カッコウは夜も鳴く!

2006-05-19 10:04:21 | Weblog
昨日のこのブログでカッコウは真夜中には鳴かない、と書いたけれども、これはどうやら間違いらしい。というのは、昨日の夕方真っ暗になってから朗々と鳴くのはいいとしても、真夜中の0時頃だったか、ますますの美声で朗々と「カッコウ経典」を朗誦していた。夜中断続的に鳴いて、朝になったら鳴くのを止めた。こうなるとカッコウの習性として夜も鳴くのは間違いないようだ。近所の人は少々迷惑だろうね。

カッコウにとって夜と昼とは?

2006-05-18 19:23:11 | Weblog
どうも最近熟睡できず、メチャクチャに早く目が醒める。今朝も夜中の2時40分にトイレに行った。そうすると、カッコウがすぐ近くで朗々と鳴いているではないか。この美しい五月の鳥の鳴き声は、たとえ夜中とはいえども「ウルサイ」とは感じないものだ。そして、たった今、午後7時過ぎ、暗くなるとカッコウが朗々と鳴き出した。ひょっとしたら、夜中のカッコウと同じカッコウなのかもしれない。カッコウにとって昼と夜はどうなってるのだろう???
ただし、たとえば真夜中の0時とか1時頃に鳴くわけではない。そうすると、3時ちょっと前という時間は、カッコウにとっては明け方の一部なのではないか。人間はその時間を「真っ暗」と感じるけれどもカッコウにとってはそうではないのだろうと思う。夜7時過ぎの場合も同じことなのではないだろうか。

(仏教の)説法は美男子にさせろ!

2006-05-07 21:10:06 | Weblog
今日も枕草子の話題で恐縮です。面白いのはたとえば次の一節だ。少々長いけれどもコピーしておく。

説経の講師は、顔よき。講師の顔を、つとまもらへたるこそ、その尊さとおぼゆれ。ひが目しつれば、ふと忘るるに、にくげなるは罪や得らむとおぼゆ。このことは、とどむべし。すこし齢(とし)などのよろしきほどは、かやうの罪得がたのことは、書き出でけめ。今は罪いと恐ろし。

現代語訳 石田穣二(角川)
説教の講師は、美男子なのがよい。夢中になって、ひたと講師の顔を見守っておればこそ、その説き聞かせる仏法のありがたさも感得できるというものだ。よそ見していると、聞いたことも途端に耳から耳へ筒抜けになるから、顔のみにくい講師の説教を聞くのは、不信心の罪をおかすことになろうかと、心配に思われるのだ。こんなことは書くべきではない。自分ももう少し齢の若いうちなら、こんな罪をおかすようなことも平気で書きもしたろうが。齢とった今となっては、仏のおいましめにそむくことはたいそう恐ろしい。

まあ、平安版の細木数子みたいな書き方ではある。よくもシャアシャアと書いたものだ、と笑ってしまう。自分はだいぶ齢をとってしまったようなことを書いているけれども、書いていること自体はまるで15歳程度のイタズラ盛りの女子中学生並みである。説法する講師の容貌によって説法を熱心に聞いたり聞かなかったり、というのでは、講師は殆どタレント扱いである。説法するのがヨン様なら仏法がよく理解できる、というわけだ。ということは、最初から仏法など真剣に聞く気は無かったのではないか?
仏画によると、たとえば親鸞などは明らかに不男である。ま、男から言っても、相当に惨憺たる不男には違いない。この親鸞の説法には民衆は争って押しかけたそうだ。その中には貴族も居たそうではないか。要は、こういう聞き手たちは親鸞の容貌に惹かれて集まったわけではあるまい。親鸞の言う説法そのものに惹かれたからこそ門前市をなすほどに集まったのだろうと思う。(もっとも、不男も親鸞くらいになれば、一種の魅力が漂っていたのかもしれぬ)

でも、こんなことをしゃあしゃあと書く人はよほど諧謔を理解できる人だったに違いない。そして、親鸞のような超弩級の説法師の説法を別にすれば、不男の説法師では説法が巧く行かなかったのも事実だろうと思う。その頃の「説法」というのは一種の娯楽だったのだろうからね。娯楽なら容貌が問題になるのは至極当然なことではある。
清少納言のような感性を持った人が家族に居たら、さぞ楽しかっただろうな、と思う次第だ。ずけずけ悪口を言うけれども、言われた人は怒らない、と言う人が居ますからね。そういう人だったのでしょう、きっと。


