般若心経学習笑話

2005-09-29 13:59:45 | Weblog
般若心経を読み始めている超初心者です。昨日は般若心経の原典を手に入れたいとかサンスクリットを学びたいとか書き入れましたが、正直言って、書き入れる前にいろんなサイトを漁るべきでしたね。もう笑うしかない状況です。でも初心者が般若心経を読み始めるとどういう難題に突き当たるか、についての多少の参考にはなるだろうと思っております。

まず、原典ですが、これはウエッブ上で容易に閲覧できます。(理解できるか出来ないかは別です(^-^))「サンスクリット語」と入れたら出てきました。また、英語サイトに"Buddhist sutra"と入れると英文の訳付きで出てきます。どうせサンスクリット原典にもアプローチしたいのですから、同じ印欧語族の英語訳の方が良さそうです。

次にサンスクリット語学習のことですが、これは本や学習会があるわあるわ、よりどりみどりですね。辞書もありますが、般若心経を読むだけのために必要なのかどうかは分りません。

現在は専ら岩波文庫版で読んでます。というのは詳しい注があるからです。でも、この注はなかなか専門に亘っており、直接テキストの理解に役立つとは限らないようです。(私の使い方が悪いのでしょうね)

昨日の疑問、つまり、「色即是空」「空即是色」は同じ意味ではないか、という点は、どうやら違うようでもあるし、けっきょくは同じことでもあるような感じです。今のところ分りません。「物質は現象であって常に移ろい行くものだ」というのと、「現象として常に移ろい行くものが物質なのだ」というのとでは、同じ意味だ、ともとれるし、違う意味にもとれます。ま、論理学で言えば、A=BはB=Aなのですけれどもね。だから同じ意味だ、と断じてしまえば身も蓋もないですね。

ま、般若心経を読む前の前提として、何のために読むのかを自覚したほうが良い、というのが私個人のアプローチです。
目的など無くてもいい、というアプローチももちろん尊重すべきでしょう。全文の意味を知らないと写経は意味がない、などということはないようですね。
でも、よく分りません。分ったてたら、般若心経など勉強しないでしょう?

色即是空 / 空即是色 のこと

2005-09-28 21:08:04 | Weblog
般若心経の「色即是空」はかなり良く分りますが、「空即是色」の方は大変理解が困難だ、と思っております。つまり、「物質は現象であって常に流動しているのだ」はすんなり受け入れることができますが、「現象として常に流動していることがすなわち物質なのだ」とか「現象として常に流動しているからこそ物質なのだ」という発想はなかないか掴みどころがないように感じます。

そこで、漢訳以前のサンスクリット語ではどうなっているかを考えました。もし、サンスクリット語で、英語に直せば次のようになるように書かれていたらどうでしょうか。(私の勝手な英語です)

Form is empty.
Empty is form.

*「色」をformとしたのは柳澤桂子氏の「生きて死ぬ知恵」の巻末にある英訳の言葉を拝借しました。

上の英語ではどちらも全く同じ意味です。下の英文は上の英文を倒置しただけで、文の構造はC+V+Sとなります。もしも、(サンスクリット原典で)こういう構文になっているのであれば、事実上「色即是空」だけが残り、「空即是色」は一種のレトリックになります。私がサンスクリット原典を見ているわけでもないので、これは全くの想像に過ぎないことを重ねて申し上げておきます。「色不異空」と「空不異色」も同じような構造の文だったのかもしれません。

これを解くには、まずサンスクリット語を勉強し、さらには般若心経のサンスクリット原典を入手することが必要ですが、そのどちらもややムリのような感じですね。

なお、この部分は、柳澤桂子氏の上記の本によれば次のようです。

Form---it is, in fact, emptiness.
Emptiness---it is, in fact, form.

