笑わせるには

2004-11-30 20:39:22 | Weblog
他人を笑わせるにはいろいろなパタンがありますが、重要なことは頭の柔軟さのようです。猫が話題なのだとすれば、どこまでも猫で話を進めたのでは猫についての情報は深まるものの、笑うことはできません。猫だったら、そうですね、クマとか恐竜とか人事課の佐藤君、などという極端に離れたもの、普通は同時には連想し難いものをパッと思いつくことが必要です。連想したものがその場の雰囲気にマッチしたものであれば最高です。始業の合図のサイレンを「魔笛が鳴ってる」と言ったような例は、かなり良い線を行っていると思います。
もう一つの方法は、話題になっているものを極端に肥大、または逆に縮小させることもいいようですね、たとえば猫ならば猫を人間の上に置くとか、猫を大統領の上に置く、というように関係をうんと肥大させるという手です。これもなかなか難しくて、その場の雰囲気に合っていないと、逆効果です。
もう1つの方法は、ある特定の人物とミスマッチの関係にある動物や考え方などを使う、という方法です。これは細心の注意を払わないとその人物を傷つけることになります。よほど自信があって、それを言われた本人も気にしないような仕組みを作ってからでないと使わないほうがいいだろうと思います。

ともかく、日本の職場の多くは陰湿で心を開く場面が少ないでしょう?職業上のエネルギーの大半を人間関係で使うなんて、本当にバカげてます。こういう場に笑いの術を知っている人が入ると職場の雰囲気が一変します。開かれるのですね。夜仲間たちと街へ繰り出して酒を飲んだところで、仲間どうしの悪口を云い合っているようではストレスが増すばかりで、百害あって一利なしですね。

笑いの天才

2004-11-30 18:24:49 | Weblog
昔の同僚に「笑わせる天才」が居りました。鉛筆でもチョークでもそこら辺にあるものをネタにして人を笑わせるのですね。彼は「人生の8割は冗談でいいんだ」と豪語して、実際自分でもそれを実行しました。何十年ぶりかで定年退職した彼に会いましたが全然変ってない。相変わらず冗談の連続です。冗談を1つ1つ取ってみてもそれほど面白いものではないみたいなんです。彼はその場の会話の空気を冗談にしてしまうみたいなんですね。頭の回転は抜群に速いのです。何が可笑しいのかを直ぐに見抜く・・・私みたいな鈍重な頭ではなかなかついてゆけません。
だいぶ前のことですから具体的な例はあまり覚えてませんが、たとえば始業を知らせるサイレン(その学校ではベルでなくサイレンで時間を知らせてました)が鳴ると「あ、魔笛だ!」と言って職員室を出てゆく。こちらは可笑しくて笑いが止まりませんでした。始業のサイレンとモーツアルトねえ・・・・。もっとも、彼の周りが全部鈍重な人間ばかりで、そういう咄嗟の冗談を全く理解しないような人間ばかりだったら、たぶん彼もそういう冗談は言わなかっただろうと思います、笑いには、聴衆がいかに大切か、ということですね。いつものことですから、我々も理解してどっと笑う、という雰囲気がありました。笑う、笑わせる、というのは本当に難しいものだと思います。でもそれがない人間関係は、自分を蝕んで行く。それはそうですよ、面白くありませんもの。自分だけでなく、他人に辛く当ったりして周囲をも蝕んで行く。互いに蝕み合っている・・・。そんな職場、皆さんの所にありませんか?もしあったら、笑いを研究するといいですよ。笑い、といっても、smile ばかりではなく laugh(laughter)の分野の笑いが職場には必要ですね。目を吊り上げて、「教育の効果的推進には・・・・」などと年中やってる学校は潰れます。

英語で「笑う」

2004-11-29 21:36:46 | Weblog
最近「笑う」ということについていろいろ考えております。なぜ笑うのは人間だけなのか、とか、ですね。
そこで、さっそく英辞朗、その他の辞書を引いてみました。英辞朗には何と289件もの用例が載っております。その中心となるのは、もちろん laugh(laughter) です。あとは smile, chuckle,
grin, giggle などがボチボチ、というところですね。どうも「笑う」の英語での中心語は laugh のようです。それにいろんな修飾語句をつけて、無限とも言えるほどの「笑い方」を言い表すことができるようです。
それにしても、「笑う」に相当する英語は多いものですね。いわく、laugh, smile, giggle, chuckle, grin, guffaw, sneer, simper などは学習辞典にも載っておりますし、マイナーな(?)笑い方では、snart, snicker, titter, twitter, whicker, smirk なんていう語が英辞朗には載っております。覚えきれませんね。