桃尻語訳枕草子

2006-05-06 19:58:35 | Weblog
橋本治氏の桃尻語訳「枕草子」という本が話題になったことがある。どうも上品とは言えないタイトルの本ではある。「春、って曙よ!」で始まることでも知られている。ケータイのメールみたいな文体ですね。こういう趣向の本には、私個人としては閉口するだけだが、これで古文の世界にのめりこんだ中学生なんかがかなり居るらしいから、メリットの方が大きいのだろうと思わざるをえない。そもそも、清少納言という女性は才気煥発、性格明朗、頭の良いヤンチャ娘、という感じの人物なのだ。しかし、文全体に、凛とした気品を漂わせており、世の顰蹙を買う類の文とは大きく違うことにも注意しなくてはならないだろう。さらに砕けたつもりで、「春、ってよう、曙じゃん」で始まる文体で通したものを清少納言自身が読んで、キャッと面白がって喜ぶだろうか?モノには限度があるし、我々が「日本の古典」と考える著作はたぶんすべてにそれぞれの「品」がある。品があるからこそ今でも大のオトナでも読むのではないか?桃尻訳はヒマと余裕があれば覗いてもいいけれども、こんなものに
拘わっている時間はもう無い、という気もする。

「飯塚」に於ける松尾芭蕉

2006-05-05 21:16:10 | Weblog
「おくのほそ道」を読んでいて最も親近感を感じる箇所の1つがこの「飯塚」の一夜の記録である。「飯塚」とは明らかに現在の飯坂である。まず、ボロボロのひどい宿に泊まった旨が書いてあるが、馬を雇う財力のある芭蕉がなぜ有名な温泉地である飯坂で雨が漏るようなボロ屋に泊まったのだろうか、という素朴な疑問が沸く。いくらなんでもひどすぎはしないか?私は、これは例によってのフィクションだと思っている。持病(胃痙攣だ、という説がある)が起こって死ぬほどの目に遭う、という経験の道具立てとしては豪華な宿では困る。ボロボロの宿で死ぬほどの目に遭うからこそサマになるのではないか?もっとも現在でも飯坂の町はうす汚いのは事実である。表通りから一歩わき道に入ると、どうもパッとしない。

次に、この「持病」もフィクションなのではないか、と疑われる。というのは、随行した曾良が書いた曾良日記には、芭蕉の病気の発作で困ったことなどは全く書いてないのである。奥州の中ほどまで快適な旅行を続けてきたのだから、福島の辺りで雨や持病で難渋したようなことを書かないと紀行文として迫力が薄れる、と芭蕉は考えたのではないか。もっとも真実は芭蕉自身に訊かないと分らない。

実際は、飯坂の印象は爽快だったのではないか。なにしろ鯉のぼりの句をものにしているくらいなのだからね。

笈も太刀も五月にかざれ帋幟



春は、曙

2006-05-04 20:55:01 | Weblog
最近古文に多少の興味を持ち、重要な作品をいくつか買い込んだりしている。あっさり告白するが、私の古文の教養というものはアメリカ人の小学生のシェイクスピアの教養よりもダメである。古文の教養は皆無と言った方がいい。古文の教養が皆無である、ということは日本人としての精神のバックボーンがすっぽり欠けている、ということに他ならない。
序言はこのくらいにしておく。まずは、「おくのほそ道」を読んだ。読了には至らなかったけれども、自分の住んでいる所がバックにあるので大変面白い。学ぶことが多かった。次は徒然草に進んだ。吉田兼好という人の文は、古文としては大変素直であって、論旨もピンと通っている。読みやすい。とは言ってもそんなに簡単に読めるものではない。現代語と同音の語があっても意味が違う、という例がわんさとある。「あやし」などその一例だ。「あやしげで不確かな」という現代語の意味とはだいぶ違う使い方である。

徒然草と平行して昨日は枕草子を買ってきて(岩波版)みたが、これがダメなのだ。注がもっとしっかりしてないとまるで意味が分らない。それにしても、枕草子の最初の方は約50年前、高校の古文の時間に習ったのだ。これが全然モノになっていない。
「春は、曙。」「夏は、夜。」という有名な最初の一節であるが、私はこれを「春は曙の時間がベストである」「夏は夜の時間がベストである」という意味で覚えていた。古典の先生がそう教えたのかどうか、それさえ詳らかでない。自分勝手の解釈なのかもしれない。
岩波版がとても歯が立たないので、今日あらためて角川の「ソフィア文庫」に収められている現代語訳付きのものを買ってきてみた。これはなかなか親切で読みやすいようだ。これによると、「春は、曙」は「春は曙の時間帯が一番快くベストな時間帯だ」という意味では全然無いようだ。強いて言えば、「春の一日の中で印象深い時間は曙である」とでも言ったらいいのだろうか?いやそれも少し違うようだ。強引な比ゆかも知れないが、体言止めの俳句にそっくりの表現みたいだ。「春は、曙」と読者の前に投げ出しているようなのだ。「曙」を投げ出しておいて、「曙」に纏わる自分なりのイメージを印象画風にいくつか綴ってみた、ということだったうようだ。吉田兼好などと違って、大変な技巧派だ。一筋縄では行かない。エライ女も居たものですね。