良い訳です。

色即是空と空即是色と

2005-09-28 15:32:11 | Weblog
般若心経に凝ってます。(真経ではなくて心経が本当のようですね)
ということは、この年になるまで般若心経を読みもせず勉強もしなかったことがバレてカッコ悪いのですが、読まなかったのですから仕方ありません。

今なぜか般若心経が一種のブームなんですね。それも凝り出してから初めて分りました。ブームになってるものに凝るのはなおさらカッコ悪いけれども、たまたま一致したのだから仕方ありません。

般若心経、というと昨今では柳澤桂子という人物がどうしても浮かび上がるようです。彼女の「認められぬ病」(中公文庫)という本を読んでオドロキました。現代の日本の多くの医療現場では、どうやら「心」というものは「無い」ことになっているらしいのです。「心因性・・・」というと頭からバカにされることがあるらしいのです。この柳澤さんも心因性(というより自律神経が関わる病気)の嘔吐に悩まされ続けたのですが、これをどうやら「病気」とは認定されなかった節がありました。「病気そのものの苦しみよりも、医療から受けた苦しみのほうがずっと大きかったと告白せざるをえない」という節は強烈です。
「分らないことは存在しない」という人生観、職業観を持った医者が多いのだとすれば、これは由々しき事態です。でも、今までにお世話になったいわゆる総合病院のことを想うと、これが現実なのだろうな、と納得させられます。残念ながら。

この人が般若心経の非常にユニークな訳を提供しております。
量子論、宇宙論が格段の進歩を遂げた昨今あたりから、般若心経は一般人にとって何やら分りやすいものになったようです。「色即是空」などは、我々はもう感覚的に分るようです。(誤解かもしれませんが)
変に感覚的に分りやすくなったことが、仏教に接近する際には良いことなのかそうでないのかはどうも定かではありませんが・・・。
般若心経の中核部分である「色即是空」の裏返し、「空即是色」は正直言ってそれほど分りやすくはありません。いわゆる入門書を読んでもここはよく分りません。分りませんが、非常に魅力的な思想です。「色即是空」よりも裏返しの「空即是色」の方が魅力的に感じます。「刻々と形を変えて流れ行くからこそ物質であり人間であるのだ」とは何を言いたいのでしょうか、「色即是空」が分るようには分りませんね。ひょっとすると「空即是色」は単なるレトリックなのかもしれません。

日参のこと

2005-09-26 21:13:17 | Weblog
昔話をさせていただく。日参(にっさん)のことだ。日参とは、私の場合は、毎朝登校する前に町内の学年を異にする児童がそろって日枝神社にお参りしたことだ。何を願うためにお参りしたか、というと、言うまでもなく日本の戦勝を祈願するためである。これは他の町の登校班でも同じことをどこか別の神社でやっていたようだ。日参すれば日本がアメリカから勝つとは思っていなかったけれども、そもそも日本が負けるだろうとも思っていなかった。というより日本の勝ち負けなどには関心がなかった、というのが正直のところだろう。日参が始まったのは小学校3年の後半かそれとも4年の折だったようだ。要するに、日本の敗色がかなり濃くなり、学徒動員が行われるようになった頃か、と思う。
日参について覚えているのはどこまでも粉雪で覆われた道路と橋である。その頃の雪は雪質が良かったのだ。ということは寒かったということでもある。そこを上級生に引率されて日枝神社まで約20分歩いた。寒かったのだろうが、思い出は浄化されて、そこら辺は無色透明である。着くと拍手を打って、何やら唱えさせられたような気がするが間違いかもしれない。不愉快な思い出ではない。4年生だった年の夏に太平洋戦争は終った。

