I like a book. / I like books.

2004-11-28 20:34:02 | Weblog
冠詞の a が一般的に「~というもの」を指す場合には I like a book. のように目的語にはできないことは基本的なことです。かならず I like books. と複数にしなければなりません。ところが、自動翻訳機械にとっては、この弁別はかなり高級なことらしいのですね。
ある翻訳サイトで、「私は本が好きです」と入れてみたら、ばっちりと、I like a book. がたった1つ出てきました。これは、「本」が文全体とは別に a book と訳され、それに I like がくっついた、という非常に平面的な処理しかできないマシンだったためです。現在の翻訳マシンのレベルはこの程度なのでしょうか?私はいろんな翻訳サイトを知ってるわけではありませんので、こういう場合に、I like books. を出してくれるサイトがあるのかもしれません。私の素人考えでは、こういう場合、機械の側としては、a book と books の両方を用意しておいて、これらが I likeの次に入った場合は自動的に books を選ぶようにするのはそう難かしいことではないように思いますがどうなんでしょうね?

理想的なALTとは

2004-11-28 17:08:05 | Weblog
前の稿で、まるで他人ごとのようにALT論を展開しましたが、これは空論ではなくて私の実体験によるものです。
私はそれまでALTとのTT授業などやったことはなく、やる前にはいったいどういうことになるのか、期待よりは不安の方が大きかったのを覚えてます。私が居た学校はいちおう「受験校」の部類に入る高校でした。ですから、たださえ少ない時間をTTのような遊び的時間に取られどうするのだろう、という不安があったわけです。
でも幸い実際に現れたALTは実に素晴らしい青年でした。出身はオーストラリア、で赴任当時は年齢は22歳くらいだったと記憶しおります。
彼は私の英語力を直ぐに見抜いたらしく、自分主導の授業を始めてくれました。内容はゲームを主体とする遊びでした。でもそれは素晴らしいものでした。常に40人もの多数の生徒が全員参加できるようなゲームをもってきてくれました。生徒は、その時間遊べるし、なおかつホンモノの英語を聞くことができるというので大喜びで50分などあっという間に過ぎるほどでした。これは生徒の英語学習にとって何よりの incentive になったようです。遊びに見えながら本当の学習でした。
私もずいぶん英語表現で質問して彼を悩ませました。生徒はさすがに職員室に遊びにくることはありませんでした。どう話しかけていいのか分らないのですから、それも当然です。それを察知したそのオーストラリア青年は、廊下に「***への質問箱」というのをぶら下げてみたところかなりの生徒が下手くそな英語ながら英文の質問を投稿しておりました。ALTとの理想的に近い関係だったと思います。それも90%までそのALT青年のお人柄に負うものでした。日本語の習得にも熱心で、帰国する頃までにはかなり多くの漢字を覚えてゆきました。ALT採用に当っては細心の注意を払うべし、という好例だろうと思います。


私のALT論

2004-11-28 16:46:01 | Weblog
ALTが入って上手く行っている学校と上手く行かない学校があるようだ。ここでは高校の場合だけを取り上げる。
まず高校におけるALTの1つの問題点は、日本の高校で流布しているような学習文法をマスターしてきているALTはほとんど居ない、ということである。5文型さえも知らないALTがほとんどだろうから、学習英文法の知識を必要とするような授業には使うべきではない。生徒が混乱するばかりである。次に、There is a pen on the desk. 程度の文も理解できない生徒が集まった学校はワンサとある。このような学校でALTを導入すること自体疑問であるが、どうしても欲しいのであれば、英語による遊びに徹するべきだ。英語を教えようなどと考えたら生徒はいかにALTであろうとソッポを向くに決まっている。風評によれば、中学校などではせっかくALTに来てもらったのに生徒にソッポ向かれて困惑している所があるらしい。ALTといっしょに「授業」しようと思ったのがそもそもの間違いだろうと思う。日本式の講義式授業の中でALTを使うならば、生徒に飽きられるのは目に見えている。
どうしても講義式授業の中でALTを使いたいのならば、ALTには「読み」だけを頼むべきだ。

次にALTに過大な期待をかけるべきではない。そもそも数十人のクラスで一斉授業をやる中でのALTであるからよほど優秀な方でない限りその指導力には限界がある。

最も大事なことは(ALTの個人的素質による所が多いけれども)ALTと生徒とを友達にすることだと思う。片言しか通じないにしても、休み時間に何となくALTの所に遊びにゆくような形にしないと何のためのALTか分らない。そのためには前提条件として日本人の英語教師がALTと話す努力をしなければならないだろう。「****を英語では***と言うと思うのだけれどもそれでいいのか?」というような質問をジャンジャン浴びせかける熱意が必要だ。そのためには日本人教師の方が絶えず勉強して問題を抱えていなければならない。他の教職員の前で恥ずかしいから、などと称して話さないように逃げているなどはもっての他である。日本人の英語なんてだれでもひどいものです。英語教師ならごくわずかながらマシだろう。誇りを持っていい。