津波関連英語

2004-12-31 18:06:37 | Weblog
津波・地震関連の英単語を少し紹介します。(RNN時事英語辞典から拝借しました)

*active fault
活断層
*aftershock
余震
*death toll
死者数
*fault
断層
*focus
震源
*hypocenter
震源
*magnitude
マグニチュード
*near-field earthquake
直下型地震
*North American Plate
北米プレート
*Pacific Plate
太平洋プレート
*plate
プレート

tsunami 世界語になる

2004-12-31 17:46:28 | Weblog
「津波」を和英辞書で引くと"tidal wave"と出てきます。しかし今回の大津波で英字新聞が好んで使ったのは"tsunami"でしたね。さすが津波先進国発信の言葉だけあります。

日本語はどこへ行くのか  今年を振り返る

2004-12-29 21:11:25 | Weblog
言葉の話題なら何でも、と乗り出したのはよかったけれども、それほど話題が続くものではないようです。未だ満1年も経たないのにすでに息切れしております。
一番の関心は、いったい日本語がどこへ行こうとしてるのか、といういことです。まず全般的なことですが、ニートという階層の出現にも見られるように、日本人のバイタリティが失われつつあるのではないか、という懸念があります、日本人のバイタリティが失われれば、日本語のバイタリティも失われるのかもしれません。
口語日本語だけをとりあげますと、たとえば助数詞がじわじわと失われつつあるようです。助数詞が全部失われることはないとは思いますが、半世紀くらいのスパンで考えますと、助数詞に関して日本語は全然別もののような言葉に変わっている可能性もあります。豆腐一丁はすでに消えました。羊羹一竿も消えました。次に消えそうなのは何ですか?消え方が思わぬ方向から来る可能性もあります。「入院一回」と言うべきところを「一入院」とか「一病院」などと言う、という話を聞きました。これが良い方向なのかどうか、それはわかりません。

次にマニュアル敬語の固定化が進みそうです。マニュアル敬語は、企業で作るものですから、そういう意図があれば作っては固定する、ということが可能です。
「~お預かりします」はすでに固定してしまいました。(今なら破壊することもできそうですが)
「~させていただきます」もすでに固定してしまい、こちらの方は上層部も使うのでとても破壊できそうにはありません。マニュアル敬語は日本語の活力を弱めるだけでなく、日本語の一部を歪曲するものです。

来年も皆さん、日本語を勝手にモニターすることを続けましょう。だれのためでもありません。我々自身のためですが・・・・。ではひとまず、良いお年を!

ネパール語講座(4)

2004-12-27 20:32:16 | Weblog
今日は「これ」「あれ」の類の指示詞と呼ばれるグループを紹介したい。

yo=this, tyo(ティヨ)=it, that
yahan(ヤアーン)=here, tyahan(ティヤアーン)=there
ahile(アイレ)=now, tahile(タイレ)=then

等々である。h は母音の前では黙字になる。

使用例を挙げる。

japanma kahile pharkane? = When are you going to return to Japan?
*japan 日本 -ma は「~へ」を表す後置詞。kahile いつ  pharkane(パルカネ)帰る

これも日本語と語順が全く同じで覚えるのが楽です。

庄内弁講座(10) 

2004-12-27 20:16:22 | Weblog
「つらつけね」は「鉄面皮」「図々しい」の意味である。なにやらその響きの中にこれぞ庄内弁、というものが感じられる言葉なので最近までこれは庄内だけの言葉ではないか、と思っていた。実はかなり東北の広範囲で使われている言葉と知ってがっかりしたものだった。語源は「顔を付けていない」という意味ではないか、と言われている。人間の尊厳を現す「顔」がなくなって図々しくタダ酒を飲んだりする行為をするヤカラに使われるようである。「あのダダまだおらいさあがて酒のんで酔っ払って寝でしまて、つらつけねごどのお」と来る。「あのおじさん、家に上って酒飲んで酔っ払って寝てしまったの。図々しいことね。」というわけだ。なお、たぶんこれも廃語であろう。

ネパール語講座(3)

2004-12-26 20:46:09 | Weblog
ネパール語はインドヨーロピアン語族の1つなので、英語と同じように指示代名詞とかbe動詞があって、これを覚えないと、片言のネパール語になってしまします。
今日は疑問詞の一覧を書きます。

ke=what, ko=who, kun=which, kahan=where, kahile=when
これくらいなら1日で覚えられます。ただ文の中で使えるかどうか、になると話は違ってきます。
例をあげます。

tapainko nam ke ho? = What is your name?
*tapain は「あなた」、ko は所有を表す接尾辞(後置詞)です。nam は「名前」
ke は「何」、ho は英語の3人称にあたる動詞です。語順が日本語をそっくりの文、非常に楽です。

tapainko ghar kahan ho? = What is your country? = What country are you from?
*gharはガールと発音します。kahanのhは黙字でカアーンと発音します。
この文も語順が日本語と全く同じです。