笑いを分類するにはいろんな方法があるでしょうが、善意の笑いと悪意の笑い、に2分することもできるでしょう。sneer などはどうも悪意の笑いの部類に入るようです。善意の笑いの代表例はsmile でしょうね。
しかし、もっと大きな観点から眺めると、「笑い」は laugh 族と smile 族に分類できるのではないか、というのが私の感想です。

まず laugh をロングマンで引くと次のように出ております。
laugh:to make the sounds and movements of the face that people make when they think something is funny
つまり、「音を発すること」と「顔の筋肉を動かすこと」がlaugh の条件のようです。
次に smile です。同じロングマンを使います。
なお、名詞としての smile の定義から入ります。
smile:an expression on your face in which your mouth curves upwards to show that you are happy, amused or friendly, etc. とあります。顔の筋肉は動かしますが、音を出すことは必要ないようです。いや音を出しては smile ではないのかもしれません。
この、「音を出す」と「出さない」は大きな違いだろうと私は思います。笑いの発生から見るとどちらが先なのでしょうね?laugh が先なのか smile が先なのか?全くの独断ですが、私は laugh が先なのではないか、と憶測しております。笑い、とは元々は声による意志伝達の一種だったのではないでしょうか?声を出すlaugh が人間社会の中で定着した後で、エネルギー節約の原理に基づいて声を出さない smile の様式が生まれたのではないでしょうか?「私はあなたに敵意は持っておりません」という意志伝達なら、必ずしも声は要らないでしょう?かくして、laugh を元にして smile も一家を成すまでに次第に成長したのでしょうね。

「1000円、お預かりします」を聞きました!

2004-11-29 19:14:21 | 英語
 前にこのブログで「1000円からお預かりします」という表現を問題にしたことがありました。
これはたぶん企業用語でマニュアルにも書いてあるのだろうからどんなことがあってもこの表現を止めてもらうことはできないのだろうな、と思っておりました。ところが、最近、「1000円からお預かりします」が発生した(と噂される)巨大スーパー系のコンビニで、何度も「1000円、お預かりします」を聞きました。これは驚きそのものでした。今日も聞きました。これを言うのは主に中年のオバサンです。というより、なぜか私の周りのコンビニでは昼間はオバサンが多くなったようなのです。
「1000円、お預かりします。」ただこれだけのことですが、その新鮮な響きは大変なものです。大袈裟ですが、「しばらくぶりで本当の日本語を聞いた」という驚きでした。私は改めてこのコンビニが好きになりました。別に私のブログ読んだためではないでしょう!?どこかで何かが変わっているのかも知れません。
 それに加え、今日はそのコンビニで「本当に寒いですねえ」という業務用ならざる挨拶を聞きました。こちらも当然「全く参りますね」と返答する。これだけで雰囲気がガラリと変るものですね。当然、明日もこのコンビニで買おうという気になります。言った店員さんは、やはり中年のオバサンでした。
石頭は使うな、と言いたいですね。Sコンビニでも、まさか雑談的挨拶まで禁止しているわいけではないでしょうからね。

I like a book. / I like books.

2004-11-28 20:34:02 | Weblog
冠詞の a が一般的に「~というもの」を指す場合には I like a book. のように目的語にはできないことは基本的なことです。かならず I like books. と複数にしなければなりません。ところが、自動翻訳機械にとっては、この弁別はかなり高級なことらしいのですね。
ある翻訳サイトで、「私は本が好きです」と入れてみたら、ばっちりと、I like a book. がたった1つ出てきました。これは、「本」が文全体とは別に a book と訳され、それに I like がくっついた、という非常に平面的な処理しかできないマシンだったためです。現在の翻訳マシンのレベルはこの程度なのでしょうか?私はいろんな翻訳サイトを知ってるわけではありませんので、こういう場合に、I like books. を出してくれるサイトがあるのかもしれません。私の素人考えでは、こういう場合、機械の側としては、a book と books の両方を用意しておいて、これらが I likeの次に入った場合は自動的に books を選ぶようにするのはそう難かしいことではないように思いますがどうなんでしょうね?