笑うための部屋と「笑い学」と

2005-09-24 19:01:58 | Weblog
先日、民放のある健康番組で笑うと血糖値が下がって健康によろしい、とかいう内容でやっていた。いや、笑うことだけではなくて、笑うことは健康のすべてに良い。長命の薬だ。
番組では(たぶん笑えない人のために)笑う筋肉を動かす体操なるものをやっていた。それでかなり健康状態は改善されるのだそうだ。しかし、そんなムリをするくらいなら実際に笑ったらどうなのか、と思う。他人とバカ話をすればもちろん笑えるのだけれども、一人の場合はどうするか。笑えるテレビを見るか、笑える本を開くのがいい。でも、テレビでやってるお笑い番組は正直言って笑えないでしょう?
では本はどうか?笑える本、ねえ。オトナでも笑える本などあります?昔なら小話集があった。これは、特に共産圏発のものが痛烈で、笑わずには居られない話が多かった。しかし、共産圏の国々が殆んど解体して以来、風刺の対象が無くなってしまった。それと共に痛烈な小話も(日本では)見当たらない。日本の息苦しさは痛烈な風刺の対象になってしかるべきものだが、当人が自殺したりするだけで、風刺で風向きを曲げようという風土は薄れてしまった。わずかに新聞の川柳に名残りを止める程度だ。
皆、マジメ過ぎる。自殺を予防するのに、まことにマジメそのものの手段を用いる。正攻法でやるのです。
ケタケタ数時間も笑い続けたら自殺志願者も思いとどまるのではないだろうか。かつてアメリカでの話だが、「笑いの部屋」というものを設けた話を覚えている。防音設備を完備した部屋で、堪能するまで笑いに笑うのだそうだ。そういう部屋を作ったら自殺者などが減ったというデータがあったように記憶する。(確かではないが)

自分、世の中、周りの人々、会社の上司・・・そういう鬱陶しい人々を思いっきり罵倒し、笑い飛ばす。そういうことだ。それを何時間続けてもよろしい。こういう発想がある、という話は未だどこでも聞かない。

「命の電話」などという正攻法があるばかりである。悪いことに、日本人は心を打ち明けられる宗教組織を持たない。宗教人を信頼して打ち明けるという伝統も薄い。というより、無い。四面楚歌で、それこそ死ぬしかないような構造になってしまっている。それなら、ダメでもともと、正攻法と平行して、笑いの部屋を造ってほしい。防音処理を伴うので安くはないだろうが、それほど高いものでもあるまい。自冶体がこれを理解して本気で造る気になれば、出来ることは間違いなさそうだ。ぜひやってほしい。そこである程度の時間実際に笑ったら、奨励金を出す。行政にも、そういう諧謔を理解する精神が欲しいものだ。皆さん、民主党の岡田前代表みたいな顔でコトに当る。限界がありますよ、正攻法だけでは、ね。

「笑い学」というものも提案したい。悲劇を作るよりも(上質の)喜劇を作る方が数倍難しいそうだ。どうすれば人を心の底から笑わせることができるかを研究するチームを作る。チームの構成員は、日本でもトップクラスの頭脳の集団を集める。そこで、「マジメからの脱出学」と「笑い学」を日夜研究していただく。もちろん破格の給与で待遇する。今のテレビの笑えない番組を笑える番組に変える方策も検討していただく。そして究極の目標は、最高の価値は笑いにあるのだと日本人が考える、そういう世の中を作ることとする。

まずは、自分の英語の実力を笑う、というようなことから始めたい。自分を笑い飛ばす。それが第一歩ではないか。

I garden.

2005-09-24 15:39:09 | Weblog
From dust I came,
to dust I go, and in between I garden."これはSeniorNetという全米組織のシニアのためのインターネット親睦組織の中のガーデニングに関する掲示板の最初の言葉です。なかなか洒落た言い方だと思います。
「私は土から生まれ、土に帰るが、生きている間はガーデニングをする」とでも訳すのでしょうか。面白いのはgardenで、「ガーデニングする」という動詞に使われてます。少しおどけた使い方なのでしょうね。




ブログを続ける、ということ

2005-09-23 16:41:30 | Weblog
いくらカテゴリーが「日記」であるといっても、オトナである限りは、愚にもつかぬ日々の生活の話、早く言えば何時に起きて飯に何食って、テレビは何を見て、そして無事今日は終った・・・こんなことを書くわけには行かぬ。さりとて、創作する・・・つまりは世で小説と呼ばれるものを書くのは、多少のシミュレーションやってみた結果不可能であると分った。
「小説」を書くに当っては2人の人の言葉が頭に響く。一人は立花隆氏で、「小説家の想像力など現実の偉大さに比べるとものの比でもない」というような趣旨の発言である。これは実に痛烈な言葉であって、これだけで、今の世の「小説」の大半は姿を消してもいい。いや消すべきだ、とさえ思う。なにしろ立花隆氏の「小説」の中には、偉大なるドフトエフスキーさえも入っているようなので(直接そう言っているのではないが)恐れ入る。才気煥発のチェホフなど顔色無しだろう。
もう一人は私の知人で、ちょっとばかり「創作」を試してみたのだろうか、しみじみ私に語ったものだ。「ウソを本当のように書くのはえらく難しいものですな」と。これはやってみて恐ろしい真実であると分った。正確に言えばウソを本当のように書く、というよりは、無から有を造り出す作業と言うべきだろうか。