平家物語

2006-05-03 20:05:27 | Weblog
注文しておいた本が今日届いた。「連休に入りますから、普段よりも5日くらい日数が多くかかるかもしれません」という通知だったが、意外にも注文して4日で届いたわけだ。本は中山義秀が現代語に訳した「平家物語」である。これは前に河出書房新社から「日本の古典」シリーズの13巻として出ていたものだが、これが復刻されたのは有難い。河出文庫で3冊セットだが、何より嬉しいのは文字が大きいことだ。明らかにシニアを意識した技なのだろう。
平家物語のような大部で固有名詞が錯綜している古文は、原文で読むには私にとっては酷過ぎる。現代語で読んでストーリーを把握する方がずっと上策だろうと私は思う。源氏物語にしても原文で読むには酷だ。原文に拘っていると、読み終わらぬ前に命が尽きてしまうことだろう。絶対に原文でなければダメなのは、筆頭が「おくのほそ道」、次が「徒然草」そして「枕草子」など、文で読ませるものだ。もちろん和歌集の類を意味だけ分って終る人は居ないだろうと思うが。


庄内の冬に起こった「事件」いくつか

2006-05-02 21:15:25 | Weblog
故郷の山形県鶴岡市は半分眠ったような町ではあるけれども、昨年から今年にかけていくつか出来事はあった。先ず最近は見たこともないほどの豪雪の冬だったらしい。庄内地方は山形県の中では豪雪地帯ではない。鶴岡、酒田などはむしろ雪は少ない地域に入る。それが、なんと道路に除雪による雪の壁が出来た、ということだ。こういう状況は想像できないのだ。鶴岡もやはり裏日本だった、とあらためて思う。

次の事件(?)は家内の亡き長兄の奥さんの母が亡くなったことだ。ちょっと関係が面倒くさいので、ともかく一人のバアサンが亡くなった、と想像していただければ結構である。このバアサンが亡くなった今年の1月で、とりわけお通夜から葬式の日にかけてはモノスゴイ雪の日が続いた。係累の多くが神奈川県の横浜市に住んでいるので新潟経由で鶴岡に来るつもりだったが、大雪で新潟と酒田の間の汽車が不通になってしまったのだ。汽車はダメでもバスは何とか走ったようで、一同代替のバスで8時間(?)もかかって鶴岡に到着したのだそうだ。なぜかこの家の葬式は厳冬期の一番イヤらしい時期に当る傾向がある。家内の長兄が亡くなったのも数年前の12月の末の凄く寒い日だった。
亡くなったバアサンは私も面識がある。面識があるどころか我々の結婚の際に情報をくれたのがこの方だったらしい。大変立派なバアサンだったが、ちょっと長命し過ぎた嫌いがある。たしか95才近くまで生きたはずだ。それも、ボケてしまっていろんな施設や病院を転々として、主に世話した兄嫁さん(そのバアサンの娘)の頭痛の種だったようだ。兄嫁さんも自分の母親ではあるけれども、今自分名義の家に住んでいるわけではないから遠慮もあり、半分は面倒くささもあって引き取って世話することはしなかった。それが施設、病院のたらい回しに繋がったわけだ。正直言って私は、そのバアサンを気の毒だとは思わなかった。90才過ぎまで生きれば必ずこの種の目に遭うに決まっている。現代に生きているうちは仕様無いのではないか、と思う。

第三の事件は例の庄内市での列車の事故である。庄内市、とは旧余目町と立川町が合併して出来た町である。旧立川町は狩川という集落と清川(清川八郎の生家のある町)という集落から成っていたが、特に清川は風の強いことで知られている。そこで、風を逆に利用して、風力発電が盛んなことで最近は知られている。要するに事故のあった北余目のあたりは広い庄内平野の末端に当り、立川町へ向かって最上川の両側にわたって山が立ち上がるような地形になっている。いわばラッパみたいな地形だ。そのラッパの先端の広い部分に猛烈な冬の季節風が吹きつけたのだからたまらない。もっとも、あの事故の際には何やら強い低気圧が局地的に生じて、一種の「ダウンバースト」の現象が見られたらしい、ということだ。これから季節が良くなるから、あの場所を訪れて、お線香でも上げようと思っている。JR東日本の対応は全般的に言って評判が良かったようだ。何にもまして、非番だった人たちがかけつけてそれこそ不眠不休で救助活動や雑用に当ったらしい。ボーリングで非難を浴びたJR西日本とは対照的ではある。ともあれ、事件、事故などとは無縁の地域だと思っていた所でいきなりああいうことが起こるから人生なかなか思うようには行かないものだ。