笑いの起源は?

2004-11-27 12:44:33 | Weblog
イヌもネコも人間様のかかる病気のほとんどにやはり罹ると言いますね。先日はネコの尿道結石の記事を読んでびっくりしました。こんな高級な病気にかかるのか、と思ったわけですね。

イヌもネコも人間に似た点はすごく多いようですが、笑うのだけはどうも人間だけのようです。動物は笑いません。ネコはある特殊な条件ならば笑いに似た表情を見せる、という説がありますが。
言葉ならば、インコなどは喋りますから人間と動物を分ける決定的な要因とはならないのではないかと思いますが、笑いだけはどうも人間だけのようです。「はじめにことばありき」ではなくて「はじめに笑いありき」が真相のようです。
笑う、というケッタイな動作はいったいいつから始まったのでしょうか?チンパンジーは笑わないらしいですね。では、原始人は笑ったでしょうか?どこかに原始人の笑いを録音したCDが残ってますか?たとえば、北京原人は笑いましたか?クロマニョン人は笑いました?ホモ・サピエンスが現れて、直ちに笑いましたか?

考えると、笑い、って人間の生存に寄与するところが甚だ少ない動作でしょう?笑うと死ぬのを免れた、ということはありますか?ムダなエネルギーは使わないというのが生物の生きる上での原則でしょう?ところが人間だけは「笑う」とか「考える」とか、一見生存に関係ないような行動をする。これは不思議ですね。
「笑い」の発祥は、やはり仲間どうしのコミュニケーションの一種だったのではないか、と私などは考えます。「おい、佐藤」だけでは、相手に「威嚇」ととられてしまう可能性がある。それで、(パソコンの顔文字みたいに)「アッハッハ」を前にくっつけたのではないでしょうか?じゃあ、疑問が出てきます。「アッハッハ」が「威嚇」の表現ではなくて「親和」の表現である、という共通理解はいつごろから流布したのでしょうか?だって、下等なサルならば、歯を見せることは「威嚇」の表現でしょう?歯を見せないで笑うことはできませんからね。
笑いの発祥は、言葉の発祥に負けず劣らず不可思議であって奥深いもののように感じます。それゆえに、笑いはよほど人間存在に根源的に関わっている動作のように思われるわけです。
ところが、我が日本では、この笑いが減ってきたようです。ま、そもそも武士はあまり笑わなかった階級とされておりますが、時には無礼講などと称して思い切り「ガス抜き」をやったみたいですよ。けっきょく、ごく最近までは、笑いの総量は男女貴賎を問わずほぼ同じで経過してきたように思いますが、違いますか?その笑いがどうも薄くなっているような気がするのは間違いでしょうか?皆さん、硬直していらっしゃる。「斯くあらねばならない」という思考形態がいろいろな活動分野で幅をきかせるようになっているようです。たとえば、教育
の分野ではそうですね。だから笑いも少ない。ひょっとしたら、豊かであることは笑いをあまり要しないことなのかもしれません。すべて達成されてしまったら、前進、希望、努力、などというd>動きは必要ありませんものね。笑い、などという動きも必要ありませんね。
動かなければ人間は半分死にます。最近のNEETという現象も豊かであるが故の動きの停止、と関係ないのでしょうか?

もっとも、私は今の日本が豊かである、とは全然思いません。極貧ではないけれども貧しいなあ。モノもカネも溢れているけれども貧しいなあ。そう思いませんか?

ネコの自由

2004-11-27 08:02:37 | 英語


我が家に3匹の野良ネコが出入りしている。野良ネコとはいっても未だ生まれてから10ヶ月くらいで子供だ。いつも来るオスの茶色のトラネコが外に座っていて寒そうだったので試みに戸を開けてやると珍しく入ってきて、カーテンにくるまって暖まっている。ところが数分経ったらもう外へ出たがって室内をうろうろして出口を探し出した。もう必死だ。
そうか、野良ネコでこの寒空で寒風に晒されているいるにもかかわらず暖かさよりは自由が欲しいか?どうもそういうことらしいのですね、
人間はどうかというと、やたらと自由を欲しがって、自由を購うためにカネを貯めたりしている。でも現実に自由を手に入れると、数週間が限度のようですね。身体を置く場所がなくなる。
そして、けっきょくは檻(オリ)を探す。たとえば職業という檻とかボランティアという檻を探してそこに安住する。私の経験では、自由2割、檻8割、くらいがちょうどいいようだ。定年退職すれば自由100に檻0になる。さあ、そうなると大変だ。職についていた頃はあれほど苦しめられた人間関係を自分から探し始めるではないか?!人間関係ほど苦痛な檻もないのを重々知りながらその重苦しい檻を求めていろんなカルチャー教室に通ったりする。現役時代に他人とうまく折り合えなかった人がカルチャー教室なら和気藹々と他人と付き合える、と言う状況は考え難いのだけれどもね。
人間、って本当に度し難い生物ですね。常に無いものを求めずにはいられない。檻がなくなれば檻を求め、自由がなくなれば自由を求める。この「檻と自由・シンドローム」は死ぬまで直らない。そんな人間を横目に見ながら、野良ネコはひたすら自由を満喫して楽しみ、寿命が来れば何の未練もなく死んで行く。とても品位ある生き方だ、とは思いませんか?