けっきょくは、地面に落ちこぼれた種粒を丹念に拾って、その種粒の正体を調べた上で播種して育てるような作業しかないわけだ。しかし、冬も近いし、落ちこぼれた種粒も多くはない。それを探す。ブログを続けるとは凡人にとっては、所詮そういう作業である。

小野川温泉の独楽で遊ぶ

2005-09-22 12:54:33 | Weblog

上の写真の独楽は数日前小野川温泉の「つたや」という観光物産館で買ってきたものです。ここは、独楽を扱っては日本一と豪語するだけに売っている独楽の種類も多い。大小も様々です。一応記念にと、一番小さい100円の独楽を2つ買ったわけでした。
ところで、何も期待せずに買ったこの独楽が面白い。手離せなくなって、いつもテーブルの隅に置いてあります。こんな扱いを受けた土産品は最近はありません。何が面白いのかというと、要するに回るからです。
一応サイズを書いておきます。回転本体の直径は、どちらも約3.9cm、回転軸の上に突出した部分(何という名前?)が約1.5cmですが、ちょっと違うのは下の突出部分の長さです。赤い方はやく3mm、緑の方は約4mm強です。さらに、写真をご覧いただければ分るように、回転軸の太さと仕上げが違います。赤い方は、下に行くにつれて太くなってます。さらに、一番下、つまり下の突出部分の先が鋭く削られ1点になっております。それに対して、緑の方は回転軸全体が同じ太さで、太さそのものも若干痩せております。さらに、(これは大きいと思いますが)回転本体の厚さと仕上げがだいぶ違います。赤い方が断然安定感のある仕上げです。

それでは、実際に回した場合、この安定感のある赤い方がずっと長く回っているのかどうか試してみました。緑の方は、回り始めから軸の上の方がグラグラ揺れております。それに対して、赤い方は回し方さえよければ、殆んど不動なんです。耳を近付けると微かに先端がテーブルをこする音が聞えます。聞えるか聞えないか、という微かな音です。音に関しては、緑の方も先が丸くなっているので同じようなものでした。

さて、肝心の回る時間の長さですが、赤の方が若干長い程度でした。緑の方は最後はグラグラしながらも悪あがきしております。そしてけっきょくはガタンと倒れる。それからゆっくりと1、2、3を数える頃、赤いのもグラグラし出して倒れます。ほとんど同時ということもあります。いずれにせよ大した違いはない、ということですね。これがなぜなのかよく分らないのですが、回転体の直径と関係あるのかもしれません。あるいは回転体の重量とか。

独楽の魅力は回転することにあると思いますが、回転すると何が魅力的なのでしょうか?たとえば、上の写真の独楽の回転体の上の模様は同心円を3つ描いたものですが、この同心円が回ると、そこに微妙な動きとブレが見えます。赤い方などは本当に職人技であって、殆んど完全な同心円なんですが、それでも回ると何かが違ってみえます。線という一次元のものから三次元のものに移行して見える、とでも言うしかないでしょうか。この、いわば「相転移」を自在に指先で紡ぎ出すことができる、という点が独楽の魅力の1つなのかな、と思います。止っている状態の独楽はなかなか美しいものですが、これは回転を前提にした美なのでしょう。「動」を凍らせた玩具、と言えばいいでしょうか。コケシとはここが違うのだろうと思います。

