"early voting"

2008-10-30 15:38:27 | Weblog
アメリカは「期日前投票」で沸いております。
その「期日前投票」を英語では、あっけらかんと”early voting"といいます。これは勉強になりました。英語では、時にひどく易しい表現を使いますね。いや、日本語がカッコつけて四角張った表現を使いたがるのかもしれません。「期日前投票」という表現は日常会話レベルでは決して易しいとは言えませんからね。

腹が減ること

2008-10-28 09:15:30 | Weblog
まもなく11月だ。11月23日は今では「勤労感謝の日」であるが、元々「新嘗祭」(にいなめさい)という皇室の行事だった。要するにその年に採れたお米を神に感謝するための行事だった。

食べられることを神に感謝することの裏には空腹と飢えがあった。ごく最近まではそうだった。

小学校2年か3年頃、つまり太平洋戦争の末期の頃、食べ物事情が最悪だった頃のことだ。給食などは無かった時代である。誰でもがアルミの弁当を持参して登校していた。昼食の時間になると「徴発」という行事が毎日のように起った。「徴発」とは強い者が人民から物資を取り上げる行為のことである。小学校の昼食時の「徴発」とは、内容の貧しい弁当を持たされた生徒が豊かな生徒の弁当から目ぼしいオカズを取り上げることである。(もちろん担任の先生が居ない時にやるのだ)
私などは「豊かな生徒」に入っていたらしく、毎日のように「徴発」の犠牲となった。焼きタマゴとかシャケなどは彼らの好物だったようだ。さすがにメシまで取り上げることはなかったけれども。
そういうことをする生徒は我が町の特定の一区画に住む貧困層の子供であることは私も知っていた。だからキリスト教的理屈からすればそういうお気の毒な生徒に食べ物を分け与えるのは当然のことだったかもしれない。しかし、せっかくの美味しいオカズを取り上げられるのは不愉快だった。
皆が弁当を食べ始めると、そういう腹を減らした乱暴者は「チョーハツ!」と叫んで自分の弁当箱を片手に堂々と座席の間を廻り始める。富裕層たちも弁当箱を手で覆ったりして抵抗するけれども、それはムダだった。容赦なく箸を突っ込んでシャケなどを持って行くわけだ。!
乱暴で不合理な行為ではあったけれども、今思い返してみると何やら陽気な行為だった。貧しい弁当の故の陰にこもった雰囲気は感じられなかった。陽気に堂々と「チョーハツ!」なのだ。
これも今思えば彼らの屈辱感の裏返しだったに違いない。空腹に勝てなかっただけである。自分を支えるには乱暴な陽気さしかなかったのだろう。そして「チョーハツ」される我々にとってもその陽気さ乱暴さは救いだったはずだ。たとえば、逆に、小さな声を震わせて「そのシャケいただけませんか?」などと迫られたらずっと陰惨な思い出として今も残っていたに違いない。
「チョーハツ!」はそれなりに良い思い出であって、やった側もやられた側もそれぞれ人間を造る基礎になったように思う。

今はその貧困層の集まっていた地区はすっかり都会化して昔の面影はない。乱暴者たちは、その屈辱感をバネにして一生を築き、今頃はどこかで好々爺として暮らしているに違いない。

それにしても、腹が減ると人間は思い切ったことをするものだ。



どの本をどこに置くか?

2008-10-23 14:49:40 | Weblog
本の収蔵場所が狭いので困る、と書く文人が多いですね。亡き司馬遼太郎さんの物凄い蔵書は別格として、たとえば中野孝次さんなどそうですね。中野さんほど活動の守備範囲の広い人なら当然の話です。

ところで、私のように知的に怠惰な者でもある程度の本は読みます。でも、ある本をどこに置くか、によってその日の読書生活はまるで違ってくるのですね。たとえば朝一番で机の上に「おくのほそ道」を出して置く、とします。そうすると、その日は芭蕉関連の読書で終わることが多いですね。
または、ラムの”Essays of Elia"の原書を最初に手に取ると、その日は「エリア随筆抄」などで始まることが多いようです。