理想的なALTとは

2004-11-28 17:08:05 | Weblog
前の稿で、まるで他人ごとのようにALT論を展開しましたが、これは空論ではなくて私の実体験によるものです。
私はそれまでALTとのTT授業などやったことはなく、やる前にはいったいどういうことになるのか、期待よりは不安の方が大きかったのを覚えてます。私が居た学校はいちおう「受験校」の部類に入る高校でした。ですから、たださえ少ない時間をTTのような遊び的時間に取られどうするのだろう、という不安があったわけです。
でも幸い実際に現れたALTは実に素晴らしい青年でした。出身はオーストラリア、で赴任当時は年齢は22歳くらいだったと記憶しおります。
彼は私の英語力を直ぐに見抜いたらしく、自分主導の授業を始めてくれました。内容はゲームを主体とする遊びでした。でもそれは素晴らしいものでした。常に40人もの多数の生徒が全員参加できるようなゲームをもってきてくれました。生徒は、その時間遊べるし、なおかつホンモノの英語を聞くことができるというので大喜びで50分などあっという間に過ぎるほどでした。これは生徒の英語学習にとって何よりの incentive になったようです。遊びに見えながら本当の学習でした。
私もずいぶん英語表現で質問して彼を悩ませました。生徒はさすがに職員室に遊びにくることはありませんでした。どう話しかけていいのか分らないのですから、それも当然です。それを察知したそのオーストラリア青年は、廊下に「***への質問箱」というのをぶら下げてみたところかなりの生徒が下手くそな英語ながら英文の質問を投稿しておりました。ALTとの理想的に近い関係だったと思います。それも90%までそのALT青年のお人柄に負うものでした。日本語の習得にも熱心で、帰国する頃までにはかなり多くの漢字を覚えてゆきました。ALT採用に当っては細心の注意を払うべし、という好例だろうと思います。


私のALT論

2004-11-28 16:46:01 | Weblog
ALTが入って上手く行っている学校と上手く行かない学校があるようだ。ここでは高校の場合だけを取り上げる。
まず高校におけるALTの1つの問題点は、日本の高校で流布しているような学習文法をマスターしてきているALTはほとんど居ない、ということである。5文型さえも知らないALTがほとんどだろうから、学習英文法の知識を必要とするような授業には使うべきではない。生徒が混乱するばかりである。次に、There is a pen on the desk. 程度の文も理解できない生徒が集まった学校はワンサとある。このような学校でALTを導入すること自体疑問であるが、どうしても欲しいのであれば、英語による遊びに徹するべきだ。英語を教えようなどと考えたら生徒はいかにALTであろうとソッポを向くに決まっている。風評によれば、中学校などではせっかくALTに来てもらったのに生徒にソッポ向かれて困惑している所があるらしい。ALTといっしょに「授業」しようと思ったのがそもそもの間違いだろうと思う。日本式の講義式授業の中でALTを使うならば、生徒に飽きられるのは目に見えている。
どうしても講義式授業の中でALTを使いたいのならば、ALTには「読み」だけを頼むべきだ。

次にALTに過大な期待をかけるべきではない。そもそも数十人のクラスで一斉授業をやる中でのALTであるからよほど優秀な方でない限りその指導力には限界がある。

最も大事なことは(ALTの個人的素質による所が多いけれども)ALTと生徒とを友達にすることだと思う。片言しか通じないにしても、休み時間に何となくALTの所に遊びにゆくような形にしないと何のためのALTか分らない。そのためには前提条件として日本人の英語教師がALTと話す努力をしなければならないだろう。「****を英語では***と言うと思うのだけれどもそれでいいのか?」というような質問をジャンジャン浴びせかける熱意が必要だ。そのためには日本人教師の方が絶えず勉強して問題を抱えていなければならない。他の教職員の前で恥ずかしいから、などと称して話さないように逃げているなどはもっての他である。日本人の英語なんてだれでもひどいものです。英語教師ならごくわずかながらマシだろう。誇りを持っていい。



笑いの起源は?

2004-11-27 12:44:33 | Weblog
イヌもネコも人間様のかかる病気のほとんどにやはり罹ると言いますね。先日はネコの尿道結石の記事を読んでびっくりしました。こんな高級な病気にかかるのか、と思ったわけですね。

イヌもネコも人間に似た点はすごく多いようですが、笑うのだけはどうも人間だけのようです。動物は笑いません。ネコはある特殊な条件ならば笑いに似た表情を見せる、という説がありますが。
言葉ならば、インコなどは喋りますから人間と動物を分ける決定的な要因とはならないのではないかと思いますが、笑いだけはどうも人間だけのようです。「はじめにことばありき」ではなくて「はじめに笑いありき」が真相のようです。
笑う、というケッタイな動作はいったいいつから始まったのでしょうか?チンパンジーは笑わないらしいですね。では、原始人は笑ったでしょうか?どこかに原始人の笑いを録音したCDが残ってますか?たとえば、北京原人は笑いましたか?クロマニョン人は笑いました?ホモ・サピエンスが現れて、直ちに笑いましたか?

