for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

手内職 衣類整理と雑布利用は?

2020年05月18日 17時24分19秒 | 日記
ピンタレストを覗くといろいろな工夫が見られます。 新発見は、傘の布を利用して他の品に変えていることでした。家にいくつも不具合な傘があり、様々変身できるでしょう。モノづくりは考えて、作っている途中が楽しみでもあります。

人に見せるほどの洋裁技でもないから、自分ができることを探して何とか整理処分をしようと考えます。けれど、気づきました。物を増やさずに処分するにしても、本当に形になって重宝するものこそ作りたいのだと。 

ブラウスの襟や袖口をお気に入りで付け替えたりも新たな一枚になるかもしれません。  縮緬布は食器洗いに使えます。

実用的な、あって便利なひとつがなかなかあがってきません。

自粛要請のおうち仕事も高度なレベルが必要だわねえ。けれど、自粛生活モードは暮らしの変化を確かに生みだし、生活に潤いをももたらしている面に気づくこともあるかもしれません。


1万人規模の抗体検査、来月にも実施 厚労相表明

2020年05月15日 17時25分18秒 | 日記
検査の結果をどう受け止めましょう。見えないウイルスの数々の型。自分自身が検査の後に安心しても仕方のないウイルスの存在。ニュースに踊らされず、何を知るか静かにいよう。

今日のびっくり。 スマートライフのひとつに、人と会話をする時にはマスク着用とあり、私個人の現実世界の片隅がどこか認めたくもなさそうにブンブン唸っているようだ。

改めて「世界は変わった」と感じ、決して戻れないと、知らされる。コロナの記事を書いてから2か月目である。

第二派第三派の予防回避のためでしょう。

自分ひとりの部屋でクシャミをしてもどこか、自戒の気持ちすら数パーセントはちらっとよぎるのが、なんとも新世界だけれど、音楽を聴いたり、リラックスしたらこのスマートライフの緊張がとろけて忘れてしまうのではないかと・・・

本当にこの窮地には現実を直視し、正にこれがあるべき姿なのだと、受け止める。

母の日に

2020年05月14日 10時34分42秒 | 日記
夢で母が本来の呼び方で私を呼んだ。

今まで夢に現れるのは、私の深い気持ちや感情を代替えして母の姿で現れていた。それが時間とともに変わってきたのは知っている。

そして、今年の母の日、生前の呼び方で私を呼んだのだった。

それが夢での再現だった。

昨日土いじりをし、一緒に買った欄の鉢にひとり手を入れながらあの時間を思い出した。


ブログの恩恵  過去のブログをみかえすことはあまりないけれど、
人気ブログとして題された内容の写真に出合い、改めて感謝しています。パソコンが変わると写真の取り組みができなくなったのもあり、この度、母と一緒に買った欄の写真を見ることができました。感謝。

マスク クスマす 何くすます?No.2

2020年05月07日 10時09分53秒 | 日記
本当に些細な製造業界だろうにマスクの
増産さえ不都合にして、コロナは世界中に衛生基準を作り上げてしまった。

不織布と手作り布マスクを比べてどれほどどうしたらより安全なのかは、それぞれの基準は知りようがない保護的安心策ともいえる。

一時は、不織布マスクの使い捨てで浜辺に流れ着いた映像が流された。まるでマスクのめざし干物版みたいだった。マイクロチップにでも変身するのだろう。という意味では、手作りマスクは雑巾にでもすれば、燃えるゴミにもなるだろう。

糸で縫わないマスクも知り、こちらの方が使い勝手のバリエーションは多機能だ。大判のハンカチは首にもまけるし、火災の時にはマスクにもなる。といっても衛生状況は自分判断によるだろうけれど。

手作りマスクはお洒落度を反映するだろうし、白いマスク集団よりも圧迫感は少ない。
この際、マスクの上にPRメッセージがついた取り換え可能カバーなどあれば、暮らしが楽しいし、和むわねえ。それに公的機関なら寄付付きもありかもしれない。(あああ、耳が鍛えられるわあ)

電車でお出かけする頃になったら、マスク参観も楽しみだ。 けれど、本当のところ、気温が上がると、マスクは不快なのだけれどねえ・・・ 置き配箱を設置してもお届け物受け取りにさえ、マスクを改めてつける暮らし、どうする? 互助保護衛生とクスマす。




燕の到来 前向きな前兆

2020年05月04日 17時31分45秒 | 日記
いつ燕が家に来なかっただろうか。壁を塗り替えた年には、巣にやってこなかった。

糞の始末をしながらも、つがいが巣に入って雛にかえるまでが楽しみでもあった。

玄関先にある巣は、以前やってきた燕が拵えた完璧な巣で、外に出ようとすると、忙しそうに二羽が飛び交っていた。

「お家にいよう」とでもいっているわけでもないだろうけれど、癒しになってくれる。

ひとりひとりが自覚をもって日々を暮らす、意識的で前向きなひと月になりましょう。

燕が教えてくれているじゃない。

自粛貢献し、誇らかにひとりひとりを褒めてあげたいものです。 こんなふうになるのは何日後でしょう。 ウイルス感染者が一桁になりました、という声と巣の新たな雛の誕生・成長が楽しみだ。

5月4日に書いたこの日記、20日余り後の25日に自粛解除が伝えられた。燕の雛孵りと自粛解除の進行比べを期待していた。
 
令和初の到来だったが、巣からお布団を落としたり、挙句の果ては、20日ごろになんと燕の卵がふたつばかり巣の下に置いたトイレにちんまりとくっついて並んでいた。
それで親燕はといえば、4,5日前から見かけておらず、ただ糞受けには確かに巣で暮らしていたのが想像できる。 寝相が悪くて落としたのか、それともまだ子育てする時期でもない幼い?あるいは進歩的なつがいだったのだろうか。

雛もかえらず、人間社会の自粛解除の方が軍配あり、というわけです。 さらなる余波を気遣いながら新たな暮らし方を模索しましょうか。