朝一番で手に取る本がその日の読書生活を決めるのだとすれば、本にグレードをつけて、グレードの高いものを一番手に取りやすい場所に置くのが常道でしょう。でも・・・・本にグレードをつけるのは私自身であって、それもその日の朝の気分次第で変わる、のですから、一般論はここでは通用しません。

したがって、本の配置はアバウトである方がよろしいようですね。たとえば、右上の方は中国の古典を、左中央あたりには英語の原書を、右中央にはシェイクスピアを・・・などという具合で、いずれも雑然と並べておきます。番号をつけるなどとんでもありません。単なるアマチュアはアバウトに徹するのがよろしいようです。

人気のある都市は?

2008-10-21 19:27:39 | Weblog
アメリカのある旅行情報誌が行った「読者が選ぶ人気都市」という企画で、アジアの人気都市のベストスリーは、バンコク、チェンマイ、香港で、日本は京都が5位、東京が8位だったそうです。(ヨーロッパではフィレンツェ、ローマ、ベネチアがベストスリーだったそうです。)
この結果は日本人の感覚とは多少違うように思います。欧米の旅行者の多くは旅行の経済性をウンと重視します。旅行の楽しみは買い物だけではない、ということなのでしょう。ホテルなど、グレードを落とせば日本の半分以下で済みますからね。あとはバンコクがあまり気取らない都市であることも人気の秘密ではないでしょうか。日本の京都も東京も経済性ではとてもお話にならないし、変に気位も高いでしょう?日本文化に対するプライドが介入するからでしょう。

歌舞伎座、建て替え

2008-10-20 20:47:58 | Weblog
歌舞伎座が平成22年4月の公演を最後に建て替えられることが歌舞伎座経営母体の松竹から発表されたそうです。これは驚きました。たしかに歌舞伎座は見るからに老朽化しております。たとえば一幕ものを見るために急で危険な階段を4階まで登らなくてはならないわけで、ここにエレベーターを設置すれば非常に助かりますね。
建て替え中の公演は新橋演舞場を主として方々に分散して行う、ということです。

 

原油値段は・・・・

2008-10-18 16:28:11 | Weblog
原油の値段が下落しております。先日は145ドル位まで上昇したのが丸でウソのようで、今日は70ドル台になりました。半値、ということですね。OPECは値下がりを食い止めるために近く総会を開いて減産に踏み切るつもりのようです。できれば減産などやってほしくはないのですが、産油国にとっては原油の値段は死活問題なわけで、どうしようもありません。
今後の値動きについてはいろんな説があって、50ドル台まで下がる、という予測もあるようですが、それはどうでしょうね?ま、70ドル前後で止まってくれるならば世界経済のためにも(たぶん産油国にとっても)大きな貢献となるでしょう。

イモ畑に代執行

2008-10-16 19:45:24 | Weblog
今日大阪府門真市で第2京阪道路の用地として保育園の畑に行政代執行をかけ、強制収用する、という「事件」が起きた。

これは考えたくもない事件である。というのは、大阪府の立場に立つかそれとも保育園の立場に立つか、によって考えが180度違ってくるのである。マスコミは例によって「正義の味方」となって断固保育園の立場に立っていた。このサツマイモ畑は園児たちが丹精して育てた土地であって、もう2週間後に収穫する予定だ、と主張し、園の関係者や保護者の一部は体を張ってでも阻止する構えであった。カメラはその様子を克明に写していたが、代執行者は悪、保育園は善、という構図が見え見えだった。これはフェアではない、と私などは感じる。ここは道路予定地であることは春から通知してあったことで、今代執行を2日遅らせるだけで億という金が飛ぶのだそうだ。どうも双方のコミュニケーションがよくとれてない感じではあるけれども、道路予定地と決まった場所にサツマイモを植えるのは賢明とは言えないように思う。時期が来たから代執行を実行すると、それを阻み、行政を悪と印象づけるのはいかがなものだろうか。これに幼児の泣き顔を絡ませるのはさらに卑怯な行為ではなかろうか。