考えると、笑い、って人間の生存に寄与するところが甚だ少ない動作でしょう?笑うと死ぬのを免れた、ということはありますか?ムダなエネルギーは使わないというのが生物の生きる上での原則でしょう?ところが人間だけは「笑う」とか「考える」とか、一見生存に関係ないような行動をする。これは不思議ですね。
「笑い」の発祥は、やはり仲間どうしのコミュニケーションの一種だったのではないか、と私などは考えます。「おい、佐藤」だけでは、相手に「威嚇」ととられてしまう可能性がある。それで、(パソコンの顔文字みたいに)「アッハッハ」を前にくっつけたのではないでしょうか?じゃあ、疑問が出てきます。「アッハッハ」が「威嚇」の表現ではなくて「親和」の表現である、という共通理解はいつごろから流布したのでしょうか?だって、下等なサルならば、歯を見せることは「威嚇」の表現でしょう?歯を見せないで笑うことはできませんからね。
笑いの発祥は、言葉の発祥に負けず劣らず不可思議であって奥深いもののように感じます。それゆえに、笑いはよほど人間存在に根源的に関わっている動作のように思われるわけです。
ところが、我が日本では、この笑いが減ってきたようです。ま、そもそも武士はあまり笑わなかった階級とされておりますが、時には無礼講などと称して思い切り「ガス抜き」をやったみたいですよ。けっきょく、ごく最近までは、笑いの総量は男女貴賎を問わずほぼ同じで経過してきたように思いますが、違いますか?その笑いがどうも薄くなっているような気がするのは間違いでしょうか?皆さん、硬直していらっしゃる。「斯くあらねばならない」という思考形態がいろいろな活動分野で幅をきかせるようになっているようです。たとえば、教育
の分野ではそうですね。だから笑いも少ない。ひょっとしたら、豊かであることは笑いをあまり要しないことなのかもしれません。すべて達成されてしまったら、前進、希望、努力、などというd>動きは必要ありませんものね。笑い、などという動きも必要ありませんね。
動かなければ人間は半分死にます。最近のNEETという現象も豊かであるが故の動きの停止、と関係ないのでしょうか?

もっとも、私は今の日本が豊かである、とは全然思いません。極貧ではないけれども貧しいなあ。モノもカネも溢れているけれども貧しいなあ。そう思いませんか?

ネコの自由

2004-11-27 08:02:37 | 英語


我が家に3匹の野良ネコが出入りしている。野良ネコとはいっても未だ生まれてから10ヶ月くらいで子供だ。いつも来るオスの茶色のトラネコが外に座っていて寒そうだったので試みに戸を開けてやると珍しく入ってきて、カーテンにくるまって暖まっている。ところが数分経ったらもう外へ出たがって室内をうろうろして出口を探し出した。もう必死だ。
そうか、野良ネコでこの寒空で寒風に晒されているいるにもかかわらず暖かさよりは自由が欲しいか?どうもそういうことらしいのですね、
人間はどうかというと、やたらと自由を欲しがって、自由を購うためにカネを貯めたりしている。でも現実に自由を手に入れると、数週間が限度のようですね。身体を置く場所がなくなる。
そして、けっきょくは檻(オリ)を探す。たとえば職業という檻とかボランティアという檻を探してそこに安住する。私の経験では、自由2割、檻8割、くらいがちょうどいいようだ。定年退職すれば自由100に檻0になる。さあ、そうなると大変だ。職についていた頃はあれほど苦しめられた人間関係を自分から探し始めるではないか?!人間関係ほど苦痛な檻もないのを重々知りながらその重苦しい檻を求めていろんなカルチャー教室に通ったりする。現役時代に他人とうまく折り合えなかった人がカルチャー教室なら和気藹々と他人と付き合える、と言う状況は考え難いのだけれどもね。
人間、って本当に度し難い生物ですね。常に無いものを求めずにはいられない。檻がなくなれば檻を求め、自由がなくなれば自由を求める。この「檻と自由・シンドローム」は死ぬまで直らない。そんな人間を横目に見ながら、野良ネコはひたすら自由を満喫して楽しみ、寿命が来れば何の未練もなく死んで行く。とても品位ある生き方だ、とは思いませんか?

英辞朗、その他

2004-11-26 23:06:16 | Weblog
私はある所で高校生たちに英語を教えております。今日がいちおう最後の授業の日だったので彼らがどれくらい英語のサイトを知っていて、それを活用しているかを知りたかったし、もしあまり知らないようだったら教えておこうと思いました。愛すべき連中ではあるけれども英語の成績は今一歩みたいな連中です。
でもさすがPC時代の子供たちであって、彼らのサイトの知識は想像以上だった。英辞朗なんてほとんど全員知っている。知ってるだけではなくて使っている。それならば英語がもうちょっとできてもよさそうなもの、とは思うが、英辞朗を知りかつ使っていることは偉大である、と評価しなければなりません。RNN時事英語辞典も知ってました。これは英辞朗ほどは活用されていないみたいでした。Exciteの翻訳サービスは全員知ってました。すごいすごい、感動しましたね。