この「つたや」さんという店の技術の中枢は、他ならぬご主人の木地師さんです。木地師という職業には大袈裟に言えば一種神秘的な、山伏にも似た雰囲気が漂っているように感じます。昔は木地師というものは表に出る仕事ではありませんでした。自分で材料の原木を選び、それに手を加えて加工し、家の片隅でひっそりと轆轤を回す職人、そういう「先入観」を私などは持っております。事実、私が行った時には、この店の「仕事場」には木地師さんは居ませんでした。
木地師さんの主な仕事はコケシ創りです。独楽作りはコケシ創りの、いわば「余技」なのだろうと推察します。でも、「余技」にしてはひどく美しいものですね。ともかく実用的には、真円を作る技術が何より求められます。真円を作った後では、その中心を求めて穴を空ける技術でしょう。
けっこう太い穴ですから素人考えでも難しいものだろうな、と思います。さらにきっちり穴に嵌まる軸を作って挿しこみ、色に関する作業によって美術品に仕上げる作業も加わります。

ともあれ、独楽は奥の深い玩具です。これはもう少し沢山集めてもいいな、とふと思いますね。

なお、つたやは先々代の方が大正時代に開いたお土産屋が発祥のようです。



「街道を行く」と小野川温泉

2005-09-21 11:19:07 | Weblog
最近米沢市によく行く。距離がそこそこで、多少の楽しみがあるから、という理由らしい。
数日前、米沢市に行ったついでに、小野川温泉まで足を延ばした。ここを訪れた理由は2つあって、1つは、40年ぶりの小野川温泉がどうなったか、という興味だった。いわゆる慰安旅行だったが、この温泉場は暗くて寂れている、という印象だった。
今も暗くて寂しいのだろうか。

もう1つの理由は、司馬遼太郎さんの「街道を行く」の第10巻目、「羽州街道・佐渡のみち」にある。「羽州街道」は山形新聞の100周年を記念して考えられた企画だった、と聞く。旅程は2日で、まず第一日目は山寺を出発して国道13号線を南下して置賜盆地に入り、米沢市を抜けて小野川温泉に一泊する。
第二日目は小野川温泉を出発して長井市に入り、山道を抜けて上山市に出て山形で終る、というものだった。つつましい旅程である。同行者は例によって須田画伯、その他出版関係の方々だったらしい。
さて、この紀行文で特に印象に残っているのは、夕方にかけて国道13号線を南下する時の司馬さんの感想である。要するに、南下するにつれてだんだん暗く寂しくなった、というのである。もちろん、夕方だから暗くなるのば当然だが、司馬さんは人家の灯が少なくなることを言っているわけだ。たしか、司馬さんには珍しく「寂しい」という表現を使っていたように記憶する。調べると、「人恋しくなった」、とある。国道13号のここら辺は私の愛用の道だが、南下するにつれて「寂しい」と感じた覚えは少ない。車の往来が激しい上に雑多な看板の類が多いからだ。しかし、司馬さんは「何か」を感じたのではないだろうか。
寂しい道は、しかし米沢から小野川温泉へ向う道だ。今ではここには弾丸道路が開通してものの20分もすれば着く。しかし司馬さんの頃は山越えの旧道だった。着いた時は夜もやや遅くなって、真っ暗だったらしい。
次の日は米沢市を散策し、その市街の質素さとつつましさに感銘を受けたようだ。司馬さんの紀行文で、このように質素さに同感し驚きもしている作品は他に無いのではないか。今の米沢市は中心部の上杉公園の周りが整備され、文化センターのような建物もできて少しは遊べるようにはなった。しかし一歩古い住宅地に入ると、そこはウコギ垣に囲まれた質素な家が殆んどである。もちろん、新興住宅地は違うけれども。

