日本人と「フランダースの犬」

2007-12-29 16:01:48 | Weblog
童話「フランダースの犬」がかくも人気があるのは世界で日本人だけだそうだ。このことに興味を持ったあるベルギー人の映画人が「日本人とフランダースの犬」というテーマでドキュメンタリー映画を作って公開した、というニュースがつい先日新聞に載っていた。

ご存知の通り、この童話の主人公である15歳のネロ少年はクリスマスイヴの夜忠犬パトラッシュと共にアントワープの大聖堂に入り、そこでルーベンスの名画(キリストの降架)を見た後そのまま凍死する、という筋である。上のベルギーの映画人はこの大聖堂のルーベンスの絵の前で自分のドキュメンタリー映画を公開したそうだ。この場所で日本人の女性観光客が泣いているのを見たのが映画制作のきっかけだったという。

日本人と「フランダースの犬」、に興味を持ったのはこのベルギー人が最初ではない。故司馬遼太郎氏が「街道を行く」シリーズの「オランダ紀行」の中でこのことについてかなりのページを割いて書いておられる。司馬さんはご自分の考えを述べるのではなくて、児童文学の専門家の意見を伺っていた。つまり、まず、なぜ「フランダースの犬」が欧米で人気がないのか、であるが、これは15歳にもなった少年ならば運命に逆らってベストを尽くして生きてゆくのが当然ではないか、という理由によるものらしい。
なるほど納得できる説である。

上のベルギー人の映画人の考えでは、「日本には滅びの美学」の伝統があるから、という点が強調されている。これも大変説得力のある説である。なにしろ、歌舞伎の演目を考えても、人気があるのは義経伝説や忠臣蔵、その他、である。まさに滅びの美学というしかない。
義経が元気ハツラツ、生きのびて日本のある地に第二の王国を築いた、などという歌舞伎は想像することもできない。

しかし、これは「フランダースの犬」が日本でだけ人気がある理由のすべてではないように私は思う。
まず一つは司馬さんも言っていたように、「忠犬」というイメージがあるのだろうと思う。ハチ公を考えれば理解できる。
もう一つは日本人の奥深くに潜むある種の「ひ弱さ」が原因の一つなのではないだろうか。それにムラ社会が持つ根深い相互依存の感覚にも根があるのかもしれない。

「フランダースの犬」はアメリカではハッピーエンドの物語としてならば何度か映画化されているのだそうだ。でも、日本ではどうだろう?雄雄しく立ち上がって、パトラッシュを連れてどこかへとチャンスを求めて旅に出かける、などというプロットが日本人に受け入れられるだろうか?たぶんダメのような気がするのだが。






賀状を作る

2007-12-19 21:02:50 | Weblog
こんにちは。
今日やっと年賀状を書く作業にとりかかりました。なにしろ、未だ作業のキカイはワープロなんです。これが年に一回だけ登場するわけです。全身ゴミだらけのワープロの埃を払って動かしてみました。印刷がなかなか上手く行きません。どうやら紙を送るローラーが磨り減ってきたもののようで、葉書を重ねる枚数を微妙に調節する必要があります。ま、何とか必要最小限の枚数は印刷できました。
明日は一枚一枚にメッセージを書き込む作業が待ってます。ま、この作業だけが賀状の本質ですからね。
何やらカラフルな写真をプリントして現状を相手に伝える賀状が全盛のようですが、プリンターそのものを持ってないので今年は無理ですね。来年はぜひ挑戦してみたいものです。