福島弁講座(4) こっざがね

2004-12-26 17:23:55 | Weblog
「こっざがね」は、語感の汚さでもなかなかのものです。どういう意味なのでしょうか、たぶん「バカくさい」「アホくさい」という意味のようです。福島に住んで長くなり、この言葉も何度となく耳にしますが確たる意味が未だよくわからないんです。物事を貶す言葉であることは確かです。意味がよく分らないままで私自身も使うことがあります。
「こだなこっざがねもの買ってきて!」などと言います。「こんなバカらしいものを買ってきて!」という意味だろうと思います。
語源ももちろんわかりませんが、ひょっとすると「小賢しい」と関係あるのかもしれません。
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***さん

2004-12-26 09:38:41 | Weblog
人を呼ぶ時につける「***さん」というのは、昔は「***様」であって、グレードの高い尊称だったらしい。それが時代と共にグレードが下がって、今では尊敬語のうちに入るものの、グレードは最も低いものになってしまった。グレードは低いものの男女だれにでも使える、という利便性がある。そこで最近の会社(それも大会社)では互いを呼ぶのにおしなべて「***さん」を用いる処が多くなったそうだ。上司が部下にも使うし、部下が上司にも使う。かつての「課長」「部長」は影をひそめた処が多い、という。これは良いことなのかもしれない。でもね、助数詞が姿を消しつつある世の中だから、他人に尊重をつける習慣もなくならないという保証はないだろうと思う。互いに呼び捨て???
何かゾッとするような風景だけれども・・・・。

ブザンソンのスーパーでの体験

2004-12-25 21:20:35 | Weblog
やはり野口恵子さんの「かなり気がかりな日本語」からの引用である。
フランスのブザンソンという地方都市での体験だそうだ。
レジのおばさんが仕事をしながら野口さんの目を見て次々に日本のことを尋ねたり、知っている限りの日本語を言ってみせたりした、というのである。もちろん、「こんにちは」「ありがとう」「さようなら」を添えてである。だから当然仕事は遅れる。行列が出来てるのだが、他の客は別にイライラする様子もなく待っていたそうだ。
たしかに効率は悪い。しかし、一度ここで良い印象を得た客はリピーターとなって何度でもここを訪れることだろう。
日本のスーパーは効率は極めて良い。良いけれども非常に殺風景だ。それはそうですよ。カネとモノとだけに注意が行っていて人間はただのロボット扱いなのだから。これも、経営者がいったん自覚して、この逆に(フランス式に)しようと思えば、あっと言う間にできることなのだ。私は前からこのブログで主張している。マニュアル以外のことをしゃべれないような店員は採用するな、ということを・・・・。もしマニュアルで客との私語を禁止しているのであれば、これは由々しき問題だ。まさかとは思うけれども。スーパーを美容室みたいな雰囲気にせよ、などと主張しているのではない。互いに相手を人間として認め合う挨拶をしないとは何ということだ、と主張しているだけである。

スーパーで客が言うべき3つの言葉

2004-12-25 21:02:57 | Weblog
野口恵子さんの「かなり気がかりな日本語」によると、フランスのスーパーのレジで客が店員に対して言うべき3つの言葉があるという。その3つの言葉とは、「こんにちは」「ありがとう」「さようなら」だという。もちろん店員側もこの3つの言葉を客の目を見ながら笑顔で言うのだ、という。無言、無表情で入ってきて立ち去る客は間違いなく軽蔑されるそうだ。

別にフランスでなくたって、文明を持つ国であれば、この3つの挨拶は当たり前のことだろうと思う。別に道徳論ではない。現に、自分が買い物してレジで清算のサービスを大のオトナから受けているのだから互いに認識しあう挨拶は当然のことだろう。
どういうわけか、日本ではこれがない。レジで悠長に挨拶など交わしていたら、後から「早くしろ」などと罵声が飛びかねない。
ただし、私はこれを日本のスーパーのレジを非難するために言っているのではない。見てると、日本のスーパーのレジは忙がしすぎるようなのだ。品物を袋に詰めることまでレジの仕事になっているスーパーさえある。袋詰めなど客がやることではないか?忙がしいからレジは殺気立ってくる。とても挨拶どころではない。これは技術的な問題だからいくらでも改善する気があれば改善できるだろうl。根本的な問題は、最低限の人間としての交流さえやりたがらない、客とレジとの関係なのだ。音声は発せずに、モノの交流だけで済ませたい。これが今日本をひどく気分の荒れた国にしているようなのだ。