リトアニア独立のために農民たちと防衛抵抗戦線を支えた聖職者・リトアニア民族復興を讃える歌の作者(Varpas刊行創始者)・学者医師でもあり、科学アカデミー設立。独立調印者。
上の絵の説明だったかも。この説明にある国々の多さ、簡単にざっと拾うだけでも
ドイツ・ウイーンのローマ皇帝・リトアニア・ポーランド・トルコ 関係性は分からないにしても、これだけ沢山の国が書かれ、内心驚いていたのです。
博物館のミニチュア模型展示があり、戦いの様子が詳細に伝えられていた。関ケ原の戦いのようにリトアニアにとって意味があったのかもしれない、とも思った。
KGBに行こうか迷っていたけれど、博物館でおしゃべりをしながら決め始めていた。なぜって?この街にある建築物をぶらっと見物し、博物館のヴィデオを見るうちにこの民族は何を感じてきたのだろうか、と。過去のなが~い昔には、ナポレオン軍隊さえも厄介になった。ロシアと対戦して敗北したのが、この地で、現代でも遺骨が発見され、フランス政府とも係わりがあるそうだ。ただの戦いとしてしか記憶になかった歴史も、現実に発掘された遺骨をみて、遠い昔と対面し、深い衝撃になった。
国と国が入り乱れ、過去の歴史で勢力とか正義とか良しとされ扇動され動いた戦い。その時々の単純な圧力支配といえばよいだろうか。残す意義とは。