さて数日前の私のドライブに戻る。米沢市を抜けて小野川温泉に向った。道路の両側は田圃以外は何も無いけれども、路幅が広く運転しやすい良い道路である。あっという間に小野川温泉に着いたが、温泉街の入り口に田舎の旧家を模した巨大な建物がある。入ると正面に巨大な独楽がある。要するにここは独楽をテーマにした巨大なお土産屋だった。置賜盆地のお土産のほとんどすべてがここで手に入るようだ。客に独楽を作らせるコーナーもある。私は1個100円の一番小さい独楽を2つ求めた。小野川温泉の独楽の起源についてはこれから勉強しなくてはならない。
今回の小野川温泉の印象は暗くも寂しくもなかった。それどころか、規模が予想をはるかに上回る堂々たる温泉街である。温泉街の道が広い。こういう所は道が狭いのが普通なのだが、と感動する。街は派手では全然ない。ここは温泉に浸かるための場所で、ドンチャン騒ぎをする所ではないようだ。何か由緒ありげな豆腐屋さんがあるので入ってみた。豆乳で作ったソフトクリームというものを食してみたが、これがなかなか美味しい。ついでだから豆腐も一丁買った。高かったがこれもなかなか食べごたえがあった。ここで、「司馬遼太郎さんが昔泊った宿屋を知りませんか?」と聞いてみたがご存知なかった。そこで隣の旅館で聞いてみると「それは扇屋さんか***旅館だろうと思います」とのことだった。その扇屋さんは古色蒼然たるレトロ調の宿だった。入ると何やら知的な相貌を湛えた初老の人がハッピを着て立っておられる。やはりここだった。私のような目的の訪問客はそれほど多くはないらしく、嬉々として20年昔のことを語った。司馬さんたちが到着したのは夜かなり遅くなってからだったそうだ。
原文を引用する。「私どもの宿はこの温泉場でも有数の家なのだが、若い夫婦が軸になってやっていて、従業員というのは、私の見かけたところでは一人だったように思う。」とある。このハッピ姿の初老の紳士は、その「若い夫婦」の旦那さんの方であろうと見当をつけた。たぶん間違ってはいなかっただろうと思う。たしかに「従業員」が館内をウロウロしている光景は絶無だった。20年も経てば、「若い夫婦」も初老になるだろう。これは致し方ないことではある。
この扇屋は昔から錚錚たる文人が泊った所らしく、廊下には伊藤整の色紙などがかかっていた。このかつての「若い夫」は、「そのうち司馬さんの写真を送りますからどうぞご記帳下さい」とまで言ってくれた。どうやら、その晩に写した写真のネガがあるので、ということらしかった。
司馬さんたち(たぶん須田画伯をも含めて4人だったのではないか)が泊った部屋も見た。まことに趣のある部屋だった。風呂にも入ったが、これはひどく熱くて早々に上がった。
この派手さとは無縁の温泉街にも流行の波は押し寄せている。つまり今盛んな「足湯」である。これが数箇所あって、若い人たちや家族連れが嬉々として脚を浸けている。須田画伯ならこれを試したかもしれないな、と思うのだが。

質素、素朴という、今の流行からはほど遠い米沢という町はいつ訪れてもひっそり貧しげで孤高なただずまいである。正直言ってここに住みたいとは思わないが、この街の在り方は、同じ東北人として誇りに思う次第だ。

なお、この扇屋旅館はIT化されてないらしく、クリックしても旅館の名前が出てくるばかりである。電話で連絡するしかないらしい。これは良い旅館だ。ますます好きになった。


扇屋正面


司馬さんたちの泊った部屋


胡桃沢耕史揮毫


伊藤整揮毫

キュウリのように冷静で???

2005-09-17 17:27:07 | Weblog
英語の直喩(simile)で慣用句になったものは実に面白い。"as brave as a lion"などは何のことはない。誰でも分る。しかし、"(as) cool as a cucumber"(極めて冷静で)という表現になると、たぶんネイティブの方もなぜ「キュウリ」なのか分らないのではないだろうか。私も理由をいろいろ考えたが、けっきょくどうしても分らなかった。キュウリは私の大好きな野菜の一つで、これに「冷静な」というイメージを抱くのは困難だ。cucumberはフランス語経由のラテン語に源がある語なので、あるいは中世フランス語かラテン語にこの表現は遡るのかもしれない。"sleep like a log"(ぐっすり眠る)も説明困難な慣用句である。「丸太のようにぐっすり眠る」・・・???logはゲルマン語系の語である。