share について

2004-11-05 10:30:20 | Weblog
share という英単語は誰でも意味は知っているでしょう。名詞では「分け前」その他、動詞では「分ける」とか「分かち合う」という意味です。元々は cut の意味だったそうです。

この share という単語には独特の滋味と暖かさがあって私など大好きな単語です。使用頻度は高い語ですが、日本人にとっては使いずらい単語の1つのようです。
以下、主に動詞の場合について書きます。
まず、「分ける」つまりdivideと同意の場合は何の問題もありません。問題は「分かち持つ」という意味である場合に起ります。ロングマン英英では "to have or use something that other people also have or use at the same time などとロングマンにしてはなんだかセンスに欠ける説明的な「定義」を記しております。これでは実例を挙げるほうが早いですね。次はジーニアス英和からとりました。

share the job of cleaning up / I shared her taxi. / I shared a bedroom with him. / Will you share your thought with us?(あなたの考えを話してくれませんか)、等々。

これだけ並べたら、share の雰囲気がだいぶ分ってきます。要するに、他人と、道具、空間、乗り物、考え、などを「共有」することです。
最初に share は日本人にとっては使いずらい単語の1つだ、と申し上げましたが、これは日本人には「分有する」という感覚が薄いためではないか、と思います。「タクシーに相乗りする」とか「***と相部屋になる」などはいずれも「仕方なしにそうする」、という感覚が感じられます。それに対して share には積極的に他人とあるものを共有する、という「暖かみ」が感じられますね。
これは長い間、ヨーロッパ人が人間関係の中で培ってきたことで、言葉ではちょっと説明し難い感覚なのではないでしょうか?
[自分⇔相手⇔第三者]というように、自分と個々の他人との関係をはっきり認めた上で、「じゃ、一緒にやろうや、君」、という感覚のような気がします。それに対して日本は村社会で[自分⇔相手⇔第三者]というような感覚は育ってはいなかった。家族の一人が何かとんでもないことをやらかせば、一蓮托生で「世間様をお騒がせしてまことに申し訳ございません」とイラク旅行者の家族のような目に遭ってしまいます。そもそも今年春の高遠さんらの人質事件の折に、家族と悲しみをshare
する、という感覚はあったてしょうか?今回の香田さんの件でも、悲しみを share しましたか?斬殺死体となって始めてそれらしい感覚が芽生えてきているようですが・・・・。share したのはむしろ残酷さ、思いやりのなさ、自分勝手さ、唯我独尊、等々でした。もちろん国民全部がそうだったとは言いません。むしろごく少数の人々だったのかもしれませんが。

これを思うと、たとえば share their grief などという表現を考えると、なんだか情けなくて涙が出てきますね。アメリカでやはり人質になった男性の故郷の場合、全村が悲しみを「共有」して夫人らを慰めた、というんじゃないですか?その心優しいアメリカ人が、イラクの民間人が誤爆などでどんどん死んで行くことにはそれほど反応しないのも不思議ですが・・・。

結論ですが、share という英単語には、他人の存在を認め、他人とモノや考えを積極的に共有しようとする暖かさがあると私は思います。日本人が自分の書く文の中でshareを使えるようになったらその人の英文を書く力はかなりのレベルに達した、と判断できるようにも思います。