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The Curious Case Of My Life

船到橋頭自然直

別れ

2020-06-01 15:14:45 | 日常生活

6月25日僕はこの日のことを生涯忘れることはないでしょう。
午前8:50くらいだったと思います。会社へ向かう電車内で
母の病院から電話がありました。
主治医が言うには
酸素が少なくなっていて、二酸化炭素が体内に多くなっている。
酸素マスクを着けている状態。


もしかしたら、今日亡くなってしまう可能性があるとのこと。
心の準備はしていましたが、まさかこんなに早くこの時が来るとは。
実際にこのような状態になると言葉が出ませんでした。
電車とタクシーで1時間半の道中色々なことを考えました。
普段思い出さない家族の懐かしい思い出とか、闘病生活だとか、
人生とはいったい何なんでしょうか。
罪人が長生き? 罪のない人間がこんなに早く、こんなにひどい病気に。
正直普通の病気ではありません。
人間が人間ではなくなる、そんな病気です。
 
僕が病室に着いたときすでに意識はありませんでしたが、まだ呼吸はありました。
その呼吸も時間の経過とともに段々と弱くなっていきました。
涙が止まらなく止まらなくて、精神的におかしくなるんじゃないかと言うくらい悲しみでいっぱいでした。
看護師が耳は聞こえているので話しかけてあげてくださいと言っていましたが
 
何を言ったら良いかわかりませんでした。それでも僕は何とか言葉を出そうとして
言えたのが、「兄夫婦がもう少しで来るから、来るまで頑張って 」それだけでした。」

11:40ぐらいだったと思いますが、兄夫婦が来て、3人で母の傍にいました。だんだん呼吸が小さくなり、

身体の動きが無くなっているのがわかったので、もう長くないと思いました。

こういう状況になり、初めて自分はまだ親孝行ができていなかったなとわかりました。

今思うともう少し優しくしてあげたら良かったと思います。

しばらくして動かなくなりました。12時半ぐらいだったでしょうか。短い生涯でした。

聞こえていたかどうかわかりませんが、「生んでくれてありがとう」と言うことができました。

感謝の気持ちしかありません。

もっと多くの感謝の気持ちを生前伝えられればどんなに良かったことかって今でも良く思います。

 


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