本業をまじめにやってくれ

2007-12-13 08:42:43 | Weblog
宙に浮いた年金記録を今年中に照合する、と断言した桝添厚生相がどうやらギブアップした、というので民社党などの猛攻撃に遭っている。追求のあまり、与党側では「最後の一人まで」とか「最後の一円まで」と言ったとか言わなかったとか、そういう意味で言ったのではない、など、言語解釈にまで発展している。桝添さんや福田さんの釈明も、いかにも釈明のための釈明、という感じが見え見えで、どっちもどっち、実にレベルの低いやりとりである。
そもそも5000万件もの照合を数ケ月でやれるものかかどうか、それが不可能であることは素人でも分かる。やれるはずがないことを「やる」と表明したから国民も漫才を聞くような感じで聞いていたわけだ。それがいよいよやれないと分かって、それを言うと「公約違反だ」と騒ぐ。たしかに文字通りに解釈すれば、公約違反である。しかし、言う方も聞く方もできないことがわかっていたのであれば、それでもって桝添さんを責めるのはあまりに大人げないように感じる。桝添さんも、もっと単刀直入に「できそうにもありません。不徳のいたすところで、まことに申し訳ありません」とあっさりと非を認めるべきだった。
今、桝添さんがどうの総理がこうの、と責めることで時間をつぶしていい時ではないだろう。
年金問題を解決することは(民主党が言うように)壮大な国家プロジェクトでやることが必要ならば、それをやってみたらどうなのか?ただし、個人のプライバシーを守ることができる、という保障があればのことだ。そういう仕事を国から分けてもらえば、私などはボランティアでやってもいいのだが。

「品格」おじさん

2007-12-12 10:48:29 | Weblog
「品格」おじさん、とはもちろん「国家の品格」の著者である藤原正彦氏のことであるが、今朝の産経新聞に彼に関するエッセーが載っていた。この著書がベストセラーになって以来「悪いこと」が出来なくなったそうである。それはそうでしょうね。(^-^)
「品格」の著者が悪いことをするのは自己矛盾ですから。
街を歩いていると若い女性群が「あ、品格を書いたおじさんだ」とか言ってるのが耳に入るそうだ。これも辛いことですね。
ベストセラーで良いことは少ないけれども、お蔭で家のローンを一括返済できたという。さすがベストセラーです。

私は「国家の品格」に書かれていることの殆どに同感でき賛成である。書きにくいことをよくぞ書いてくれた、という感じである。でも、この著書が社会現象にまで進展したとしても、日本国の品格は一向に改善されない・・・・どころか慾の塊のような現象が次々に現れて、たぶん日本の建国以来品格については最悪の期間を過ごしつつある、というのが正直なところだ。堕ちるところまで堕ちろ、と思うしかない。

12月8日

2007-12-09 16:17:13 | Weblog
昨日は12月8日、つまり太平洋戦争開戦日でした。
人々はこの日をどういう気分で過ごすのでしょうか?

懺悔・・・これは、ま、殆どいないのでは。
祝う・・・これも殆ど絶無でしょう。
無視する、忘れる・・・多くの日本人はこれでしょうね。それはある意味では正常な反応だろうと思います。


切り山椒

2007-12-07 16:52:00 | Weblog


山形県鶴岡市の親戚から「切り山椒」を送ってきました。「切り山椒」とはもち米に山椒を加えて作る季節限定の駄菓子で、最近は11月下旬から12月下旬ころまで売っているようです。
まさに初冬の味ですね。これは鶴岡だけの名産品と長い間思っておりましたが、実は東京でも盛んに作られて浅草あたりで売っているようです。黒糖を入れると色が黒くなります。
言い伝えによると、鶴岡市のある菓子屋さんが、1年間にたまった菓子の屑を材料にして作って売ったのがその初めだということです。鄙びて美味い駄菓子です。

宝籤の当たる確率

2007-12-05 18:39:34 | Weblog
宝籤の当たる確率を知りたくていろいろブログなどを漁ってみました。あるブログに0.0002%という数字が出ていたけれども、これは何万円だかが当る確率だったようです。
ま、億単位で当てるのは、何百枚買っても不可能、ということですね。
競馬なんかやってる人は知ってるでしょうが、先着の3頭に(低いけれども)配当がつく「複勝」という買い方をしたって、当らない時は徹底して当りません。たとえば16頭のレースで3頭ですから当てるのは簡単のように見えますが、これが当らないのです。ましてや、先着の3頭の順序を当てる「3連単」などという買い方ばかりやっていたら、すぐ家1軒潰れます。まず絶対に当らない。当る人は何万人の中で数名、などということですね。

宝籤は、この3連単よりもずっと確率が悪いのです。でも、外れてもあまり文句を言う人はおりませんね。なぜ文句を言わないか、というと、ご祝儀気分を一瞬味わうために買うからなんでしょうね。

先日上京した折、有楽町の三省堂前の売り場でたった1枚だけ買いましたが、ここは当選者が出ている場所なんでしょうかね?