタクでもないわたしをどう「分析」してくれるのか? どの世代にも入らないわたしのような少数派はどうすればいいのか? アイデンティティの揺らぎと疎外感に苛まれた青春時代の苦い思いがいまだに尾を引いている。

 わたしは大塚さんの「戦後民主主義を信じる」あるいは「戦後民主主義を奉じていくべき」という態度に頑固な好ましさを感じる。戦後民主主義は幻想だ。幻想だけれど、その幻想が役に立つことだってある。幻想であることを宣言しつつ、その幻想を使っていくべきではなかろうか。最近、なんとなくそんな気持ちになっている。


<書誌情報>

「おたく」の精神史 : 一九八〇年代論
  大塚英志著. 講談社, 2004.(講談社現代新書 ; 1703)