しかし、住民も木石ではないのだから、せめて1日でも代執行を遅らせて説明に費やすことはできなかったのだろうか。

なお、幼児には「世の中にはこういうこともあるのだよ」と言いきかせるのも親たちの重要な務めだと思う。何もかも自分の言い分が通るのだ、と理解してオトナになったら、それは大変なことではある。
 

小澤征爾 は後期高齢者に・・・

2008-10-15 09:17:52 | Weblog
小澤征爾氏は75を過ぎて「後期高齢者」の仲間入りをしたそうです。あの万年青年も役所の規定によれば、そういうことになるのですね。
ところで最近はますます元気溌剌でやっておられるとのこと。
あるブログによりますと、先日は中国のスター的存在であるユン・ディ・リ氏とプロコフィエフのピアノ協奏曲の練習をやったそうです。(ピアノ協奏曲第何番かは分りません)これは物凄く速い曲なのですが、指揮者小澤もソリストユンも丁々発止の練習風景だった、とのこと。
指揮者は一般に長命で、老齢になるまで元気である傾向はありますけどね。それにしてもすごいことです。

スターバックスのこと

2008-10-12 19:44:32 | Weblog
スターバックスというチェーン店が好きだ。理由は、まずコーヒー店としては肩の凝らない雰囲気が良い。ここで仕事をしているビジネスマンも見かける。
さらに、外の街路を見ながらコーヒーが飲める構造が良い。コーヒーの味はまあまあだけれども、コーヒーに凝る趣味は持たないのでこのくらいの味で十分だ。ネダンも安い。

スターバックスはシアトルで始まった店だそうだ。「スターバック」という名称だが、どこかで聞いた名だと思っていたら、何とメルビルの小説「白鯨」に登場する航海士の名前なのだ。洒落た命名ですね。あとはシアトル近辺の場所の名前も絡んでいるのだそうだ。

東京に行くと、先ずはどこかのスターバックスでコーヒーを飲んで精神統一する。これが良い。私にとっては一つの文化である。
別に「スターバックス」という企業の宣伝として書いたつもりではない。誤解のないように。



ヨドバシカメラ

2008-10-12 19:01:17 | Weblog
先日上京した折、新宿で1時間くらい時間をつぶすことになった。ところがどういうわけか自然に西口に出てしまう。西口から外に出るとごく自然にヨドバシカメラの界隈に出てしまう。街がそういう構造になっているらしい。

新宿西口のヨドバシカメラを訪れるのはたぶん35年ぶりだろう。ここがヨドバシカメラ本店である。巨大な高層ビルに改築することなく、昔のままのただずまいなのが嬉しい。そうそう、35年前に登った狭い階段もそのままだ。置いてある商品は違うけれども。

今のようにデジタルカメラ全盛時代の前は、カメラファンにとってヨドバシカメラは特別な店だった。ここに来ればカメラに関するモノは殆ど何でも揃うのだ。カメラはもとよりフィルムや現像用器具や薬品の類も何でも手に入った。たとえば、その頃は田舎のカメラ屋ではコダックのトライエックスなどという白黒フィルムは入手困難(不可能?)だった。それがここにはいくらでもゴロゴロしている。エクタクロームなどのリバーサルフィルムも置いてあった。さらに「長尺フィルム」まで置いてあった。何十メートルかのフィルムで、使う人は自分でカラのパトローネに巻き込む。面倒でも経済的ではあった。
そのカラのパトローネも、ミカン箱か何かに入れて無造作に置いてある。客にタダでくれてやるのだった。

あの頃は写真にはそこはかとない詩情が漂ってましたね。その詩情の元締めがヨドバシカメラだったらしい。この店で買い物する目的だけで何度も東京に来たものだった。今度は買うべき物が何も無かったので、何も買わずに店を去った。近くにスターバックスの店があったので、アイスコーヒーを一杯。